23年2月19日

 一昨日は外仕事はお休み。買い物のみ。

 昨日は埼玉霞野神社、駒形神社、高麗神社、聖天院、八剱神社、出雲伊奈比神社、星宮神社を参拝しました。埼玉でも東京に近い方なので、こちらから行くにはちと遠い所でした。でも、中先代の乱に関係する地域らしくて。乱を支援したのは上社ですので、長野県との縁を少し感じました。(中先代の乱は最後の執権の維持が、鎌倉幕府の再興をかけて挙兵したもの。)足利直義が討伐に当たっている間は、足利側の方が負けてばかいだったらしい。直義のことを「役立たず」ってつぶやいていた人がいたような-;。

 高麗神社や聖天院では将軍標(チャンスンという。村落の境界に置くものらしい。日本でいうところの道祖神みたいなもの。)が見れて珍しかったです。

 というか、トーテムポールの上に「首だけ」のっかている「天下大将軍」と「地下女将軍」の名を見ると微妙に心苦しいわけで。朝鮮ではこの2神がどのような神であるのか、という明確な神話はないようです。でも、日本で言うところのイザナギ(天の神)とイザナミ(地の神)ですよねえ? でなきゃお定まりの共工と相柳と思うわけで、元は「荒ぶる神」を倒して首だけにして「境界を守る神」にリサイクルしてるのだと思うわけで。でも、利根川上流周辺の「八郎」とか「五郎」の伝承を漁ると、「八郎」や「五郎」とは化け物退治をするような勇猛な武将であったのだけれども、何かの咎で殺されて怨霊になって、自ら人身御供を求めるようになった、という筋書きになっているらしくて、いわゆる「英雄」というのは生け贄を求める怪物を倒しても、自分もろくなことにならなくて、自ら生け贄を求めるものになるらしくて。それじゃいつまでたっても、生け贄が不必要な世の中にならないじゃん? とゆーわけで、どこの誰がこんな阿呆な幽霊のリサイクル理論を考え出したのか? というわけで、うちの昔の先祖の「啓」というのと、その腰巾着の先祖達を追いかけているわけですが。日本の神話にはおかしな「幽霊のリサイクルの循環」に放り込まれたイザナギとイザナミが去った後に天照大御神が来ることになっている。朝鮮の神話にはそれが欠けているのです。なぜならその「幽霊のリサイクルの循環」を止めるために日本の記紀神話は「作られた」というしかないからですな。

 高麗川の奇妙な点は、新田庄と同様、高麗王若光が移住した後の話しか出てこなくて、主な開拓者が入る前に誰がそこにいたのか、ということが欠落する傾向にあることです。でも、古代において「多氏」と名乗る「王族」達は東国で牧を経営して軍事力を誇ってた。駒形神社があるということは、一族郎党の匂いがプンプンするんだけど? と思うあたくしである。若光の足跡を追いつつ、八剱神社で「丹生宮」という石碑を見て、「そーだろーとも」と思う。そこは秩父に近く、群馬・埼玉における「丹生宮」は秩父党の証みたいなものですのでねえ。丹生都比売は一族郎党の中では「下位の女神」の代表格で、子孫は信濃国の周囲に多く配されている。「若光」という名前も神話的にはあんまり縁起の良い名前ではないのですよ。「若い光」とは「夜明け」のことを指すのであって、「夜明けの薄い光」はいずれ「昼の光」の前に消えて死んでしまうものである、というのがグローバルな神話のスタンダードな名前なので。

 高麗人達に「若い光」の呪いをかけ、「太陽女神の救済」が到来しないような神話を押しつけ、聖天院には阿弥陀とか不動明王とか「須佐之男命」の化身しかいないってどうゆうことかな? それは高麗の人々全てにかけた呪いも同然なんじゃないのですかねえ? と思う。誰がそういう呪いをかけたのですかねえ? そこは高麗人が入植する前には秩父党という名の一族郎党が支配していた地域なんじゃん? と思うあたくしである。

 出雲伊奈比神社では「誕生日おめでとー」と言われてけっこう歓迎してもらえた気がします。今日たまたまシューイチをちらっと見たら「誕生日なのに生放送で結縁するのが自分で申し訳ありませんねえ。」とニャカマル君に言われる気がするわけですが-;。ともかく、この年になって誕生日なんぞはめでたくありません。年取って老化していくだけだー、膝はボロボロだし、と思う。そして、なんで高麗川に「安徳天皇」がいるのかと思う。そいつぁれっきとした御霊でしょう。しかも水神って、川と土地にどーゆー呪いをかけているのか? とそう思う。

 しかも、最近味方からはカメラ、カメラってカメラのことしか言われません。カメラを使うと敵の敵意もすごいし-;。あたくしはカメラの持ち歩きと安徳天皇の封印(?)で疲れ果てております-;。