本日の日誌

本日は朝から普通に作業して。昨夜雨が降って、陽気がだいぶ秋らしくなってきたので、過ごしやすい一日だったのでした。作業はだいたい、乙87のあたりまで。ここまで来れば、写真集も整理もあと少し、ということで。遅くても来週の頭には完了するはず。昨日まで暑かったので、疲れて、昨夜はお風呂に入って、夕飯を食べた後、寝落ちしてしまい、目が覚めたら夜中の11時半であったので。そのまま寝る支度をして、また寝てしまって。

で、お外組(母と姉)は、いつも通りで。だいたい毎日アスファルトガラとか出てくるわけですが、どう見ても細かく砕いたものも出てくるわけで。「中間処理施設」から持ってきたんだよね? これね? と、それを見る度に思う。私達の顔を見て嫌な顔をする時点で図々しいでしょ、と思う。

で、中居君が司会をしている「のどじまんTHEワールド」という、外国の人が日本の歌を歌う「のど自慢大会」を始めて見て。いろんなところから、いろんな人達が来ていて。割とお味方の良い人達が多かったわけですが、なんか「お前なんか首だけになってしまえばいい」とか、強烈なことを言ってた人もいたような気がするわけで@@。それは、死ぬまで嫌、というか死んでも嫌というかー;。で、やっぱりケルトの人達の「声」は良く届きやすい気がするわけで。で、割と、「神話というのは、起源が非常に古いので、人類が人類になる前の記憶を引き継いで語られることも多いから、その点に注意すべき」と言われる気がするわけで。で、「あなたの目は、とても古い目なので、昔はそういう目の人はもっといたし、7番目の兄さんも初めて人として生まれた時は、あなたと「同じ目」を持ってたはず。今は持っていないけれど。」と言われる気がするわけで@@。で、ヨーロッパを中心にかつては、(4万年くらい前までは)ネアンデルタール人がいたわけで。高等類人猿であるネアンデルタール人は、遅くても2万5千年まえくらいには滅びてしまったと言われている。でも、彼らはホモ・サピエンスと混血していて、その遺伝子は人類の中にも1~4%含まれていると言われている。だから、ヨーロッパの古い民族(白人)の血が濃い人ほど、ネアンデルタール人の血が濃いってこと??? と思うわけで。

で、ネアンデルタール人は、「共食い」というものをやってたわけです。でも、当たり前に人肉を食べていて、それが常食である人達は、「人肉の毒に強くて人肉中毒にならない」と言われる気がするわけで@@。現在の人類であるホモ・サピエンスの恐怖と狂気の原因である「人肉には麻薬と同じ効果がある」ということは、ネアンデルタール人には当てはまらない、と言われる気がするわけで@@。要するに、人類の一部には、ネアンデルタール人の形質を、他の人よりも強く受け継いでいて、人肉を食べても平気な人もいる、そういう人達は「目の力」が、ホモ・サピエンスとは異なる。では、彼らは、人間なのか? それとも人間じゃないのか? と聞かれて、ドン引きするわけで@@。要するに、神話とか民話の中に出てくる、「(神も含めて)人ならぬもの」に対する畏敬の念とか、恐怖の念の中には、かつで人類が他の高等類人猿に持っていた畏敬や恐怖の念も含まれる。他の高等類人猿と人類は、混血できるけれども、彼らは人類じゃなく、人間でもない、と言われる気がするわけで@@。だから、ホモ・サピエンスが人類以外の高等類人猿と混血すると、そもそも人類とは異なる形質、異なる「目の力」を持っている子も生まれてくる。そういう子供は、人類が普通持っていない性質を産まれながらに持ってたりする。そうすると、その子供は「特別な子供」として「神」とされるか、あるいは「人間ではないもの」として差別の対象になることになる。宗教や神話は、そういう混血児達の持っていた性質からも発生している、ということを理解する必要がある、と言われる気がするわけで@@。

で、それが私と何の関係が? と思うわけですが。要するに、ヨーロッパは新興のゲルマン民族が、今は主流であって、階級社会の頂点にいる。一方、古い時代からヨーロッパに住んでいる人たちは、隅っこの方に追いやられているし、差別の対象にもなる。しかも、ヨーロッパで、今はびこっているキリスト教は、「人間には魂があるけれども、動物には魂がない」と言って、ホモ・サピエンスだけが「特別」である、とあからさまに言ってる。では、ネアンデルタール人の血が濃い「人食い」の人々は、人間なのか? それとも動物なのか? と言われる気がするわけで@@。そこにある根底の思想は、ホモ・サピエンスが、平気でかつ正気で人を食べるネアンデルタール人に対して持っていた、畏敬と恐怖と差別の思想ですよ、と言われる気がするわけで@@。今は、純粋なネアンデルタール人はいない。でも、その血を受け継いで、形質的にもそちらに近い人達も一定数いる。人を食べても平気な彼らは、畏敬と差別の対象になる。彼らに対するホモ・サピエンスの感情は、民族差別でもなく、人種差別でもなく、「人間が動物を差別するのと同じ感情に等しい」と言われる気がするわけで@@。キリスト教や蛙の王家は、そういう人々の感情も巧みに利用して、世界を支配している、と言われる気がするわけで@@。

で、私には、ヨーロッパの古い民族の人々の声は届きやすい。でも、アフリカ系の人の声は届きにくい。なんで、アフリカ系の人々の声が届きにくいかといえば、そもそも、人類はアフリカ発祥であって、アフリカから出て、中東地域に進出したときにネアンデルタール人と混血して、その子孫がヨーロッパ、アジアに展開している。だから、アフリカ系の人ほど、ネアンデルタール人の遺伝子が少ないのだと思う。要するに、私の「目の力」は、「人食い」のネアンデルタール人に近い目の力で、純粋なホモ・サピエンスの声ほど「届きにくい」、それが例え親戚であっても、ということらしくて@@。だから、ケルトの人達の毛尾が届きやすくて、アフリカ系の人の声が届きにくいんですかね?? と思う。私自身が、「人間」ではなくて「猿」だから? とかって思うわけですが-;。

でも、ホモ・サピエンスの繁栄の一番の原因は、結局は、その高い繁殖力によるものでしょ? と言われる気がするわけで。しかも、簡単に人肉中毒に陥るようなバランスの悪い精神形質を持ってる。だから、ほっておくと、彼らは簡単に狂い、狩りをさせれば獲物が絶滅するまで狩り尽くし、農業をさせれば開墾と偏った植物栽培で環境を破壊する。すなわち、ホモ・サピエンスは、その本性のままに行動させておいたら、鼠やイナゴの大群のように、世界を食い尽くして自らも共に滅びるまで、それを止められない。だから、例え「人間の目」を持っていなくても、正気の者に世界を計画させ、形作っていかなければ、人類に未来はない。富の王家の先祖は、4000年ほど前にそれに気がついて、蛙の王家の作った「三兄弟の契約」を書き換える道を模索し始めた、と言われる気がするわけで@@。うへ、と思うというか、それじゃ私自身は「人間」なのですかね? 富の王家が求める「猿の惑星の猿女王」なのですかね? と微妙な毒が出るわけですがー;。

でも、そうすると、兄さん達からは、「そうは言っても、あなたが最近、やっと自分の「ルーツ」である中国の歴史について勉強する気になったのは、親戚の声が届いたからじゃなくて、7番目の兄さん個人に対する好意の気持ちからだけでしょ?」と言われる気がするわけで。それは全くその通りなわけで。親戚といえども、アジア圏の人の声も、微妙には届きにくい。要するに、その人達とも「目の力」は近くないようで-;。

「歌合戦」の方は、「真のキリスト教徒」な人達からは、「命は誰でも一つ持っていて、みな身分の違いに関係なく、公平で平等です。その思想こそが「神の愛」ですよ。」言われる気がするわけで。でも、富の王家の先祖の「悲願」をかなえるのは、直系の富の王家なのですかね? それとも大名家なのですかね? って、まず上の方ではそこがせめぎ合うんじゃないの? と思うわけですが。まあ、蛙の王家の方は、「人類がみな平等」とかって言ったら、それは「凶悪な無政府主義者の思想」くらいに思ってそうである。大きなお世話ですなー;。