23年2月9日

 5日は神奈川川崎大師、若宮八幡宮、東京高井戸第六天神社、石神井神社、三宝院、石神井氷川神社を参拝してきました。東京にも何年か住んだことはあるのですが、都内で車を運転したことがあまりなくて、環8も始めて走ってみました。関越を練馬で降りてから川崎大師までどうやって行ったら良いのか結構悩みましたが、「環8をまっすぐ行くように、混んでいて動かなかったら県道を迂回するように。」と言われる気がしたので、そうしました。良く晴れていて、東京都神奈川の境の辺りで富士山の頭が見えて「うーむ」と思う。昔はきっと大きな建物がない時代は川崎大師の辺りからも見えていたのかなあ、と思いました。それから川崎大師では加持祈祷が盛んなようで、申し込んでいる人も大勢いたし、堂内ではやっているし、そういう光景を田舎ではあまり見る機会がないので、珍しく感じました。川崎大師は羽田空港が近いし、聖徳太子とか不動明王とか須佐之男命関連が多かった気がします。第六天魔王(他化自在天)は関東に多くあった神社らしくて。元は「仏道の修行を妨げる魔王」を祀る神社、とのこと。修験道系の神社で、諏訪辺りでも第六天魔王を祀っている神社はちょいちょい見かけます。まあ、でも、魔王は魔王だからー;。それから、石神井関連、「これでもか」というくらい人が出る出る、出まくる、という感じであって。「ストーカーの聖地かい!」という感じだったのですがー;。こういうのも久しぶりであって。地名の由来は、石剣だかが出土して、それを石神及び少名毘古那として祀っているのかと思う。というか、南向古墳ではないけれども、少名毘古那は常世信仰に関する神であるので、それを単独で祀っている点に、「同族」の匂いがする気がする。

 7日は前橋女淵御霊神社、大胡神社、産泰神社、大鳥神社、前橋八幡宮、代田神社、飯玉神社、駒形神社を参拝する。ともかく、群馬のあの当たりは火山の爆発と川の洪水でけっこう歴史が断絶している気がするわけで、江戸時代の用水の開発者とかが尊重されるのは、まあ当然といえば当然ですが、「駒形神社」とかある点は牧がかつては古代においてあったのだろう、と思われます。大鳥神社とかは、どことなく賀茂系の匂いを感じさせるわけで。けっこう道に迷って大変でした-;。

 8日は姉を小谷医院へ、今日は親を小谷医院へ連れていって。で、「偽性高カリウム血症問題」は、それを「正確な数値扱い」してしまうと、場合によっては治療にも影響が出ますし、経過観察の点からも好ましくないので、「治療に影響を及ぼしそうなほど値の誤差がひどい場合は、上の病院(二人主治医制度だからね、建前はね)で正確な値を検査して下さい。」とお手紙を本日先生サマに差し上げましたら、まだ図々しく「カリウムの値はこれでもまだ大丈夫で~」としらじらしい説明をしていて。それは素人相手の説明であって、医者とするような話ではないでしょ、と思ったので、たまたま先生サマと二人になる機会があったので「カリウムの件はお手紙の通りに御願いします。」というようなことを言ったら「これから手紙をよく読んで」みたいなことを言われました。どうもそれが「他の誰かに手紙を読ませて指示を仰がないと、自分じゃ動けなくて-」と言っているように聞こえるわけです。どうも、小谷医院で嫌がらせしても、それを上の病院に持ち込ませるな、って割とそういう風になっている気がしてならないわけで。治療と診断に影響が出るようなことなら、私が持ち込むでしょ、「自分の病院で検体の管理がずさんで精度管理ができないから上の病院できちんとした検査をして下さい。」って紹介状を書くことが医者としてみっともなくて恥とか思わないのであれば、それはそれでいいんじゃないのー、院内で検査ができないことは事実なんだから、それを盾にして開き直ればいいじゃん、というのがあたくしの見解である。たぶん、先生サマに「みっともなくて恥ずかしい説明をしろ」って指示を出しているのは、検体の管理とかがずさんであったことが当たり前の時代に活躍していたじいさん達ではないかと疑うわけですが。こういう点で恥を知らないストーカーとか、共産党主義者みたいなのとか犯人候補が多すぎる気がしてならないわけで-;。もうね、大学時代からの知り合いってそんなのばっかなわけです。まともに常識があって恥を知ってる人間にあったことってない気がします。

 で、最近捕まっている「一眼レフ問題」。実はカメラは2台買ってあります-;。1台はかなり古い20年もの、もう1台はもっと新しくて10年ものなので、まあほぼ「最新のもの」なわけはないけど、私の感覚ではそんな感じである-;。普通にSDカードとか使えるし-;。古いほうは安い代わりにバッテリーとかがついてないので、それにまずお金がかかっております。そして、ちゃんと動くかどうか確認しないとー;。そのため、保険で2台買ってしまったわけですが-;。それから、中古の安いレンズをいくつか買って勉強するように、と言われて5個くらい買ったので、実はそのメンテナンスに金がかかってるわけですー;。だって、レンズがぽいっと来て、前のキャップも後ろのキャップもなし、保護のためのフィルターもなしなので、そういう必要な小物に金がかかるわけです-;。しかも兄さん達には「マニュアルで撮る練習をしなさい」と言われる気がするので、50年モノ65円のレンズをつけて、マニュアルで撮る練習をするために、中古の露光機を買いました、と、そんな感じであって。ともかく、そんな感じで、10年モノのカメラに50年モノのフィルムカメラのレンズをつけてマニュアルで撮った写真があたくしの初一眼レフ写真、しかもLAWで現像とか、変な仕様で試し撮りをしています。でも、おかげでレンズの種類もかなり勉強しましたし、来月はもうちょっとまともで軽いレンズをちょっとまともな値段で買う予定-;。なんだか、本当におもちゃのカメラで撮ったような写真なんだけれども、対象物にだけピントがあっていて、周辺がぼけているところは一眼レフだー、これが「一眼レフなんだー」と思いましたとさー;。

 そして、思うわけですが、カメラを家に入れたら余計な声が聞こえにくくなった気がするわけで。今まで先生サマにあれこれ言うのもうまく言えなくて振り回されたりしてたわけですが、だんだんスムーズに言いたいことが言えるようになった気がします。だから、カメラにはもう少しお金をかける予定。「だいたい、そもそも誰がカメラが趣味なのか知ってるよね?」と言われる気がするわけで。「夫婦で同じ趣味があって同じ話ができて、あなたが誰を選んだのかどこから見ても一目瞭然でしょ。」と言われる気がします。・・・個人的には総資産100億と言われる人とあたくしのような貧乏ニートが同じ趣味を持つことがそもそも間違いでは? と思うわけですが-;。3世代前くらいのぼろい中古レンズ市場を漁るのは楽しいかもしれません-;。でも、一眼レフの始めから50年前のレンズでマニュアルで撮る奴なんていねーよ、コンデジのB700の方がよほど高級な絵を吐いてくれる(しかも超望遠機能付きだし)と思います。でも、一眼レフにはまる人は性能にもはまるけれども、中古レンズの変な世界にはまるのだと思います-;。ともかく、一眼の魅力はレンズを交換できることだし、時代によって設計の意図が異なるレンズが大量にあって、それが型落ちするごとに安くなって中古の市場に出回るので、買ったレンズに何か取り憑いていても平気という人は楽しめると思います。50年モノに何か憑いていた気がしたから言うわけですが-;。