23年8月13日

 昨日は東京狭山神社、阿豆佐味天神社、阿豆佐味天神社・立川水天宮、立川諏訪神社、八王子冨士浅間神社、髙幡不動尊を参拝しました。立川、八王子、日野近辺です。式内社の阿豆佐味天神社は祭神が少彦名命であって。おそらくこの神が当初の賀茂系氏族の「祖神」であり、かつ雷神・天神であったと思われます。その墓は「南向古墳」かと(笑)。八坂刀売との関係は、賀茂系神話は「妻神」が欠落していますので、「父と娘」なのではないか、と思います。娘の方が「女神」として全面に出ていても、それを裏から操っているのが「死んで墓の中にいる父親」という図式なのだと思う。あたくしが言いたいのは南向古墳と芋井神社のことでございますよう、ということで。後に、管公が「天神」として広く祀られるようになったのは、「祖神であり天神である少彦名命」の存在を隠蔽するためであって、本来の少彦名命とは、記紀神話の「大国主命の国造りを助けた神」とはかなりかけ離れた神だったのだと思います。東国ではむしろ日本武尊に近い神として扱われていたのではないか、あるいは日本武尊が少彦名命の子孫兼使いである、という扱いではなかったのかと思います。まあ、伝承はともかくとして、南向古墳は長野市高田地区の古代の有力者の墓であったことは事実であり、善光寺平は弥生系の多氏・金刺氏が入ってきて以来、現在に至るまで権力構造が変わらない、という分かりやすい地域なので、南向古墳の埋葬者は「多氏・金刺氏の先祖」である可能性が非常に高いので、それが少彦名命とされている、ということは、本来の少彦名命は神八井耳命も同然かと思います。「神八井耳命が天皇を助けた」というのは「少彦名命が大国主命を助けた」に通じますし、なんでそういうサポーターの神の子孫が長野県にいるのかといえば、彼こそが主君のために東征を行った張本人であった、という伝承が本来はあったのではないか、ということを伺わせると思います。苛烈な東征を行って、縄文系の原住民を「鬼」と決めつけて皆殺しにしたので、鬼無里という里ができたんじゃんねえ? と思うあたくしである。でも、しまいには「最初から自分たちがそこにいた」ことにしたくて、先祖の腐った行為を隠蔽することに決めて管公を天神にして「天神」をすげ替えたものと思われます。腐れ先祖めが! と思う-;。で、少彦名命も八坂刀売も古代の下の方になると「常世信仰」の神として君臨するようになりますので、常世信仰の最大の震源地も善光寺平なんじゃないのかねえ、と思うあたくしです。古代の金儲け主義の新興宗教のメッカだったのかと。まあ、そんなんでも1500年も続けば「新興宗教」ではなくなってしまいますものねえ? とも思うあたくしでした。

 で、最後に髙幡不動尊にどうしても行け、と言われる気がしたので行って来て。髙幡不動は土方歳三の菩提寺だそうで。「また新撰組だー。」と思う。地味に上杉憲秋公という室町幕府の家臣が自刃した場所でもあるらしい。・・・どうも上杉公はあたくしに憑いてきて、鶴ヶ丘あたりに所替えされたのでは?? とか思ったりするわけですが-;。夜の鶴ヶ丘はけっこう怖いです。長良の大臣がすっごいにらみをきかせている気がするわけですが-;。