本日は天気予報では午後雨とあったのですが、晴れていて。お外組はいつもの通り作業をして。だいたい、まだ外の土を中へ持ち込んでいて。
私の方もなんとかノルマはこなして。あとは、調停に付されるかもしれないので、調停のことをちょっと調べたり。調書の異議申し出の書式を調べたりして。写真の整理もしております。
あとは、KAT-TUNのDVDとか見て、ちょこちょことヒントを貰う。田口君にはいつも、申し訳ないと思う、というか頭を上げられない、と思うわけで。いつか、みんな幸せになれればいいなあ、と思う。
で、歴史関連の本が1冊、家に届いて。何故、世界を知るのに、歴史と神話の両方を知る必要があるのですかねえ? と思う。そうすると、7番目の兄さんに、「神話とか民話は精神的なもので、歴史とは物質的なものでしょ。」と言われる気がするわけで。歴史の方は、いつ誰が何を建造したとか、誰がどこを征服したとか、誰がどれだけの権力や富を持っていたのか、とか物質的なものである。でも、神話とか民話は、必ずしも現実の事実とは一致しなくて、人々の希望とか考え方とかの精神世界を反映している。精神と物質は表裏一体のもので、現実的にはどちらかといえば物質の方が重要、と言われる気がするわけで。だから、昔の人の信仰の世界は、「豊穣の祭祀」に関わるものがものすごく多いわけで、「食」という物質を恒常的に得ることを、人々がどれだけ渇望していたかが分かるでしょ、と言われる気がするわけで。だから、お寺とか神社とか神殿とか、神像とかそういうものは、人々の精神世界を「現実の物質」で現して、目に見える形にしようとしているもので、精神世界と物質世界を結ぶものとして重要、と言われる気がするわけで。要するに、各地の人々の精神世界と物質世界を勉強して、人々が何を望み、日々生きているのかを知りなさい、ってことですかねえ? と思う。で、今日はちょっと「魔女狩り」に関する本が入って。割と、「魔女狩り」の結果の魔女の火刑が、庶民にとって娯楽化していた、みたいなことが書いてあって。ちょっと書きすぎなんじゃないかなあ? と思う。
実のところ、ヨーロッパ以外のアフリカとかアジアでは、今も、というか今だから、というか「魔女狩り」というものは存在してる。だいたい、そういうところには、キリスト教の教会があって「魔女は死ななければならない」と当たり前のように言われてるんじゃないの? と思う。でも、その「魔女」の定義とは曖昧というか、荒唐無稽であったりする。で、その実行部隊は、というと、だいたいあんまりその土地の真面目じゃない人たち、というか、酒飲んでたりして、あんまりまともな思考がないように、悪が更に悪になるように操作されてたりする。一方で、宗教が、一方で薬物が、人々のまともな考え方を奪って、他人を虐殺したりするようなことを平気でやらせるようになってる。
で、特にスキタイについて資料を集めるように、と言われる気がするわけで。スキタイとは、紀元前900年くらいから、中央アジアで活躍していた遊牧民である。でも、彼らの遠い先祖は、もっと東アジアに住んでいて、「北狄」と呼ばれていた、と言われる気がするわけで。彼らの先祖の一部は、古代中国で、農耕民と合流して黄河文明を形成したと思う。でも、中央アジアに近い地域に住んでいた人たちは、次第に西方へ移動して、スキタイを形成し、印欧語族の先祖となっている。というよりも、印欧語族の先祖がそのまま時代が下って、スキタイを形成した、という方が正しいのかもしれないけれども。彼らは魂の不滅を信じてた。そして、たぶん人が死んだら天国に行くと思ってたと思う。そして、占い師が間違った占いをすると、特に火刑に処してた。古代の「占い」というのは、神の言葉を伝えるシャーマンに他ならないので、要するに、「偽りをのべるシャーマン」は火刑にされた、とみるべきであると思う。要するに「宗教に関することで、偽りや、人々を惑わすことを述べる者」は「火刑にすべし」という習慣を持ってた。そして、彼らは祭祀の時には、酒と阿片と大麻でラリってた。そういうもので、正気を失い、薬物による一時の快楽を「魂の不滅」と呼んで、死を恐れず、虐殺と略奪を、何の良心の咎めもなく行ってた。印欧語族は他に、寡婦を生きたまま焼く、という「寡婦殉死」とか、生け贄を火刑にする習慣があったので。「魔女狩り」における「火刑」とは、「宗教的不敬」と、「人身御供」「寡婦殉死」における「火刑」がないまぜになったもの。最初は、弱い立場の貧しい女性が、スケープゴート的に狙い撃ちにされたもの、と言われる気がするわけで。だいたい、そういう騒ぎには「酒」がつきものだし、キリスト教化された後は、教会が酒作りの専売特許を持ってたみたいなところもあって。酒が庶民階級にも広く浸透して、人々が精神的に荒廃しているところを、酒や金を餌にして煽れば、魔女狩りはたやすく可能になる、と言われる気がするわけで@@。
でも、その前に、誰がスキタイの人々に、阿片や大麻を持って、それと引き換えに「自分達のために、世界を略奪し、征服して来い」と言ったのかを知らねばならない、という気がするわけで。
だいたい、妙な「建築士」が、何故、自分の理論の「証拠」を出して来ないのか、ということになるわけです。それは、それに対して「きちんと反論されたら困るから」でしょ? と思う。でも、裁判には「最終弁論」というものがあるので、いくら邪魔しても、そこにはねじ込めますよ? と思う。というか、反論を兼ねた文章は、次回の次回に出します。というか、「証拠」を出さないことは、「それを工事期間中に告知したことはなかった」すなわち、告知義務違反である、って一言書いたらそれで済むんじゃん? と思う。まあまあ、「消費者の権利」がどこまで通じるのかやってみましょう、と思う。ともかく、そういうことで、蛙の王家は、私が「魔女狩り」の本を読んだりするのは腹が立って仕方がないらしい。というか、あんた達は、「一服盛って、まともなことを考えられないようにする」ということを、身内にもやるでしょうが。私は、「身内にはそういうことをするなんてよろしくない」なんて言う気はない。身内だろうが、他人だろうが、やっちゃならんことは「ならん」とそれだけのことだと思うわけです。世界史の本を買うと、そういうことが分かるようになるらしいです-;。