今日もけっこう暑かったです。で、庭にあるアマランサスに、見たこともない毛虫がいて。虫も、何を食べて良いのか困っている風情であって。写真にだけ撮って、片付けちゃったわけですが。誰かが入れていったんだろうな、と思う。で、茶色警備隊に、パン屑をおごってら、「鳩がどうの」って言ってクレームをつけてきた隣人が、これみよがしに、家の前の私道を、前の家の側を通って歩いていて。不法侵入で通報されないための用心なのかと思った。まあ、無視してたわけですが。
お外組は今日は普通に仕事をして。私の方は、まあ、「ノルマをこなした」と言えば、言えると思う。ともかく、丙6号証のあたりは、終わりました-;。
で、トラキアの出土品の図録が届いたので見て見る。トラキア(ブルガリア)はスキタイの最西端といえ、いろんな民族と混じってますが、「尾が蛇の女神」の図像とかがあって、それがスキタイと共通してるわけです。古代ギリシャでは、この女神をエキドナと言った。そして、ヘロドトスはスキタイは、アジア出身の部族、と言っています。でも、歴史的にはスキタイは、黒海周辺、今のウクライナとか南ロシアで活動していたのが有名であって。で、遊牧民としては、西のスキタイ、東の匈奴、という感じであったらしい。でも、彼らは男系のはずなのに、何故「女神信仰」なんだろう? と思う。エキドナの起源は何なのだろう? とも思う。エキドナは「河の女神」ともされていて、蛇が「河の神」である、というのはどこでもよくある話である。そうしたら、7番目の兄さんに、「エキドナ」は「女カ」でしょ。と言われる気がするわけで。女カは、中国の有名な蛇女神である。でも、スキタイの女神と女カとどこで繋がるのか? と思う。モンゴルとかは、土俗的な女神信仰とか聞かないし?? と思う。
で、スキタイの一番古い古墳は、モンゴルの北、シベリアの凍土の中にあるらしいです。昔は今よりも暖かったから。だから、スキタイの起源は、東アジアにある、と確定的なんだと思うのです。で、起源的には匈奴とも同じなんじゃないか、とか言われ始めているらしい。でも、エキドナの役割は? と思う。そうしたら、4番目の子に「その人達は男系でも女神信仰でいいんですよ。高句麗のチュモンの母親は、河伯の娘のユファでしょ?」と言われる気がするわけで@@。要するに、「男性の太陽神と河の女神との間に生まれた子供が王族の先祖」という伝承がある、という点で、スキタイと高句麗は同じ、と言われる気がするわけで@@。高句麗も騎馬民族の建国した国である。
で、スキタイの一番古い古墳であるアルジャン古墳から出てきた副葬品の写真を見ていたら、「馬がだんだん豚(猪)に変わっていく」、というモチーフがあって。「馬と豚が一体化してる」といったら、遼河文明の初期の「猪龍」なんじゃん? と思う。馬を使用し、男系だけど、河の女神を先祖と仰ぐ思想を持つ「遊牧民の文化」の一番の源流は、遼河文明にあるのではないか、と思う。スキタイも、匈奴も、高句麗の先祖も、そこから出たものではないのか、と思う。彼らは「鹿」も大好きであって。高句麗の先祖も「扶余(鹿)」をトーテムにしてる。だから、印欧語族の先祖は、中国東北部からモンゴル、シベリア辺りに住んでいて、彼らの一部は南下して、中国の人々と混血・習合して「黄河文明」を作った。他の人達は馬をどんどん乗りこなすようになって、しまいにはヨーロッパにまで移動した。黄河文明の側の人々は女カを作り、ヨーロッパ側の人々はエキドナを作った、ってそういうことなんだなー、と思う。いつか、考古学的にも、スキタイを辿ると、「遼河文明」にたどり着く時代が来るのではないか、と思う。