メヘト-ウェレットその他

本当に書きたいことを書く前に、いろいろと予備知識も必要、というわけでいきなり古代エジプトに飛んでみました。ここにたどり着く前に得た知識として良かったな、と思うことは「M」という子音と「N」という子音は比較的交通性が高くて、子音がころころと変わっても意味はそれほど変わらないことが多い、ということが分かったことだと思います。
メヘトとメヒトはほぼ同じ意味の同じ言葉ですが、ネイトも同類といえるのです。要するにこれらの女神は、獅子女神であり豊穣の女神でもある、ということになる。でもその一方で、軍神でもあり、場合によっては疫神にもなります。そもそもメソポタミアの地下の太陽神ネルガルなんかは、軍神でもあり疫神でもあるわけですから、「唐突に死をもたらす性質を持つ」という点で軍神と疫神というのは近い関係にあるのです。それはメソポタミアだけではなく、古代エジプトでも同様だったのだと思います。
で、メヘト-ウェレットは「川」に関する意味合いが強いわけで、「川の蛇神」でもあるわけです。そこから繋がって、これらの獅子頭女神は「月の女神」とされることが多いのですが、しかし、それだけでは済まされない事情があるわけです。テシュブを書く前にその事情を書かねばならず、そのためには獅子頭女神を一通りおさらいしなければ、ということでメヘト-ウェレットにたどり着いたわけですが。少しずつ意味を重ねて、これらの神々の真の姿も浮き彫りにできていけたらと思います。
それから、ここ2,3日、ヒッタイトの神々を調べていたせいか、急に「天は赤い河のほとり」、略して「天河」を読みたくなって読んでいたのでした。で、この漫画にはテュシュブはちらっと出てくるけれども、ヘバトは出てこないと今まで何となく思っていたわけですが、最後の方にちらっと出てきてるのを発見しまして、「あ、出てたんだ」と初めて気が付いたりしていたわけです。
で、そのシーンというのは「王宮内の神殿の壁画に神々が描かれている図」があって、そこにヘバトの図もあったわけですが、おおよそヤズルカヤ遺跡のテシュブとヘバトが向き合っている図がモデルで、それを写したものではないかな、と思ったわけです。それは、テシュブと向き合ってヘバトがいて、その後ろに子神のシャッルマがいて、その後ろに双頭の鳥がいて、その鳥の上に名前の良く分からない女神が二人立っている図なわけです。「天河」の26巻にある図です。
で、この「双頭の鳥」ってなんなんだろうな、「鳥」というのはだいたい太陽神の象徴でもあるわけですが、なんでヘバトとはちょっと離れたところにあるんだろうな、とか思っていたわけです。しかも、上に乗っている女神2人も名前が不明なわけですし。
そうしたら、今日GIGAZINEというサイトに、急に「コソボの旅行記」みたいな記事が載ったわけです。今までこのサイトでは時々外国の旅行記みたいな記事も載っていましたが、なんで急にコソボ? とか思うわけです。今まで一番多く記事が載っていたのは、南米の自転車旅行記で、南米は秘境といえば秘境というか、「秘境的」なジャングルの中とかは相当「秘境」だと思うので記事にするには良いところなのかな、と思って読んでいましたが、何故突然コソボ? とやはり思うわけです。
で、記事の内容はプリシュティナという街の紹介で、街中にアルバニアの国旗がたくさんあったとか、街のシンボルが土偶だとか、そういう内容と共に、私のサイトでも取り上げた「ピレウス帽」の写真が載っていたので「おおおー」と思ったわけです。なにせ、こういうアイテムの現実の現代の資料というのは、どんな情報も載っていそうなのがインターネットというものであるにも関わらず、意外と拾い上げてくるのが難しかったりするからです。この帽子の写真がはっきり見ることができてうれしかった、というのが一番だったわけですが、それと共に気が付いたわけです。
アルバニア(Albania)という言葉はAl-baniaに分けられるわけで、Alというのが「神」を意味する接頭辞だとすると、「BNK神」という意味になります。それってフェニックスという意味なんでないの? と思うわけで、双頭の鷲って、フェニックスのことですか? アルバニア人がヒッタイトの人々の子孫であるとしたら、それはヘバトのことですよね? となるわけです。てことは、アルバニアの国旗の「双頭の鷲」はヤズルカヤのヘバト女神の後ろの後ろに描かれた「双頭の太陽鳥」のことなんだ? そこから来てるんだそれ? と思うわけです。でもって、アルバニアという呼び方は、外国の人がアルバニアを指すときに使う言葉で、アルバニアの人たちは自分達のことをシュチパリア(Shqipëria)と呼ぶそうです。それって「KKB」ってことですよね? 少々メソポタミア的に解釈すれば、「ヘバトの土地」とかそういう意味の言葉なんじゃないですか、それ? と思うわけです。
で、街のシンボルの土偶というのも、けして大きいものではないらしいのですが、「目」が非常に大きくて強調されているわけです。「目」の大きい神って、それ「太陽の目」であるヘバトのことなんじゃないですか? と思うわけです。英語サイトのwikipediaでシュチパリアのこともちらっと見ましたが、この土偶のことは何も書かれていませんでしたから、現地の人はみな知っていても外国の人が知る機会としてはけっこう珍しい記事だったのかと思ったわけです。
しかも、この記事には小学生の男の子の二人組の記事が何枚か載っていまして、
「なんで男の子二人組?」
と思うわけです。どうも天の橋立の真名井神社に行ったときもそうでしたが、私の女神探求の旅にはどこか必ず
「男の子二人組」
の姿が散らつくように思うからです。要するに、男の子二人組に、アルバニア-ヒッタイトの母神ヘバトと双頭のフェニックスですか? なんというか、こういう象徴的な記事が載ることも珍しいな、と思ったわけですが、そうしたらなんとなく
「母の日だから」
と気が付いたわけです。成る程、確かにヘバト女神はヒッタイトの人々にとっては「母神」であったに違いありません。去年の母の日はまだこうやっていろんなことに気が付く余裕もなくて、ひたすら大変だった気がするわけですが。どうりで、急に「天河」を読みたくなったわけだ、となんとなく納得してしまったわけです。「天河」には「イル・バーニ」って人が出てくるわけですが、これも「アルバニア」に引っかけてつけた名前だったのかも? と今なら思います。
ヤズルカヤの双頭の鷲の上に乗っている二人の女神が誰なのかは私にも良くわかりません。でも、ヘバトと多少差別化をはかって、尚かつ「太陽女神」であるというのであれば、シャウシュカとイシュタルという解釈でも良いのかな? という気もしますが、なにせヒッタイトには「幾千の神々」と言われるほどたくさんの神サマがいて、しかもヒッタイト固有の神だけではなくて、エジプトやメソポタミアの神々もそこに混じっているわけですから、正確には名前を書いておいてくれないと、似たような名前で似たような性質の神々はいくらでも居て、なんとも言えないわけですーー;。
シャウシュカ女神の項も、2、3日の内にはアップできると思うわけですが、なにせいっぱい書きすぎて整理するのが少々タイヘンなわけです。気長にやろうと思います<(_ _)>。
GIGAZINEの記事へのリンクはこちら↓
陽気なコソボの人々が私の偏見をブチ壊してくれた

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テシュブによせて

ようやくテシュブについての記事をアップすることができましたが、実のところ、この神についてはまだまだ書くことがあるのです。その内の一つが「語源」について、です。
テシュブ(Teshub)というのは、T+shubですので、要するに太陽女神のKB系の名前に「T」がついているわけです。でも、この「T」がどこから来たのか、何故「T」がつくと男性神になって、かつ荒ぶる武神になってしまうかもよく分からなかったわけです。しかも、エジプトで「T」が末尾に来ると「女神」的な名前になるわですが、接頭辞的に付くと、テシュブは男性神なわけです。しかも、ハッティのタル(Taru)はまだしも、ヒッタイトのターフン(Tarhun)とは語源的にちょっと遠い名前になってしまいますし、何故これらが一つにまとまって「テシュブ」なのかが良く分からないわけでーー;。
なので、本日は執筆しながら、考えて、調べて、考えて、を繰り返していました。そして、最後に気が付いたわけです、
エジプト(とその周辺)における「獅子頭女神」、要するに
テフヌト、メヒト、ハトメヒト、ネイト、タニト
は、みな同じ名前から出ている「同じ神」として扱って構わないのだと。そして、それが「テシュブ」にも繋がると。不吉な獅子頭の死神女神と同系統の名前だから、男性神でも
「荒ぶる神」
なんだ、成る程。というわけで、どうやってまとめようか悩み中です。西王母の方もちょっと倒錯的なまとめ方になりそうですし(汗)。まあ、最後にみんな繋がってまとまれば良いのですけれどもーー;。

シャウシュカ女神

ヒッタイトの神話をおいかけて、フルリの太母シャウシュカ女神を調べているわけですが、この女神はアッカドのイシュタルとほぼ同一視されている、というわけで、この「イシュタル」に引きずられるとよろしくない、ということが分かったわけです。メソポタミアでは、イシュタルはイナンナという女神と同一視される、というよりも無理矢理同一視することにされているわけですが、このイナンナ女神は、楔形文字で「蛇」と書くくらい蛇蛇しい女神で、エジプトのウアジェトに相当する女神なわけです。で、イシュタルは、英語版のwikipediaを見れば分かる通り、手にシェン・リングの杖を持って、足下に「蛙」がいる、とーー;。
しかも、シャウシュカというのは、シャプシュの地方版なお名前ですので、そもそも「フルリの太母」などと言わずに、
レバノンのヘバト、
ウガリットのシャプシュ、
ミタンニのシャウシュカ、
ヒッタイトのイスタヌ、(そしてアッカドのイシュタル)
と言えば良いのですが、わざわざ蛙イシュタルの石像をwikipediaに載せることはできても、そのことを「書くことはできない」とでも言うかのように思えます。アマルナ改革のアテン神は、子音で分解したら(K)A-T-Nということで、要はstan系の太陽神のことと思われます。だから
アテンというのはヘバトのことでもあり、イシュタルのことでもある
というわけで、これらの女神はアマルナ改革の神へ、そしてこの王朝が潰れた後に、エジプトから出てきた人々の神へと繋がってると思われます。だから、エジプトーモーセ、テシュブーヤコブって、由来が異なるように見えて、みなヘバトで繋がっているように思えます。どうも昨夜は夢見が良くなくてちと落ち込んでいたわけです。で、どういう夢を見たかというと、
お布団にくるまって寝ていたら、福山君が寝床に入ってきて、なんだか口説かれている感じ? なので、
「好きな人がいる」
と言ったら、
「そいつのこと本当に愛しているのか?」
と聞かれて目が回るような気がした、という夢だったわけでーー;。
だいたいこの手の夢を見る原因の一つには、ウォークマンで音楽を聴きながら寝てるので、福山君の曲を聴くと無意識に福山君の夢を見る傾向がある? ような気がするのですが、他の人の曲だっていっぱい入っているのに、どうも他の人の夢はたまにしか見ないわけです(そういえば前に嵐が出てくる夢も見たことあったかも?)。
夢を見るなら福山君ではなくて鉄瓶の夢を見たいのに、娼婦のイシュタルではなくて、太陽女神のイシュタルを取り戻したいのに、どうも変な夢しか見ないと、ちと落ち込んでしまったりするわけです。でも、ようやく「アマルナ改革」の意味するところにたどり着きつつあるわけで、ミタンニから来た妃がこの改革を助けたのであれば、それはシャウシュカ女神に対する信仰を持ち込んだともいえるわけです。アメンの神官団と対立しないわけがない。だって、アメンって「ベス」のことなんじゃん? というわけで、どれもこれもおいおい書いていければ、と思うわけです。全くのところ、誰に何を聞かれようが、選ぶのはベスではなくて、鉄瓶の方かと。

明日から5月です

雨が降ったら、ひまわりの種がこれみよがしに発芽しています。種が大きい花は発芽も早くて豪快で良い感じです。種の細かい花は、発芽するまでがドキドキですし、芽が出てもあまりにも小さいので、ある程度育ってくれるまで安心できません。
本日は次なる記事の資料を集めたり、作ったりしていました。壁画とかの図はそのまま載せるよりも、スケッチした方が見やすい気がして、せっせと描いております。ヒッタイト3神のうち、残るはテシュブですが、この神サマが複合的な上に、時代や場所によってかなり「見てくれ」が変わってきていて、少々複雑な気持ちです。それから有角獣の内でも「牡牛」に対する信仰というものにも、いろいろと考えさせられます。
トルコは洋の東西の文化の交流点と言いますが、古代世界においても同様だったと思われます。古代のアナトリア半島の信仰の歴史は、最初に新石器時代の有角獣と地母神の関係から始まって、その次にエジプトとメソポタミアの両方の影響を受けるわけで、ヒッタイトの時代にはアナトリア・ヒエログリフというエジプトのヒエログリフのアナトリア半島版ともいうべき象形文字と、楔形文字の両方を使用していました。従って「神」を示す言葉にも両方の書き方があるのです。でも、ヒッタイトも一応は印欧語族に入るので、もっとヨーロッパの古代の文化に近い要素も入ってきているのです。例えば、遊牧民の文化から発展した古代のヨーロッパでは
「豊穣の大釜信仰」
というものがあります。これは北欧神話に目立つのですが、要するに神話的には、中身を食べても食べても減らない、と言われる「魔法の鍋」みたいなものに対する信仰といえます。現実の祭祀的にはこれが「死と再生の象徴の釜」みたいな存在になるわけで、要するに生贄を捧げて煮て、その代わりに神様から豊穣とか永世というような御利益を得よう、というような信仰ではなかったのかと思う。で、どうもそれに似た信仰を描いた壁画があることはあるのですが、供物を捧げられている先の神サマが「アテフ冠」を被っているわけで、オシリスなんじゃないですか、それ? と思うわけです。どうも犠牲を捧げられる相手が、北欧のオーディンとかケルヌンノスとか言われると、ヨーロッパ系の神サマということで違和感を感じないわけですが、
オシリスが大釜で犠牲を捧げてもらっている図
というのはなんだかとっても違和感を感じるわけです。しかも、場所はヒッタイトで古代エジプトでもないわけですから。こんな感じで古代のアナトリア半島の文化は習合的な文化ですので、時代が下るほどに次第にギリシャ・ローマ化するのですが、それでも失われない
族長ヤコブ的な穏やかな豊穣を望む文化
がそこにはあったと思われるわけです。そのような思想を守ってきた人の心の強さとか、それをいかに残酷に潰そうとする人々がいるのか、とかそういうことを考えさせられるわけですが、まずは資料の作成に励みたいと思うわけです。

合成神サバジオス

トラキアの神サバジオスをアップしてみました。これを訳していた時、丁度ピレウス帽についても訳していたので、どちらの項も文章は多いし、ローマやギリシャの風物に疎い私には、1行毎に知らない事が書いてあって、訳しては調べ、調べては訳しの繰り返しで、本当にいつまでたっても終わらないのではないかと思いましたが、やっとアップすることができました。
この神は綴りを見ると、ヘバト(Hebat)とディオス(Dios)の合成神であることは分かるのですが、何故かなり性質の異なる2神、しかも女神と男神で性別も違うものを強引に習合させているのだろう? とまずそれが謎でしたし、その上にこれがローマのユーピテル、ギリシャのゼウス、ユダヤのヤハウェと各地で習合しているわけです。で、トラキアあたりではそれを「唯一の神」と称して「一神教」として信仰する向きもあったようですから、習合と合成を重ねて、神を一つに纏めてしまえば、確かに見かけは「一神教」かもしれませんが、それを「一神教」と言っていいのだろうか? とも思うわけで、これでは「一神教」も「多神教」も「言い方の違い」の問題でしかないようにも思うのです。
どこの「唯一絶対の神」も、それぞれの都合に併せて習合・合成されており、その取捨選択の微妙な違いに、宗教等を基にした民族差別が存在している、というのがなんとも嫌な感じがするわけですが。このような「合成神」の概念を初めて知ったので勉強になりました。文章は私にとってかなり難しかったので、今までで一番自身の無い訳となっています。拙い点は笑ってご容赦下さい。
あとは、ヘバト等の語源を調べて、論文もいくつか読んで思ったのですが、どうやら「Sius」というヘバトの別名と、「Dios」というゼウス系の神の名を「同じ語源」として纏めてくくろうとする傾向が強くて、若干呆れております。専門家がそういうこと言うなんて、誰もどっかのリケジョの論文に文句言うどころではない気がするわけで。要するに、どんな論文でも「論文なんて書いちゃったもん勝ち」というのが、いわゆる「専門家」の世界の流儀なのではないでしょうか、と思うくらいです(苦笑)。
また、簡単なイスタヌ女神をアップしてみました。ひげも無いし、スカートを履いているのに何故「男神」扱い・・・? というのはもう書き尽くしたように思いますので書きませんが。

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