22年2月12日

 今日も雪等の理由で、外作業はお休みでした。母親の薬が切れそうなので、両親を小谷医院へ連れて行きました。で、検査関連ではあれこれ細かく「やりたくない」的なことを仄めかされる。「母親を狭心症疑いで日赤に紹介したのに、心筋シンチをしないなんて・・・、狭心症と心筋梗塞は最終的にはシンチをしないとどこが悪いのか良く分からない。」みたいなことを循環器専門の姉さんからグチグチ言われる-;。でも、「侵襲性の強い検査を希望しないなら日赤でなくても良かったですね、わざわざ紹介して済みませんでした。(もちろん紹介を言い出したのは姉さんの方で、こちらは最初から「侵襲性の強い検査は希望しません」と言っていたわけですが。)」としおらしいこともちょっと言ったので、「(弁の閉鎖不全のこともありますし、)たまに日赤でも診て頂くのは良いかな、と思いましたから。発作が頻繁になるようでしたら、また紹介を御願いします。」と思いやりでフォローするつもりで言ったら、「お年でもまだ何とかなると思ったから紹介したので、もうだめだと思ったら紹介しませんから。」というような脅しみたいなことを言われました-;。・・・気を遣ってフォローとかしちゃだめなんだなあ、と内心思いましたが、口に出しては何も言いませんでした-;。

 そりゃ、血管を造影すれば年相応の動脈硬化は見つかるでしょうけれども、狭心症は心臓にダメージが来る病気ではない。発作が頻発して心筋梗塞に移行する危険がありそうならともかく、むしろ、寒冷刺激で血管が強く収縮(攣縮)しすぎたか? という状態で、「血管を広げる薬」を投与して状態はまずまずなのに何を言うやら。血管を広げる薬を処方してるのは他ならぬあなたでしょうが、と思ったけれども、私の循環器の知識は25年前からあんまり更新されていないので何も言わない-;。狭心症の診断は、たまたま発作時に病院にいたら、心電図をとってもらえばそれで十分なんじゃん? とか、そんなことしか考えない病理屋がここにいるわけですが-;。「もうだめだ」と思ったら、だめでも、だめでなくて、開業医ではなくて救急車を呼ぶし(それは医者の腕ではなくて設備的な問題で)、と思ったわけですが。そういう時のために二人主治医体制は必要なんじゃないの? と思う。

 あとは、薬屋でなんだかおつりを渡されなさそうになったりとか、変な一日でした。

 お裁縫は、引き続きセーターのつくろい、ジャケットの袖つけ、ケープコートは裏地の裾の始末、ロックミシンカバーはポケットの作成でした。

 テレビは、昨夜は「Mステスペ」を見ました。今日の昼は「Mステスペ」見ていない部分の録画を見ました。

22年2月11日

 今日は雪が積もっていて寒いので、外作業はお休みでした。そして買い物に行って、骨盤矯正効果があるという円座的な座椅子を買って貰いました。パソコン作業が少し楽になったかも。

 お裁縫は、引き続きセーターのつくろい、ジャケットの袖つけ、ケープコートは裏地の裾の始末、ロックミシンカバーはポケットの作成でした。

 テレビは、昨夜は「VS魂」を見ました。今日の昼は先週の「CDTV」の録画を見ました。

 で、民話の資料を見て思うことですが、西欧は批判の精神とか、パロディー(これも批判の一種)が盛んであるので、民話の中にはキリスト教を痛烈に批判する精神が溢れているものもあるわけです。それによると、イエスは植物とか動物の化身ではなくて、露骨に「金」の化身であるらしい-;。信者に金をよこせ、よこせ、と言うし、逆に金を配当してくれる、と。確かに、お金は生きていくために必要なものだけれども、どんな手段をもってしても金だけ儲ければいい、というのは違うよねえ? と思う。お金は直接食べられないから、さしずめキリスト教のイエスはインフレの神サマですか? と思うわけですが、インフレが起きないように小金しか配当しないようにしてるのではないか、と思うわけです。まさに「宝くじを当ててくれる大黒と恵比寿の精神だ-」と思ったのでした-;。

22年2月10日

 今日は雪が降ったので外作業はお休みでした。2月の恒例、一太郎の新作が届いたので、早速バージョンアップしています。今年も元を取るためにせっせとワープロソフトを使うぞー、と思います。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットの袖つけ、ケープコートは裏地の裾の始末、ロックミシンカバーはポケットの作成でした。

 テレビは、昨夜は「ブンブブーン」の録画の続きと「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。今日の昼は「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。

 そして、暇な時は、色々な神社の動画を見ているのですが、粟島神の社とか見ていると、「粟島神とは、他人を人形のように使い捨てにする神」と言われる気がします。

 それから、民話の資料がたまっているので、最近分類も兼ねてデータベースを作成しているのですが、カトリックというのは古い時代の神話を書き換えて布教に励んだだけでなく、オーディンとか、エンリルとか「暴風雨の神」を「神」として利用する傾向が強いように思います。インドでいうところのシヴァ、ローマで言うところのサートゥルヌスだと思う。サートゥルヌスの分身といえるからユーピテル、ネプトゥーヌス、プルートーは現世でのサートゥルヌスの部下、みたいな、そんな感じなのか? と思う。サートゥルヌスとはエジプトではセトのことでも良いのか、と思う。豊穣のために生贄を求める神、再生のために人身御供を求める神、といえる。で、タンムーズは穀物の再生のための神だけれども、サートゥルヌスのように、人が黄泉の国から生きかえるためにも人身御供を求める性質の神もいる。壊された「縄文のヴィーナス」なんかは人身御供の身代わりといえる。で、特に西欧(南欧)では、当人が死ぬ前から予備的に人身御供を捧げる習慣が活発になりました。いわゆる、「幼児供犠」とか、「初子(人間含む)を神に捧げる」というものです。これは一族郎党の反映を求める祭祀でもありますが、子孫が繁栄して自分もその中に生まれ変わってきたい、でなければ繁栄した子孫達にちゃんとあの世で生まれ変われるように供養して貰いたい、とかそういう意味があります。でも、時代が下ると人身御供は非難されるようになります。そこで、ローマではクリスマスの前身のサートゥルヌスの祭りではろうそくと人形を互いに交換するようになりました。これがクリスマス・プレゼントの起源と言われています。火は「魂」の象徴、人形は「人」の象徴だから、お互いに相手を父なるサートゥルヌスに見たてて、身代わりの人身御供(人形)を捧げることで自身の再生、一族の繁栄、ローマの繁栄を願ったわけです。ローマの神々の結局はサートゥルヌスの子供達だから、人々はその子孫で、サートゥルヌスの孫も同然です。そして「捧げられた人形」とは、ローマ的には「異民族」とか「異教徒」を指すことになるわけです。ローマの宗教は国家宗教だから、個人だけでなく国家の繁栄も必ず願うものなのです。で、これがキリストがどうの、という話になると、特に改宗させた異教徒に対しては、「生まれ変わるために神の代理人にあらかじめ予備的に代償を支払いなさい。でも、人身御供はだめだから。」となります。となると、捧げるのはお金とか奴隷的労働力ということになります。それがローマの繁栄につながるのです。・・・だから、クリスマスがなんでよろしくないかというと、それは「シヴァを繁栄させるため(再生させるため)にサティーを殺す(人身御供を捧げる)」のと全く同じ思想の祭りだからです。信者に宝くじを当てさせるために、八幡とかその他の神々の上がりを取り上げて食い散らかす恵比寿・大黒と同じ思想です。ローマの3神は「父なるサートゥルヌス」に上がりを捧げるための「取り立て屋」に過ぎないのです。彼らはイエス・キリストの命を取り立てて、人々にイエスを見習って犠牲になれ、と言った。それが「ローマ式」なんじゃないの、と言われる気がするわけで-;。「ローマ式」はさらなる上位の「父なる神」に仕えるために存在する。サートゥルヌスを殺して、自分だけが「天にいる父」となった者のために。と言われる気がするわけで。・・・というわけで、ともかく、生きているうちに分割払いで「自分が生まれ変わる(天国に行く)代金」を人身御供に変わって支払わなければならなくなったのがローマ式っぽい、ということで。結局、好きなのはエンリルとかオーディンとかシヴァとか、人身御供を求める精神の神であるらしいです。

22年2月9日

 今日も短い時間ですが、外作業をしました。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け等、私は土堀りでした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットの袖つけ、ケープコートは裏地の裾の始末、ロックミシンカバーはポケットの作成でした。

 テレビは、昨夜は「News Zero」の録画の続き。今日の昼は昨夜の「ブンブブーン」の録画を見ました。

22年2月8日

 今日は短い時間ですが、外作業をしました。母親は土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットの袖つけ、ケープコートは裏地の裾の始末、ロックミシンカバーはポケットの作成でした。

 テレビは、昨夜は「バズリズム」の録画の続きなど。今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

 一昨日の朝はなんだか夢を見て。夢の中で雅治君と一緒に寝ていて、「実はもう離婚しているんだ。だからHをしよう。」と言われてHをする夢でした。珍しく良い夢を見ました。
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 本日の1杯目。1/3程度が石分。