ここ2,3日は甲骨文字のフォントをダウンロードしたり、資料漁りに走っていたわけで、ようやく必要な資料の収集のメドがたちましたので、せっせと整理整頓しております。その合間にちょこちょこと執筆もしています。
なにせ、甲骨文字をダウンロードしたことで、東アジア世界にまで遂に足を踏み入れたわけですが、おかげで
東アジアのことも調べなければならなくなった
ので、渭水あたりで道に迷っております。全然知らないところという点では、古代中国も古代エジプトも同じなわけで、漢字がちょっと読めるくらいでは攻略するのが大変そうです。なんというか
渭水って誰かの胃液とかじゃないよね?(涙)
とかそういう感じなわけです。
見てわかったことなのですが、甲骨文字というのは、確かに漢字の原型であって、現在の文字にどうやって発展したのか、素人が見ても分かるものもあるわけです。でも、当たり前といえば当たり前ですが
原型となった甲骨文字をそのまま今の漢字に当てはめようとすると、昔と今で意味が違っているので、
同じ字を字合わせしよう、
みたいな感じで読もうとすると、つまずくかな、と。今の漢字にそのまま直せるからといって、直しても意味がどうなの?みたいになることに気が付いたわけです。そうすると、昔の人が使っていた意味の文章に直そうとすると、また違う漢字を使うようになるから、
ややこしいかな
とそういう感じなわけ。それに、一つの甲骨文字から複数の漢字が発生している場合にも、どの字の意味で使っているのかを考えなければならないわけで。例えば、wikipediaの賈湖契刻文字を今の漢字に直すのは簡単なのですよ。
目小殳日
となるわけです。王道的に、というか誰でも見た漢字のままに書くと。でも、どういう意味かというと、また一工夫が必要なわけです。私はこういう感じで訳してみたわけです。
天は地上の悪魔を見ている。
でも、きっと「悪魔」と言われた方の人から見ると
天地人
としても訳せるのではないかと思うわけです。言葉というのは奥が深いものなのだと悟ったわけです。
天は皿の上の豚肉を見ている
でも良いのか? とも思いますが。でもこう訳すと「天」の方がけっこういやしんぼな感じになってしまいますなーー;。