本日の日誌

本日は、お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。午後、3時頃にけっこう激しい夕立が来て。で、書類はだいたいできあがったので、後は印刷して纏めるだけ、ということで。

後は、買った本が数冊届いて。「へロドトス」を勧められて買ったわけです。ヘロドトスといえば、世界最古の歴史書である「歴史」です。真面目に読んだら、勉強になるだろうな、と思う。でも、うちの父親に「これを買って欲しい」というのは無理だろうな、と思って-;。ヘロドトスどころか、聖徳太子がどこの誰なのかも分かってないのに? と思う-;。

ケルトの民話とかを読むと、アザラシと人が結婚する話が目立つわけです。というか、あちこちで、羽衣とか天人女房とか、鳥の羽を盗んで妻にする話が多いわけですが、ケルトでは何故か鳥と似ても似つかぬアザラシが、妻になっていることが多くて。なんでなんだろう? と思う。で、ちょうど今、カイトリーの「妖精の誕生」という本を読んでいて。西洋における、フェアリー(妖精)という言葉はけっして大昔からのものではなくて、精霊的な存在は昔からあったけれども、それらが「妖精」と呼ばれるようになった過程を、各地の民話を折り混ぜながら考察していて。それによると、「フェアリー」という言葉の起源は、古代ペルシャの「ペリ」という言葉にあるらしいです。「ペリ」というのは、いわゆる「天人」のことです。男性形も女性形もあるけれども、「天人女房」的な物語があったらしくて。天の良き精霊のことです。「王書」という本の中に、ロスタムという英雄の奥さんであるタハミーネという女性が「ペリのように美しい」と書かれているらしくて。

でも、古代ペルシャっていったら、古代インドとは兄弟のようなものですから、インドの側にも似たような話があるはず、と思う。というか、インドでは天人のことをアプサラスというらしくて。その意味は、「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」ということらしくて。なんで「天人」が「水の中で動くもの」なの? と思うと、「それは古代の印欧語族が天とは大きな水瓶のようなものだと考えていたから」と言われる気がするわけで@@。「雨」という時も、空の腹が破れて水が降ってくる様を現してるから、その考え方の起源は古代中国にある、と言われる気がするわけで。

一方、古代メソポタミアの一番古い時代には、大地の奥底にあるとされた淡水の海のことをアプスーと呼び、川はそこから流れ出してくる、と考えられていました。そして、神々もそこに住むと考えられていた。要するに、古代の漁撈民は、大きな海のような聖域があって、そこに神々が住むと考えていたし、魚とか亀とかウミヘビとかそこからやってくる、と考えていました。アプスーは聖域全体を指すし、神々のすみかも指します。要するにいわゆる「竜宮」のことです。でも、内陸に住む古代の中国人と印欧語族の先祖は「天も水の塊である」と考えました。だから、アプスーは「天の国」に変化してしまった。天人達は「天の湖」の住人であり、白鳥とかの水鳥がそこと地上を行き来していると考えたのです。だから、アプサラスとは、古くは海の姫である人魚姫とか乙姫のことで良いのだけれども、古代中国で天の姫である織姫とか天女に変更されて、それが印欧語族の拡散と共に各地に伝播しました。だから、人後姫とかアザラシの女房とかは、アプスーが「水の住人」であったころの姿をそのまま残しているのです。アプスーが「天女」に変更されると、今度は「天の住人」に変化しますが、それは広い意味で「中国文化圏」の思想といえます。

だから、フェアリーの語源が、ペリであるなら、それはアプサラスとも同語源であり、古代メソポタミアのアプスーまで遡るもので、古代ギリシャの太陽神アポローンとも同語源なのです。「天人女房」の原型は、アプスーが「天人」になる以前にまで遡るので、アザラシとかの水生生物が妻になる話と、天人女房の2種類に、「全く同じような」話があるのです。「羽衣」と「浦島太郎」は元は同じ話であったものです。と言われる気がするわけで@@。

でも、私が思うに、「牽牛織女」のように、単なる「浦島太郎」ではなくて、「天人女房」の中には、明らかに、特に妻側の実家が夫のことを歓迎していない、というパターンが東洋を中心にありますよねえ? と思う。それは何で? と思う。そうしたら、それは「誰か特定の若者が、身分の高い女性に婿入りして、妻の実家側の人々から猛反対された」という「事実」が、古くからの「浦島太郎伝説」に付加されたものでしょ、と言われる気がするわけで。人間のお姫様に婿入りして苦労した犬の婿さんのことなのですかねえ、それ? と思う。西欧の方の民話とかでは、結婚は最後は「めでたしめでたし」で終わることが多いけれども、東洋ではその逆が多いわけで。なんだか、複雑そうな話があった感じ、と思うわけですが。でも、自分が舅になったときに、自分がやられたのと同じ事を婿さんにやったら駄目なんじゃん?? 6番目の子とか、と思うわけで-;。ということで、「フェアリー」という言葉の起源は「アプスー」にあるらしいです。天女というのは、人魚姫か亀の乙姫かアザラシのことであるらしいですー;。

本日の日誌

本日は、お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。午後、3時頃にけっこう激しい夕立が来て。で、書類はだいたいできあがったので、後は印刷して纏めるだけ、ということで。

後は、買った本が数冊届いて。「へロドトス」を勧められて買ったわけです。ヘロドトスといえば、世界最古の歴史書である「歴史」です。真面目に読んだら、勉強になるだろうな、と思う。でも、うちの父親に「これを買って欲しい」というのは無理だろうな、と思って-;。ヘロドトスどころか、聖徳太子がどこの誰なのかも分かってないのに? と思う-;。

ケルトの民話とかを読むと、アザラシと人が結婚する話が目立つわけです。というか、あちこちで、羽衣とか天人女房とか、鳥の羽を盗んで妻にする話が多いわけですが、ケルトでは何故か鳥と似ても似つかぬアザラシが、妻になっていることが多くて。なんでなんだろう? と思う。で、ちょうど今、カイトリーの「妖精の誕生」という本を読んでいて。西洋における、フェアリー(妖精)という言葉はけっして大昔からのものではなくて、精霊的な存在は昔からあったけれども、それらが「妖精」と呼ばれるようになった過程を、各地の民話を折り混ぜながら考察していて。それによると、「フェアリー」という言葉の起源は、古代ペルシャの「ペリ」という言葉にあるらしいです。「ペリ」というのは、いわゆる「天人」のことです。男性形も女性形もあるけれども、「天人女房」的な物語があったらしくて。天の良き精霊のことです。「王書」という本の中に、ロスタムという英雄の奥さんであるタハミーネという女性が「ペリのように美しい」と書かれているらしくて。

でも、古代ペルシャっていったら、古代インドとは兄弟のようなものですから、インドの側にも似たような話があるはず、と思う。というか、インドでは天人のことをアプサラスというらしくて。その意味は、「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」ということらしくて。なんで「天人」が「水の中で動くもの」なの? と思うと、「それは古代の印欧語族が天とは大きな水瓶のようなものだと考えていたから」と言われる気がするわけで@@。「雨」という時も、空の腹が破れて水が降ってくる様を現してるから、その考え方の起源は古代中国にある、と言われる気がするわけで。

一方、古代メソポタミアの一番古い時代には、大地の奥底にあるとされた淡水の海のことをアプスーと呼び、川はそこから流れ出してくる、と考えられていました。そして、神々もそこに住むと考えられていた。要するに、古代の漁撈民は、大きな海のような聖域があって、そこに神々が住むと考えていたし、魚とか亀とかウミヘビとかそこからやってくる、と考えていました。アプスーは聖域全体を指すし、神々のすみかも指します。要するにいわゆる「竜宮」のことです。でも、内陸に住む古代の中国人と印欧語族の先祖は「天も水の塊である」と考えました。だから、アプスーは「天の国」に変化してしまった。天人達は「天の湖」の住人であり、白鳥とかの水鳥がそこと地上を行き来していると考えたのです。だから、アプサラスとは、古くは海の姫である人魚姫とか乙姫のことで良いのだけれども、古代中国で天の姫である織姫とか天女に変更されて、それが印欧語族の拡散と共に各地に伝播しました。だから、人後姫とかアザラシの女房とかは、アプスーが「水の住人」であったころの姿をそのまま残しているのです。アプスーが「天女」に変更されると、今度は「天の住人」に変化しますが、それは広い意味で「中国文化圏」の思想といえます。

だから、フェアリーの語源が、ペリであるなら、それはアプサラスとも同語源であり、古代メソポタミアのアプスーまで遡るもので、古代ギリシャの太陽神アポローンとも同語源なのです。「天人女房」の原型は、アプスーが「天人」になる以前にまで遡るので、アザラシとかの水生生物が妻になる話と、天人女房の2種類に、「全く同じような」話があるのです。「羽衣」と「浦島太郎」は元は同じ話であったものです。と言われる気がするわけで@@。

でも、私が思うに、「牽牛織女」のように、単なる「浦島太郎」ではなくて、「天人女房」の中には、明らかに、特に妻側の実家が夫のことを歓迎していない、というパターンが東洋を中心にありますよねえ? と思う。それは何で? と思う。そうしたら、それは「誰か特定の若者が、身分の高い女性に婿入りして、妻の実家側の人々から猛反対された」という「事実」が、古くからの「浦島太郎伝説」に付加されたものでしょ、と言われる気がするわけで。人間のお姫様に婿入りして苦労した犬の婿さんのことなのですかねえ、それ? と思う。西欧の方の民話とかでは、結婚は最後は「めでたしめでたし」で終わることが多いけれども、東洋ではその逆が多いわけで。なんだか、複雑そうな話があった感じ、と思うわけですが。でも、自分が舅になったときに、自分がやられたのと同じ事を婿さんにやったら駄目なんじゃん?? 6番目の子とか、と思うわけで-;。ということで、「フェアリー」という言葉の起源は「アプスー」にあるらしいです。天女というのは、人魚姫か亀の乙姫かアザラシのことであるらしいですー;。

本日の日誌

本日は、お外組は普通に外仕事をして。私は書類を書いて。午後、3時頃にけっこう激しい夕立が来て。で、書類はだいたいできあがったので、後は印刷して纏めるだけ、ということで。

後は、買った本が数冊届いて。「へロドトス」を勧められて買ったわけです。ヘロドトスといえば、世界最古の歴史書である「歴史」です。真面目に読んだら、勉強になるだろうな、と思う。でも、うちの父親に「これを買って欲しい」というのは無理だろうな、と思って-;。ヘロドトスどころか、聖徳太子がどこの誰なのかも分かってないのに? と思う-;。

ケルトの民話とかを読むと、アザラシと人が結婚する話が目立つわけです。というか、あちこちで、羽衣とか天人女房とか、鳥の羽を盗んで妻にする話が多いわけですが、ケルトでは何故か鳥と似ても似つかぬアザラシが、妻になっていることが多くて。なんでなんだろう? と思う。で、ちょうど今、カイトリーの「妖精の誕生」という本を読んでいて。西洋における、フェアリー(妖精)という言葉はけっして大昔からのものではなくて、精霊的な存在は昔からあったけれども、それらが「妖精」と呼ばれるようになった過程を、各地の民話を折り混ぜながら考察していて。それによると、「フェアリー」という言葉の起源は、古代ペルシャの「ペリ」という言葉にあるらしいです。「ペリ」というのは、いわゆる「天人」のことです。男性形も女性形もあるけれども、「天人女房」的な物語があったらしくて。天の良き精霊のことです。「王書」という本の中に、ロスタムという英雄の奥さんであるタハミーネという女性が「ペリのように美しい」と書かれているらしくて。

でも、古代ペルシャっていったら、古代インドとは兄弟のようなものですから、インドの側にも似たような話があるはず、と思う。というか、インドでは天人のことをアプサラスというらしくて。その意味は、「水の中で動くもの、雲の海に生きるもの」ということらしくて。なんで「天人」が「水の中で動くもの」なの? と思うと、「それは古代の印欧語族が天とは大きな水瓶のようなものだと考えていたから」と言われる気がするわけで@@。「雨」という時も、空の腹が破れて水が降ってくる様を現してるから、その考え方の起源は古代中国にある、と言われる気がするわけで。

一方、古代メソポタミアの一番古い時代には、大地の奥底にあるとされた淡水の海のことをアプスーと呼び、川はそこから流れ出してくる、と考えられていました。そして、神々もそこに住むと考えられていた。要するに、古代の漁撈民は、大きな海のような聖域があって、そこに神々が住むと考えていたし、魚とか亀とかウミヘビとかそこからやってくる、と考えていました。アプスーは聖域全体を指すし、神々のすみかも指します。要するにいわゆる「竜宮」のことです。でも、内陸に住む古代の中国人と印欧語族の先祖は「天も水の塊である」と考えました。だから、アプスーは「天の国」に変化してしまった。天人達は「天の湖」の住人であり、白鳥とかの水鳥がそこと地上を行き来していると考えたのです。だから、アプサラスとは、古くは海の姫である人魚姫とか乙姫のことで良いのだけれども、古代中国で天の姫である織姫とか天女に変更されて、それが印欧語族の拡散と共に各地に伝播しました。だから、人後姫とかアザラシの女房とかは、アプスーが「水の住人」であったころの姿をそのまま残しているのです。アプスーが「天女」に変更されると、今度は「天の住人」に変化しますが、それは広い意味で「中国文化圏」の思想といえます。

だから、フェアリーの語源が、ペリであるなら、それはアプサラスとも同語源であり、古代メソポタミアのアプスーまで遡るもので、古代ギリシャの太陽神アポローンとも同語源なのです。「天人女房」の原型は、アプスーが「天人」になる以前にまで遡るので、アザラシとかの水生生物が妻になる話と、天人女房の2種類に、「全く同じような」話があるのです。「羽衣」と「浦島太郎」は元は同じ話であったものです。と言われる気がするわけで@@。

でも、私が思うに、「牽牛織女」のように、単なる「浦島太郎」ではなくて、「天人女房」の中には、明らかに、特に妻側の実家が夫のことを歓迎していない、というパターンが東洋を中心にありますよねえ? と思う。それは何で? と思う。そうしたら、それは「誰か特定の若者が、身分の高い女性に婿入りして、妻の実家側の人々から猛反対された」という「事実」が、古くからの「浦島太郎伝説」に付加されたものでしょ、と言われる気がするわけで。人間のお姫様に婿入りして苦労した犬の婿さんのことなのですかねえ、それ? と思う。西欧の方の民話とかでは、結婚は最後は「めでたしめでたし」で終わることが多いけれども、東洋ではその逆が多いわけで。なんだか、複雑そうな話があった感じ、と思うわけですが。でも、自分が舅になったときに、自分がやられたのと同じ事を婿さんにやったら駄目なんじゃん?? 6番目の子とか、と思うわけで-;。ということで、「フェアリー」という言葉の起源は「アプスー」にあるらしいです。天女というのは、人魚姫か亀の乙姫かアザラシのことであるらしいですー;。