本日の日誌

ええと、一昨日、7番目の兄さんに、「黄帝」の長江文明側の子孫が良渚文化の王や、苗族の人達であるとすると、黄河文明側の子孫は? と聞かれる気がするわけで。さあ? と思う。

で、お外組は毎日仕事をしていて。私は昨日は書類の枚数をせっせと数えていて。で、思い切って、バートン版の「千夜一夜物語」を全巻買えと言われるので買って。

で、親と一緒に夜中過ぎまで頑張って寝て。朝、ご飯を食べながら「ブンブブーン」を見ていたら、7番目の兄さんに、ふっと「ケサル大王伝」だけ買っておくように、と言われる気がするわけで。それはチベットの英雄伝説らしいです。で、追加で注文して、どういう物語なのか調べていたら、ケサル大王という英雄が、人食いの王とか悪者を倒して仏教を各地に伝える、という話らしくて。で、中央アジアには、広く、「優れたところを示して高貴なお姫様と結婚し、人生の大部分を人食いの悪者との戦いに費やし、異民族の王女を伴って国に帰ってくると、奥さんは他の男に言い寄られて困っている」という話の英雄譚があちこちにあるらしくて@@。ケサル大王伝もそういう話の一つである。だいたい、文献的な古代ペルシャの英雄達が、イスラム教化以前の英雄であることは明らかなので、中央アジアに分布する英雄譚が全て同起源で同じくらい古いものであることは明らかである。そういう英雄達は特定の氏族の先祖であることもあるし、そうでないこともある。何故? と思うと、中央アジアの遊牧民は、個々の氏族だけでは血統を維持できなくて、遺伝子だけ旅人のものを貰う、ということがままあるので、一族の中の誰かが「英雄」の子孫であるかもしれない、ということはままある。そういう曖昧さは代が下るほど曖昧になるので、中央アジア全体に、「先祖であったり、先祖であるかもしれない英雄」の話が分布することになる、と言われる気がするわけで@@。

そういう物語は、中央アジアに住んでいた印欧語族の先祖も持っていて、彼らはそれを西欧にも持ち込んで、ペルセウスやテーセウスといった英雄神話になっているんだなあ、と思う。そして、キリスト教化が始まると、「先祖の神」に対する信仰が禁じられるし、「先祖が犬だの馬だのあり得ないでしょ」とトーテムを否定されれば、それも事実であるので反論できない。だから、神格化された先祖の英雄の物語は、再び「人間の英雄」の物語として焼き直され、アーサー王物語とか、ニーベルンゲンとか中世の騎士物語へと移行する。「英雄」に相当する「登場人物」は架空の人のこともあるし、実在の人物を元にしてることもある、と言われる気がするわけで。そういう物語の主題は、英雄が優れた資質を示すことと、二人の女性との三角関係である。キリスト教化された後は、ヨーロッパでは一夫一妻制が理想とされるので、太古の一夫多妻の英雄は、「理想の英雄」であるために一夫一妻の英雄に焼き直されるけれども、元のモデルが「奥さんが二人いた英雄」だから、この「三角関係」をどうやって表現するのかが、作家の腕の見せ所になる、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの騎士物語はこのように発展してきたものだから、中世から近代の作品まで、古代の英雄譚を投影したものはいくつもあり、「黄帝」の事業を褒め称える作品は味方のもの、そうでないのは敵のもの、とみな区別していたらしくて。でも、中央アジアの英雄譚は我が家からは、「読んではいけない本」にあるのがほとんどであって。要するに、なるべくその物語を私が知らないように仕向けてあるらしくて。仕向ければ、槃瓠とゲイと黄帝は同じ者で、それが一体となった伝承が中央アジアからヨーロッパに移動している、って私に分かりにくくなるからなのだと思う。要するに、黄河文明側の黄帝の子孫は、良渚文化が拡がるにつれて圧迫され、中央アジアに流出している。長江文明側の子孫で、良渚文化に迎合しない人達は中国の南端に追いやられて、東南アジア方面にも流出している、ってそういうことね、と思う。長江文明側の子孫は犬の英雄先祖の伝承を残したけれども、黄河文明の側の英雄は正義と平和のために戦い続けて、家庭生活にあんまり恵まれなかった英雄譚を山ほど残している、ということらしくて。「兄さん、なんだか女運には恵まれてなかったのね;」と思う。

で、郵便を出しに行って、帰って来てお昼に「ブンブブーン」を見ていたら、某イングランドのおばあちゃんが、ブスブス怒って「ケサル大王伝」まで行き着いたら、すぐに「アイヴァンホー」を思いつくのが普通、って言ってくるわけで@@。アイヴァンホーって言ったら、身分の高いロウイーナ姫と結婚しようと頑張るウィルフレッドが、一生懸命働いて、異民族の娘のレベッカが悪い男に食い物にされるのを命を賭けて助け出して、まさに、「近代の黄帝譚の最高傑作じゃないの、婚約者に対して「女運に恵まれてない」とか嫁入り前の小娘が生意気なこと言ってるんじゃない」と怒られる気がするわけで@@。はい? というか、おばあちゃんは「アイヴァンホー」が好きなんですね? 要するにねえ? と思う。あんまり怒らせて国際問題に発展するとまずいので、早急に注文する-;。

で、FNS歌謡祭を夜に見ていたら、相変わらずのミュージカル特集であって。「レ・ミゼラブル」とかやっていて。これも昔は持ってた。捨てちゃったけど。で、ぼーっと見ていたら、登場人物の中に「エポニーヌ」という女の子がいた。「レ・ミゼラブル」の後半は、フランス革命とその狭間で揺り動かされるマリユスとコゼットの恋物語である。マリユスはお金持ちのお坊ちゃまで、コゼットは養父のジャン・バル・ジャンに大切に育てられた賢い女の子だけれども、結局はただの孤児である。エポニーヌは、コゼットの幼なじみで、貧乏で教育も躾もうけていない下層階級の娘である。でも、純粋なところがあってマリユスのことを本気で好きになるけれども、相手にして貰えない。革命に参加したマリユスは、銃に撃たれて殺されそうになるけれども、エポニーヌが彼を庇って代わりに死んでしまう。重傷を負ったマリユス君はジャン・バル・ジャンに助けられて、結局コゼットとめでたく結婚できる。そして革命も成就する。ぎくっと思うけれども、「エポニーヌ」とは「エポナ」のことである。要するに、エポナを生け贄に捧げて、マリユスとコゼットの愛は成就する、そしてフランス革命も成就する、ってそういう話だよねえ、これ? と思う。だから、これは「敵の物語」なんだ、「生け贄を肯定しているから」と気がつく。西欧の文学とは、こうやって敵と味方に分かれて発展してきたんだなあ、と思う。だから、味方の物語を選んで家にいれないといけないらしい。そして、そういうものを読んで、「生け贄反対」の精神を自然と学ばなければいけないものらしい。

で、FNSを見て、寝る前にふっと「ジプシー民話集」という本が目に付いたので、読んでみたくなった。第1話は、「牛飼いの若者が真面目に勇敢に働いて、竜の生け贄にされそうになっていたお嬢さんを助けて結婚する」という話だった。これは、オズボーン・ブーツとオーディンのユミル退治が分離する前の物語だし、女性が一人に纏められてしまっているけれども、中央アジア由来の英雄譚の流れを組む話である。

私だったら、「貧しいけれども、勇敢な羊飼いの若者が狼や猛獣から主人の羊をよく守ったので、働きが認められて婿に迎えられた。今度は隣の家の娘が、人食いの竜の「妻」という名目の生け贄にされることになったので、娘を気の毒に思った若者は、竜と戦って竜を倒し、こちらの娘とも結婚した。竜の体は硬くて、役にたったので、若者はこれを家の材料にしたり、境界の柵にしたりして、人々のために使った。若者は第一夫人の家と第二夫人の家を行ったり来たりして、どちらの家も子供に恵まれたが、第二夫人の実家の者は身分の低い若者のことを嫌っていた。そこで、孫が大きくなると、孫息子をそそのかして父親を殺させた。孫息子は、「自分こそが父親の正当な跡継ぎだ」と言って、第一夫人のところにいる兄達の財産も奪って、兄達を追い出してしまい、一帯の王となって君臨した。」という物語を書くと思う。

この物語の中に、オズボーン・ブーツも、オーディンのユミル退治も、槃瓠も、ゲイも牽牛織女も黄帝も全部収まる。アイヴァンホーなんてメロドラマでしょ、って言ったらものすごく怒られたわけですがー;。でも、「七夕の王子様」に選ばれてなんだか嬉しそうな4番目の子と、あんまり嬉しそうじゃない7番目の兄さんを見てると、「今生でも女運があんまりよろしくないかもー;」と思うあたくしがいるわけですがー;。こういう性格でごめん、と思う。でも、まあ、お勉強はできる範囲で頑張りたいと思うわけです-;。

本日の日誌

ええと、一昨日、7番目の兄さんに、「黄帝」の長江文明側の子孫が良渚文化の王や、苗族の人達であるとすると、黄河文明側の子孫は? と聞かれる気がするわけで。さあ? と思う。

で、お外組は毎日仕事をしていて。私は昨日は書類の枚数をせっせと数えていて。で、思い切って、バートン版の「千夜一夜物語」を全巻買えと言われるので買って。

で、親と一緒に夜中過ぎまで頑張って寝て。朝、ご飯を食べながら「ブンブブーン」を見ていたら、7番目の兄さんに、ふっと「ケサル大王伝」だけ買っておくように、と言われる気がするわけで。それはチベットの英雄伝説らしいです。で、追加で注文して、どういう物語なのか調べていたら、ケサル大王という英雄が、人食いの王とか悪者を倒して仏教を各地に伝える、という話らしくて。で、中央アジアには、広く、「優れたところを示して高貴なお姫様と結婚し、人生の大部分を人食いの悪者との戦いに費やし、異民族の王女を伴って国に帰ってくると、奥さんは他の男に言い寄られて困っている」という話の英雄譚があちこちにあるらしくて@@。ケサル大王伝もそういう話の一つである。だいたい、文献的な古代ペルシャの英雄達が、イスラム教化以前の英雄であることは明らかなので、中央アジアに分布する英雄譚が全て同起源で同じくらい古いものであることは明らかである。そういう英雄達は特定の氏族の先祖であることもあるし、そうでないこともある。何故? と思うと、中央アジアの遊牧民は、個々の氏族だけでは血統を維持できなくて、遺伝子だけ旅人のものを貰う、ということがままあるので、一族の中の誰かが「英雄」の子孫であるかもしれない、ということはままある。そういう曖昧さは代が下るほど曖昧になるので、中央アジア全体に、「先祖であったり、先祖であるかもしれない英雄」の話が分布することになる、と言われる気がするわけで@@。

そういう物語は、中央アジアに住んでいた印欧語族の先祖も持っていて、彼らはそれを西欧にも持ち込んで、ペルセウスやテーセウスといった英雄神話になっているんだなあ、と思う。そして、キリスト教化が始まると、「先祖の神」に対する信仰が禁じられるし、「先祖が犬だの馬だのあり得ないでしょ」とトーテムを否定されれば、それも事実であるので反論できない。だから、神格化された先祖の英雄の物語は、再び「人間の英雄」の物語として焼き直され、アーサー王物語とか、ニーベルンゲンとか中世の騎士物語へと移行する。「英雄」に相当する「登場人物」は架空の人のこともあるし、実在の人物を元にしてることもある、と言われる気がするわけで。そういう物語の主題は、英雄が優れた資質を示すことと、二人の女性との三角関係である。キリスト教化された後は、ヨーロッパでは一夫一妻制が理想とされるので、太古の一夫多妻の英雄は、「理想の英雄」であるために一夫一妻の英雄に焼き直されるけれども、元のモデルが「奥さんが二人いた英雄」だから、この「三角関係」をどうやって表現するのかが、作家の腕の見せ所になる、と言われる気がするわけで@@。ヨーロッパの騎士物語はこのように発展してきたものだから、中世から近代の作品まで、古代の英雄譚を投影したものはいくつもあり、「黄帝」の事業を褒め称える作品は味方のもの、そうでないのは敵のもの、とみな区別していたらしくて。でも、中央アジアの英雄譚は我が家からは、「読んではいけない本」にあるのがほとんどであって。要するに、なるべくその物語を私が知らないように仕向けてあるらしくて。仕向ければ、槃瓠とゲイと黄帝は同じ者で、それが一体となった伝承が中央アジアからヨーロッパに移動している、って私に分かりにくくなるからなのだと思う。要するに、黄河文明側の黄帝の子孫は、良渚文化が拡がるにつれて圧迫され、中央アジアに流出している。長江文明側の子孫で、良渚文化に迎合しない人達は中国の南端に追いやられて、東南アジア方面にも流出している、ってそういうことね、と思う。長江文明側の子孫は犬の英雄先祖の伝承を残したけれども、黄河文明の側の英雄は正義と平和のために戦い続けて、家庭生活にあんまり恵まれなかった英雄譚を山ほど残している、ということらしくて。「兄さん、なんだか女運には恵まれてなかったのね;」と思う。

で、郵便を出しに行って、帰って来てお昼に「ブンブブーン」を見ていたら、某イングランドのおばあちゃんが、ブスブス怒って「ケサル大王伝」まで行き着いたら、すぐに「アイヴァンホー」を思いつくのが普通、って言ってくるわけで@@。アイヴァンホーって言ったら、身分の高いロウイーナ姫と結婚しようと頑張るウィルフレッドが、一生懸命働いて、異民族の娘のレベッカが悪い男に食い物にされるのを命を賭けて助け出して、まさに、「近代の黄帝譚の最高傑作じゃないの、婚約者に対して「女運に恵まれてない」とか嫁入り前の小娘が生意気なこと言ってるんじゃない」と怒られる気がするわけで@@。はい? というか、おばあちゃんは「アイヴァンホー」が好きなんですね? 要するにねえ? と思う。あんまり怒らせて国際問題に発展するとまずいので、早急に注文する-;。

で、FNS歌謡祭を夜に見ていたら、相変わらずのミュージカル特集であって。「レ・ミゼラブル」とかやっていて。これも昔は持ってた。捨てちゃったけど。で、ぼーっと見ていたら、登場人物の中に「エポニーヌ」という女の子がいた。「レ・ミゼラブル」の後半は、フランス革命とその狭間で揺り動かされるマリユスとコゼットの恋物語である。マリユスはお金持ちのお坊ちゃまで、コゼットは養父のジャン・バル・ジャンに大切に育てられた賢い女の子だけれども、結局はただの孤児である。エポニーヌは、コゼットの幼なじみで、貧乏で教育も躾もうけていない下層階級の娘である。でも、純粋なところがあってマリユスのことを本気で好きになるけれども、相手にして貰えない。革命に参加したマリユスは、銃に撃たれて殺されそうになるけれども、エポニーヌが彼を庇って代わりに死んでしまう。重傷を負ったマリユス君はジャン・バル・ジャンに助けられて、結局コゼットとめでたく結婚できる。そして革命も成就する。ぎくっと思うけれども、「エポニーヌ」とは「エポナ」のことである。要するに、エポナを生け贄に捧げて、マリユスとコゼットの愛は成就する、そしてフランス革命も成就する、ってそういう話だよねえ、これ? と思う。だから、これは「敵の物語」なんだ、「生け贄を肯定しているから」と気がつく。西欧の文学とは、こうやって敵と味方に分かれて発展してきたんだなあ、と思う。だから、味方の物語を選んで家にいれないといけないらしい。そして、そういうものを読んで、「生け贄反対」の精神を自然と学ばなければいけないものらしい。

で、FNSを見て、寝る前にふっと「ジプシー民話集」という本が目に付いたので、読んでみたくなった。第1話は、「牛飼いの若者が真面目に勇敢に働いて、竜の生け贄にされそうになっていたお嬢さんを助けて結婚する」という話だった。これは、オズボーン・ブーツとオーディンのユミル退治が分離する前の物語だし、女性が一人に纏められてしまっているけれども、中央アジア由来の英雄譚の流れを組む話である。

私だったら、「貧しいけれども、勇敢な羊飼いの若者が狼や猛獣から主人の羊をよく守ったので、働きが認められて婿に迎えられた。今度は隣の家の娘が、人食いの竜の「妻」という名目の生け贄にされることになったので、娘を気の毒に思った若者は、竜と戦って竜を倒し、こちらの娘とも結婚した。竜の体は硬くて、役にたったので、若者はこれを家の材料にしたり、境界の柵にしたりして、人々のために使った。若者は第一夫人の家と第二夫人の家を行ったり来たりして、どちらの家も子供に恵まれたが、第二夫人の実家の者は身分の低い若者のことを嫌っていた。そこで、孫が大きくなると、孫息子をそそのかして父親を殺させた。孫息子は、「自分こそが父親の正当な跡継ぎだ」と言って、第一夫人のところにいる兄達の財産も奪って、兄達を追い出してしまい、一帯の王となって君臨した。」という物語を書くと思う。

この物語の中に、オズボーン・ブーツも、オーディンのユミル退治も、槃瓠も、ゲイも牽牛織女も黄帝も全部収まる。アイヴァンホーなんてメロドラマでしょ、って言ったらものすごく怒られたわけですがー;。でも、「七夕の王子様」に選ばれてなんだか嬉しそうな4番目の子と、あんまり嬉しそうじゃない7番目の兄さんを見てると、「今生でも女運があんまりよろしくないかもー;」と思うあたくしがいるわけですがー;。こういう性格でごめん、と思う。でも、まあ、お勉強はできる範囲で頑張りたいと思うわけです-;。