本日の日誌

台風が近いとかで、本日も午後を中心にポタポタと雨が降って。外で仕事ができる内は、お外組は外仕事をしていて。

私の方は、金勘定について、ちょこちょこと書いていて。提出する書面もちょこちょこと纏めて。

で、「イギリスの神話伝説」という4巻セットの本を買ってみて。なんというか、そうすると、私だけではなくて、うちの親も、じいさんが何をやって、何を企んでいるのか、とか分かるようになる気がするわけで@@。元の定価もけっこうなお値段ですけれども、なんだか硬化がすごい気がするわけです。

で、オーストロネシア語族と豚の伝播について調べてみるように、と言われる気がするわけで。豚そのものは、紀元前8000年くらいから中国南部で家畜化され、あっという間に黄河流域まで拡がっているわけです。オーストロネシア語族は、台湾を本拠地として、中国大陸と交流があり、おそらく長江最下流域と直接の交流があり、一部はそこから中国の内陸に拡がったと思われます。黄河文明にも、魚に対する信仰のようなものが認められます。

豚は紀元前3000年ちょっと前くらいに、中国南部から台湾に渡り、オーストロネシア語族は豚を連れて、まず一部がフィリピンに移動し、その後インド洋と太平洋の各地へと豚と共に拡散します。おそらく、最終的には南米にまで到達したのだと思う。紀元前3000年頃、長江最下流域にあったのは良渚文化でした。だから、オーストロネシア語族の先祖は、直接良渚文化と交流していたし、そこから豚を手に入れたし、それだけでなくて、文化や思想も影響を受けている、と言われる気がするわけで。オーストロネシア語族の、異様な人肉食の習慣と、残虐な祭祀は、良渚文化から手に入れたもの、と言われる気がするわけで@@。

元々の漁撈民の文化は、嬰児の一部を祭祀として魚の神に捧げるし、自分達でも食べてしまう、というものでした。でも、水稲耕作が始まると、食料の供給が増え、人口は増加します。古代の水稲耕作は、長江の水に依存しているから、川の流れが安定していると困らないけれども、治水や灌漑がうまくいかないと、人口が増加した分、広範囲に大規模な飢饉が生じます。良渚文化が開始される前、河姆渡遺跡が長江の氾濫で衰退した後には、人々は余剰な人口を調節するために、嬰児ではなく、成人を生け贄にするようになっていたし、同族以外の人を捕まえて生け贄にする習慣があったはず。人肉食が祭祀ではなく、普通の食事に近いものになっていったのも、そういう背景があるはず、と言われる気がするわけで@@。それで、長江文明そのものが内から弱体化するし、他部族を生け贄にして食べるような習慣が嫌われるので、黄河文明の側から征服されてしまいました。征服した側は、結局被征服者に対して、圧政を敷き、自らが「生け贄」の祭祀の主催者になることで、支配を行うようになって。こうなると、政治的に気にいらない人を、どんどん生け贄にして食べるようになるので、反抗する可能性があるとみなされた人は殺されるし、後には反抗する気もなくて、いいなりになる人しか残らない、ということで。余剰な人口は、こうして、「祭祀」の名を借りて、政治的にどんどん殺されるようになる。オーストロネシア語族は、豚と共に、こういう政治的思想や文化をも取り入れたので、ハイヌウェレの祭祀のように、彼らの祭祀は残虐なものとなっている。その狂気の原因は、良渚文化の狂気です、と言われる気がするわけで@@。気に入らない人間は、「生け贄」にしてどんどん殺してしまえばいいらしいです。

だから、オーストロネシア語族は、今でも良渚文化の後継者の王を、「自分達の王」だと思っているし、白人にどんなに酷い目に遭わされても、「王が定めた運命には従うのが当然」と思っている。だから、女性や孤児といった弱者は反故されるべき、と考えている私のことは、彼らは大嫌いである、と言われる気がするわけで@@。彼らこそが、良渚文化の「純粋な子供達」なんだ? と思う。だから、彼らを知ることは、どっかの山奥の総本家を知ることになるらしいです。

で、ケルトもそうですし、古い北欧の神話もそうですが、「略奪文化」を否定しない、というか、彼らの「冒険物語」は「暴力物語」でもあって。宝は、相手を襲って奪い取れ、みたいなことが、賛美されるわけで。「どうして?」と思う。そうしたら、彼らにそうやって、そういうことが「正しいこと」だと教えて、各地を略奪して歩くことが正しいことだ、と教えた者がいるからでしょ、と言われる気がするわけで@@。それは誰? と思う。そうすると、それは「神」でしょ、と言われる@@。彼らの神は、親を殺して喰う「人食いの豚の饕餮でしょ?」と言われる気がするわけで@@。それが、印欧語族の主神の「天の父神」でもある。すなわち、それは良渚の王が「代理人」を務める神である。自分では表にも出ないくせに、他人には「暴力で人を殺すことは良いことだ」と教えるの? と思う。で、そうやって洗脳されない人は、大嫌い、ということでー;。そういうことなんだなー、と思う。でも、内心、そういうことは良くないことだと思っている人も大勢いると思うわけです。

本日の日誌

台風が近いとかで、本日も午後を中心にポタポタと雨が降って。外で仕事ができる内は、お外組は外仕事をしていて。

私の方は、金勘定について、ちょこちょこと書いていて。提出する書面もちょこちょこと纏めて。

で、「イギリスの神話伝説」という4巻セットの本を買ってみて。なんというか、そうすると、私だけではなくて、うちの親も、じいさんが何をやって、何を企んでいるのか、とか分かるようになる気がするわけで@@。元の定価もけっこうなお値段ですけれども、なんだか硬化がすごい気がするわけです。

で、オーストロネシア語族と豚の伝播について調べてみるように、と言われる気がするわけで。豚そのものは、紀元前8000年くらいから中国南部で家畜化され、あっという間に黄河流域まで拡がっているわけです。オーストロネシア語族は、台湾を本拠地として、中国大陸と交流があり、おそらく長江最下流域と直接の交流があり、一部はそこから中国の内陸に拡がったと思われます。黄河文明にも、魚に対する信仰のようなものが認められます。

豚は紀元前3000年ちょっと前くらいに、中国南部から台湾に渡り、オーストロネシア語族は豚を連れて、まず一部がフィリピンに移動し、その後インド洋と太平洋の各地へと豚と共に拡散します。おそらく、最終的には南米にまで到達したのだと思う。紀元前3000年頃、長江最下流域にあったのは良渚文化でした。だから、オーストロネシア語族の先祖は、直接良渚文化と交流していたし、そこから豚を手に入れたし、それだけでなくて、文化や思想も影響を受けている、と言われる気がするわけで。オーストロネシア語族の、異様な人肉食の習慣と、残虐な祭祀は、良渚文化から手に入れたもの、と言われる気がするわけで@@。

元々の漁撈民の文化は、嬰児の一部を祭祀として魚の神に捧げるし、自分達でも食べてしまう、というものでした。でも、水稲耕作が始まると、食料の供給が増え、人口は増加します。古代の水稲耕作は、長江の水に依存しているから、川の流れが安定していると困らないけれども、治水や灌漑がうまくいかないと、人口が増加した分、広範囲に大規模な飢饉が生じます。良渚文化が開始される前、河姆渡遺跡が長江の氾濫で衰退した後には、人々は余剰な人口を調節するために、嬰児ではなく、成人を生け贄にするようになっていたし、同族以外の人を捕まえて生け贄にする習慣があったはず。人肉食が祭祀ではなく、普通の食事に近いものになっていったのも、そういう背景があるはず、と言われる気がするわけで@@。それで、長江文明そのものが内から弱体化するし、他部族を生け贄にして食べるような習慣が嫌われるので、黄河文明の側から征服されてしまいました。征服した側は、結局被征服者に対して、圧政を敷き、自らが「生け贄」の祭祀の主催者になることで、支配を行うようになって。こうなると、政治的に気にいらない人を、どんどん生け贄にして食べるようになるので、反抗する可能性があるとみなされた人は殺されるし、後には反抗する気もなくて、いいなりになる人しか残らない、ということで。余剰な人口は、こうして、「祭祀」の名を借りて、政治的にどんどん殺されるようになる。オーストロネシア語族は、豚と共に、こういう政治的思想や文化をも取り入れたので、ハイヌウェレの祭祀のように、彼らの祭祀は残虐なものとなっている。その狂気の原因は、良渚文化の狂気です、と言われる気がするわけで@@。気に入らない人間は、「生け贄」にしてどんどん殺してしまえばいいらしいです。

だから、オーストロネシア語族は、今でも良渚文化の後継者の王を、「自分達の王」だと思っているし、白人にどんなに酷い目に遭わされても、「王が定めた運命には従うのが当然」と思っている。だから、女性や孤児といった弱者は反故されるべき、と考えている私のことは、彼らは大嫌いである、と言われる気がするわけで@@。彼らこそが、良渚文化の「純粋な子供達」なんだ? と思う。だから、彼らを知ることは、どっかの山奥の総本家を知ることになるらしいです。

で、ケルトもそうですし、古い北欧の神話もそうですが、「略奪文化」を否定しない、というか、彼らの「冒険物語」は「暴力物語」でもあって。宝は、相手を襲って奪い取れ、みたいなことが、賛美されるわけで。「どうして?」と思う。そうしたら、彼らにそうやって、そういうことが「正しいこと」だと教えて、各地を略奪して歩くことが正しいことだ、と教えた者がいるからでしょ、と言われる気がするわけで@@。それは誰? と思う。そうすると、それは「神」でしょ、と言われる@@。彼らの神は、親を殺して喰う「人食いの豚の饕餮でしょ?」と言われる気がするわけで@@。それが、印欧語族の主神の「天の父神」でもある。すなわち、それは良渚の王が「代理人」を務める神である。自分では表にも出ないくせに、他人には「暴力で人を殺すことは良いことだ」と教えるの? と思う。で、そうやって洗脳されない人は、大嫌い、ということでー;。そういうことなんだなー、と思う。でも、内心、そういうことは良くないことだと思っている人も大勢いると思うわけです。

本日の日誌

台風が近いとかで、本日も午後を中心にポタポタと雨が降って。外で仕事ができる内は、お外組は外仕事をしていて。

私の方は、金勘定について、ちょこちょこと書いていて。提出する書面もちょこちょこと纏めて。

で、「イギリスの神話伝説」という4巻セットの本を買ってみて。なんというか、そうすると、私だけではなくて、うちの親も、じいさんが何をやって、何を企んでいるのか、とか分かるようになる気がするわけで@@。元の定価もけっこうなお値段ですけれども、なんだか硬化がすごい気がするわけです。

で、オーストロネシア語族と豚の伝播について調べてみるように、と言われる気がするわけで。豚そのものは、紀元前8000年くらいから中国南部で家畜化され、あっという間に黄河流域まで拡がっているわけです。オーストロネシア語族は、台湾を本拠地として、中国大陸と交流があり、おそらく長江最下流域と直接の交流があり、一部はそこから中国の内陸に拡がったと思われます。黄河文明にも、魚に対する信仰のようなものが認められます。

豚は紀元前3000年ちょっと前くらいに、中国南部から台湾に渡り、オーストロネシア語族は豚を連れて、まず一部がフィリピンに移動し、その後インド洋と太平洋の各地へと豚と共に拡散します。おそらく、最終的には南米にまで到達したのだと思う。紀元前3000年頃、長江最下流域にあったのは良渚文化でした。だから、オーストロネシア語族の先祖は、直接良渚文化と交流していたし、そこから豚を手に入れたし、それだけでなくて、文化や思想も影響を受けている、と言われる気がするわけで。オーストロネシア語族の、異様な人肉食の習慣と、残虐な祭祀は、良渚文化から手に入れたもの、と言われる気がするわけで@@。

元々の漁撈民の文化は、嬰児の一部を祭祀として魚の神に捧げるし、自分達でも食べてしまう、というものでした。でも、水稲耕作が始まると、食料の供給が増え、人口は増加します。古代の水稲耕作は、長江の水に依存しているから、川の流れが安定していると困らないけれども、治水や灌漑がうまくいかないと、人口が増加した分、広範囲に大規模な飢饉が生じます。良渚文化が開始される前、河姆渡遺跡が長江の氾濫で衰退した後には、人々は余剰な人口を調節するために、嬰児ではなく、成人を生け贄にするようになっていたし、同族以外の人を捕まえて生け贄にする習慣があったはず。人肉食が祭祀ではなく、普通の食事に近いものになっていったのも、そういう背景があるはず、と言われる気がするわけで@@。それで、長江文明そのものが内から弱体化するし、他部族を生け贄にして食べるような習慣が嫌われるので、黄河文明の側から征服されてしまいました。征服した側は、結局被征服者に対して、圧政を敷き、自らが「生け贄」の祭祀の主催者になることで、支配を行うようになって。こうなると、政治的に気にいらない人を、どんどん生け贄にして食べるようになるので、反抗する可能性があるとみなされた人は殺されるし、後には反抗する気もなくて、いいなりになる人しか残らない、ということで。余剰な人口は、こうして、「祭祀」の名を借りて、政治的にどんどん殺されるようになる。オーストロネシア語族は、豚と共に、こういう政治的思想や文化をも取り入れたので、ハイヌウェレの祭祀のように、彼らの祭祀は残虐なものとなっている。その狂気の原因は、良渚文化の狂気です、と言われる気がするわけで@@。気に入らない人間は、「生け贄」にしてどんどん殺してしまえばいいらしいです。

だから、オーストロネシア語族は、今でも良渚文化の後継者の王を、「自分達の王」だと思っているし、白人にどんなに酷い目に遭わされても、「王が定めた運命には従うのが当然」と思っている。だから、女性や孤児といった弱者は反故されるべき、と考えている私のことは、彼らは大嫌いである、と言われる気がするわけで@@。彼らこそが、良渚文化の「純粋な子供達」なんだ? と思う。だから、彼らを知ることは、どっかの山奥の総本家を知ることになるらしいです。

で、ケルトもそうですし、古い北欧の神話もそうですが、「略奪文化」を否定しない、というか、彼らの「冒険物語」は「暴力物語」でもあって。宝は、相手を襲って奪い取れ、みたいなことが、賛美されるわけで。「どうして?」と思う。そうしたら、彼らにそうやって、そういうことが「正しいこと」だと教えて、各地を略奪して歩くことが正しいことだ、と教えた者がいるからでしょ、と言われる気がするわけで@@。それは誰? と思う。そうすると、それは「神」でしょ、と言われる@@。彼らの神は、親を殺して喰う「人食いの豚の饕餮でしょ?」と言われる気がするわけで@@。それが、印欧語族の主神の「天の父神」でもある。すなわち、それは良渚の王が「代理人」を務める神である。自分では表にも出ないくせに、他人には「暴力で人を殺すことは良いことだ」と教えるの? と思う。で、そうやって洗脳されない人は、大嫌い、ということでー;。そういうことなんだなー、と思う。でも、内心、そういうことは良くないことだと思っている人も大勢いると思うわけです。