本日の日誌

台風くずれの熱帯低気圧が来ていて、雨が降っています。

昨日、今日は、お外組はいつもの通り仕事をしていて。私はなんだか貧血っぽくてダラダラしていて。でも、今日の午後はけっこう頑張って書類を書いたのでした。

で、毎日買った本が届くわけですが、今日は信教出版部の「菅江真澄の信濃の旅」が届いて。「神道集」は中世の諏訪信仰が垣間見える資料ですし、「菅江真澄」は江戸時代の諏訪大社の祭祀の様子が書いてある貴重な資料であって。読んでみたいとは前々から思っていたわけですが、ローカルな資料は手に入れるのが難しいので、口語訳が入手できてうれしいです。でも、ともかく細かい本がたくさん手に入ったので、なんだか疲れた時に、気分転換で1頁くらい拾い読みしてみると楽しい気がします。あまり長文を纏めて読む気になれないので。

私が思うに、槃瓠と黄帝とゲイの物語は、中央アジアで書く部族に爆発的に広まって、しかもそこで、物語の骨子はそのままで、各部族の英雄に合わせて話を作り替える、というような「創作」の手法も確立されたのだと思う。それで印欧語族が西欧に展開すると、さまざまな民話も生まれるけれども、一部は神話となり、キリスト教時代に入るとそれが「中世の騎士物語」へと変化するわけで。架空の人物が主人公のフィクションにも、実在の人物をモデルにしたノンフィクションにも「英雄物語」の骨子は利用されるわけで。

で、実家から本を持ってくるときに、7番目の兄さんから「義経記」を持ってくるように言われて@@。7番目の兄さんに、「これは室町時代初期に作られたものだけれども、義経は悲劇の英雄で、各地を転戦しているし、最初の妻である河越百合は誠実な女性だけれども鎌倉から押しつけられた妻だし、2番目の妻である静御前は後白河法皇から送り込まれた白拍子であって、義経の心は二人の女性の間で揺れ動く。百合は同じ武家の女性だけれども、静は違う世界の女性である。義経は最後は百合の所へ戻るわけで、余生は奥州で百合と過ごす。「これは伝統的な英雄物語のパターンでしょ」と言われる気がするわけで@@。この作品は「判官贔屓」という言葉を生んだほど有名なわけですが、なんで、「中央アジアの英雄譚」のパターンが室町初期の日本に現れたのですかね? と思う。そうしたら、「鎌倉末期に元寇があったから。当然、戦い以外にも、相手が何者であるのか探るために、スパイが送り込まれるでしょ。元は、モンゴルの騎馬民族が作った国だから、当然「英雄物語」のパターンや作り方はスパイが彼らから仕入れたもの。」と言われる気がするわけで@@。しかも、「「義経記」は武家である義経を美化しているから、公家が書いたものではない。頼朝のことを暗に非難しているわけだから、これは鎌倉幕府に批判的であった武家が、鎌倉幕府批判のプロパガンダのために作ったもの」と言われる気がするわけで@@。「義経美化のその精神は、鎌倉初期に作られて、武家批判に終始している平家物語と比べたら、あからさまでしょ。」と言われる気がするわけで@@。兄さん、「義経記」が、鎌倉幕府批判を目論む有力武家のいずれかが意図的に作ったものであるのならば、高師直は、その成立に大きく関わってるでしょ? と思う。兄さんには、「中央アジア式の英雄物語の西の傑作が「アイヴァンホー」なら、東の傑作は「義経記」でしょ?」と言われる気がするわけで。室町時代の日本は、ちゃんと世界と繋がってたんだなあ、と思う。というわけで、「義経記」も一応持ってきて。

で、月曜日は父親が病院で検査を受ける日なわけで。どうも、医者めが、悪い? とは言いませんが、出鱈目なことを言い散らしていたらしくて。で、診療時間の2時間前に来い、と電話で言われてたので、親に言ったら、「いつもは1時間前に来い、って言われるのに」と私に文句を言うわけで。私はそういうことに興味、関心がなくて、あまり気にして無くて聞き流していたのですが。でも、裁判の証拠で「日記」というのは受けが良いようですので。「事実何があったか」はしっかり書いていこうと思う。一生懸命やるかどうかは別として、出鱈目を並べ立てる医者を甘やかさなきゃならない理由もないので。市立病院なら、後で損害賠償を請求するにしても、取りっぱぐれはないでしょうし-;。どちらを向いても、出鱈目な人間ばかりの嫌な世の中である;。