今日は、外でいろいろな動きがあったようで、昼間、ひまわりの種を収穫していたら、誰かが
「こういうのを神サマって言うんだっけ?」
とか
「なんか、思ってたのと違う。」
って言うのが聞こえるわけで、むむむ、またどこかで褒められてる気がする? と思ったわけですが。で、それからしばらくして、お目付役が2番目の子を連れてきて、
「ともかく、冷静な判断ができる人が必要ですから、別に司令塔を置かせて頂きます。」
というわけです。むむむ、私だって冷静な人だと思いますけれども? と思ったら
「真面目な奥様は、見てはいけないPVを見て、夫を拷問にかけて、隠していることを自白させるような真似はしません。」
って言われてしまいまして。いーじゃん、兄さんはそういうことされて喜ぶ人なんだしさ、と思ったわけですが(苦笑)。で、それから更にしばらくたった後、
「2013年の年末の紅白の映像をネット上で探せたら、探して見て欲しい。」
という依頼が2番目の子から来まして。そもそも「紅白」は見てはいけないものですし、唄っているのも「誕生日には真白な百合を」という強烈な呪いの籠もっている歌ですし。でも、その時はまだ兄さんのお楽しみの時間ではありませんので、夜に探してみることにしたわけで。(というか、最近はどこのHPへ行っても、「昼間っから見るのをやめてくれ」とかそんなことを言われる気がーー;。)
で、お風呂に入っていたら、どうにも今回の件では、ムスリムの方々の期待が高いというようなことを教えて貰ったわけです。7世紀に成立したイスラム教は、歴史の上で、常に常に、直接的な暴力をもって東方に侵略してくる敵と、直接対決する防壁として戦ってきてくれていました。彼らのとってのジハード(聖戦)とは、彼ら自身の生活と神を守るためのものだったのです。だから、「神」とは彼らにとって、常に「守らなければならないもの」であったようです。
でも、昨今は敵の姿を見かけると、自分で直接対決を挑むような、暴発する神サマがどっかにいるようでーー;。その神サマはとっても復讐心が強くて、「守るべき者のためなら、自分が直接敵と戦う。」って言っちゃうようなので、「神自らが先頭に立って聖戦に赴くと宣言した」というのは、彼らの歴史にとって初めてのことであり、そのことに感動して力を貸してくれたいと思っている人たちも多いようなのです。
で、カアバ(KB)の夫婦神とは、お目付役的に言うところの「暴発娘」と「一番目の子」なわけですから、彼らは特に力の弱い夫神の方に力を貸してくれようとしているようです。彼の目がここのところ急成長しているのはそのためだと思う。(私の方は、本当にその気になればアナ雪の映像ですら、自分の力として利用できるような悪食なものですからーー;。)そして、彼らは兄さんには、かつてエルサレムから敵の勢力を追い払ったサラディンのような軍神の姿を期待しているらしいです。っていうか、ちょっと待って。それは私たちにメッカのカアバ神殿やエルサレム大神殿と結縁しろってことですか?@@ って言いたくなるわけですが、それは彼らの究極的な希望としてはそうなるらしいです。
蛙の人たちのお偉方の当初の意向は、「ともかく女神は国外に出すな。」ってことだったわけですが、要するに、家で守られているしか能のない神であるならそれで良い、でも神々を本来有るべき場所へ戻せるだけの力があるならば国内だけでもそうすれば良い、そしてそれだけの力があって、更に外国にも神々があるべき場所へ行って、その魂を戻す力が更にあるならば、そうして欲しい、ってことらしいです。ってことは、いずれエルサレムへも行って欲しいってそういうことなんですかねえ? となるわけで。
そうすると、兄さんが言うわけです。これだから、みんなのお願いをいちいち聞くことはできない。人々は力ある神が現れれば、つい期待していろいろな願いや希望を抱くけれども、神の方にそれだけの力量があるかどうかは考えてくれないから。今のエルサレムなんて、世界でも最大級にやばいところで、そこに行くくらいならローマに行く方がまだ楽だ、と。
それで思い出したのですけれども、私は昔リドリー・スコット監督の「エルサレム」という映画のDVDを持っていまして。で、これは十字軍派遣の上に建設されたエルサレム王国とサラディンの戦いを描いた映画で、サラディンがすごく良い人物として描かれているわけです。「スコット」というのはお味方の名字ですし、いろんな事態が始まる直前まで、私は彼が関わっていた「グッド・ワイフ」というテレビドラマをずっと見ていて、そこには「外に出るとき(特に裁判所へ行くとき)にはスカートをはいていかなきゃ駄目」とか、いろんなヒントがあった気がするわけで。要するに、彼はいずれ私に、「エルサレム」へ行けるだけの力有る神となって欲しい、という願いを込めてあの映画を作ったのだと思うのです。この映画のDVDは捨ててしまいましたが、いつかそれだけの実力がもしつけば、これも「買い戻せる」もののうちに入るのだと思うのです。でも、この映画の主人公は創価なオーランド・ブルームなんで、それすらも使いこなせるだけの実力がなければ、手にしてはいけないものでもあるわけで。そっかー、そういうことなんだー、と分かったわけです。
夜になって、2013年末の紅白の映像はNHK版が韓国のサイト、台湾版が中国のサイトで見つかったわけです。この時は福山君の時だけ、横浜パシフィコのライブ会場から紅白と台湾に中継ということで、三元中継とかってニュースで見た記憶があるわけで、要するに台湾版とNHK版の映像があるわけです。(映像が韓国のサイトや中国のサイトで見つかるあたり、本当にアジアで愛されている兄さんだな、とは思うわけですが。まあ、日本のサイトでは著作権とやらに引っかかりそうな案件でもあるので、見つかりずらくはあると思うのですけれどもねーー;。)そして、2番目の子が言うわけです。それは、見てはいけない番組、聴いてはいけない曲という呪いまみれの動画だ。それでも、それを乗り越えて自分のものとして使えると思いますか? と。それで私の方も悟ったわけですが、結局「外国へ出ること」というのは、これを使うことなんだな、と思ったわけです。そういう呪いを乗り越えられる者でなければ、外へ出るような力はないものであろうし、それで誰もが満足しなければならない結果なのだと。特に台湾版は、中国語の字幕とかがいっぱい入っていますから、更に「日本」というものだけに集中していなければならない立場のものにとっては、危険なものです。
で、まずは両方見て見たのですが。台湾版の方は、福山君がインタビューで「来年はドームツアーと台湾、香港でツアーをやります。」と言っていて、「あー、もうこの時、五大ドームツアーを楽しみにしてくれてたんだなー。」と思って(まあ、営業でもあるわけですが)。五大ドームツアーが始まった時、すでに白鳥兄さんは毎日のように私のところに遊びに来てくれていて、初日が終わったときに興奮さめやらぬ様子で飛んで来て「終わった」って言ってハグしてきたわけで。当時の私は何故兄さんがそんなに私に懐いてくれているのか分からなかったわけですが、福山君ほどの人が、そうやってライブが無事終わった喜びを分かち合いたいと思ってくれたことがなんだか嬉しくて、それがあったから五大ドームツアーは私にとってもとても思い出深いツアーでしたし、初日の次の日に台湾とかのネットメディアでその様子を取り上げてくれて、それは「見てもいい」って言って貰って見ることができて嬉しかったのもよく憶えているのです。だから、2012年末のMステスーパーライブ、2013年末の紅白の台湾版は、2014年に入ってから、五大ドームツアーを経て、白鳥兄さんが毎日のように遊びにくるようになって今に至るまでの期間を埋めてくれる、二人の大切な思い出になる映像だと思うのです。だから、これはありがたく使わせて頂きたいと思うのです。まあ唄っている兄さんは、「こんな姿見られたくないのに」って顔をして唄っているわけですけれどもね。そして、いずれその時が来たら、私も外に出るのであろう、という決意に返させて頂ければと思います。
(でも、現実的にはそういう采配は兄さんが振るうでしょうし、兄さんは100%安全だという確信が持てねば、私をどこにも連れ出しはしないでしょうから、現実的には全て兄さん(と他の二人)にお任せということになるのでしょうが。でも、きっと、最近の福山君が海外での仕事を増やしているのは、いずれそうなるかもしれない、という将来を見越して、あちこち露払いして歩いているのではないのかな、とやっと気が付いたわけですが。)
私が福山君の動画を見ると、兄さんはぐでぐでしちゃいますので、要するに私の意思確認の作業の司令塔には、冷静な2番目の子が任命されたわけだ。なるほどね。