本日の日誌

昨夜は、ちょっと雨がポタポタ降っていて。で、朝には止んで。お外組は、家の西側の雨水の管の周囲にも、玉石がゴロゴロしているのを発見して。そこにも、石がたんまり埋められているんだろうな、と思う。

で、私の方は、なんだか夢を見て。古本屋で、なんだか読めそうもないボロボロの本を買って、自分が嬉しそうにしているわけで。ともかく、絶版になっているような中古本を買って、勉強しなさい、ということなのだと思う。だいたい、そういうものを読んで、「文章を良く読むくせ」もつけなさい、ということなんだろうなあ、と思う。しかも、ある程度は買わなければいけない、ということで。

作業の方は、書証が一通り揃ったので、出さなきゃいけない書類を2,3作らなければいけない。あとは、今まで、誰が何を書いてるのかもチェックしなければ、ということで。なにが、「後発的完成不能」なの、工事を業者がやらないんだから、いつまでたとうが完成しないに決まってるでしょうが、と思う。だいたい、書証を読むのに忙しくて、主張書面に何を書いたのか忘れちゃったし、と思う-;。

で、神話系の方は、「中国の神話伝説」という本と、カイトリーの解説本と、「トゥレンの子たちの運命」という「アイルランドの三大悲劇」の一つと言われる伝承を読んでいるわけで。「トゥレン」はおそらく17世紀頃に今の形に完成したとみえて、16世紀に巷に流行したアーサー王の伝承とか、ギリシア神話とかちょこちょこと含まれているアイルランドの英雄物語である。アイルランドは9世紀に、北欧からの侵入者の侵攻を受けた歴史があるとのことで、そういう歴史も投影されて、善玉はアイルランドの神々であるダーナ親族であり、悪玉はノルウェーからの侵略者であるフォモール神族である。でも、トゥレンは、ダーナ神族の中での、殺人とそれに対する賠償の物語でもある。トゥレンの子たちであるブリーンとその兄弟は、同族の豚のキアンを殺してしまい、キアンの息子ルーに対して、賠償のために様々な冒険をして各地から財宝をかき集めてこなければならない。ルーは、父親の死を「賠償」であがなえば許す、と口では言うけれども、本心で望んでいるのは復讐である。だから、ブリーンとその兄弟(といっても、この兄弟は犬なので、ブリーンの飼い犬と言う方が正確なわけなのですが)が、冒険の途中で死ねば良いと思っている。そして、その思惑の通り、ブリーンは賠償を果たしても、道中の傷が原因で死んでしまうので、それで「悲劇」なわけですが。でも、冒険の内容は、各地へ押しかけて「宝をよこせ」と言って暴れる、という分かりやすい、というか単純率直に冒険物語と言うよりも、暴力物語であるので。その暴れん坊ぶりと、悲劇に繋がる弱々しさとのギャップがなんか独特だー、と思うわけですが。でも、西方の刑罰には、「同害復讐法(眼には眼を)」というやつと、「贖罪法(賠償法)」の二種類があって、現代社会では死刑という制度もあるけれども、基本的には「賠償法」が原則である。特に民事では。これは印欧語族由来の法制度でもあるので、17世紀当時のアイルランドは、制度的には「賠償法」が当然となっているけれども、古い時代の「同害復讐法」の精神もまだ幅を効かせていて、「同害復讐法」と「賠償法」が矛盾のないように整合性を保ちつつ、「すりあわせ」が模索されていた時代だったんだな、と思う、というか、そういう社会的、歴史的考察もできるわけです。

で、中国の神話伝説の方は、微妙に赤っぽい序文とかあるわけですが、内容が豊富で面白いわけで。著者は、「黄帝は最初から神である」という考えの人であるので、そこは私と違うわけですが。ともかく、伝承では、黄帝とは「頭が4つあった」ということらしくて。それは「四方に眼を配れる人であった」ということなのかなあ、と思うわけですが、かの有名な孔子先生は「それは黄帝が四方に兵を送って、各地を平定した、ということだ」と述べたらしくて。孔子先生の言うことは、「崇神天皇の四道将軍の元ネタなんじゃないの?」と思う。頭が4つあったら、それはブラフマーでしょうが、と思うので、インドの方には孔子先生の影響は及ばなかったらしいのですが。

それから、西晋(三国志の後の国、女王卑弥呼が死んだ後くらいの時代の国)頃の書物には、「黄帝は死んで昇天し、死体が消えた」とかってあるらしくて。西晋は3~4世紀の国であるので。そのくだりは、キリスト教の影響でしょう。で、それがもっと時代が下ると、霊異記の聖徳太子の話に繋がるんじゃないの? と思う。というか、3世紀には、イエス・キリストの伝記が当たり前のように中国にまで到達していて、人はなんで、そんな大昔に世界のあちこちを歩き回ってたんだろう、と思う-;。だって、ほとんど自分で歩くしかないような時代じゃん? と思う。

それから、神武天皇は、兄が長髄彦に殺されて、そして王になった、と言われている。でも、これはロムルスとレムスと同じで、「兄弟の片方が死んで、王権を手に入れる」というパターンです。そして、このパターンは西欧で発達した物語だから、いきなり「神武の東征」に唐突に現れることが不自然なのであって。西方の文物に明るく、「二人兄弟」の話を知っている誰かが、この話を作った可能性が高いと思うわけです。しかも、神武は、熊野の山の中で、熊に出会って、気を失って、目が覚めたら特別な剣を手に入れたことになっている。これは、神話的には、「熊に喰われて熊として生き返った」という話な気がするわけで。食べられたものに化生するのは、漁撈民の神話ですが、熊はそもそも北方民のトーテムであって、「不自然さ」を感じるわけです。しかも、そういう死と再生の過程で、特別な武器を手に入れるとか、西欧の神話ですか、近くてもゲイ神話ですよね? と思うわけで。しかも、中国の神話を読むと、黄帝は「有熊氏」と名乗ったとかで、熊トーテムの人であったことが示唆されている。しかも、南北朝時代に書かれた「神道集」には、「神武の子である綏靖天皇には、食人の趣味があり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く火の雨が降る」との虚言を弄し天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという」と、あるとのことで。ザッハークですか? と思うわけで。

結局、洋の東西の「故事」に詳しい何者かが、神武を黄帝になぞらえ、綏靖をその子になぞらえ、そういった「物語」を残そうとしてますよね? と思う。しかも、単純に「神武=黄帝」とする伝承が自然発生的に発生しているのであれば、その「熊トーテムである」という精神よりも、事績の方が普通に「英雄神話」として伝播するはずであるので、「精神的なもの」だけが不自然に移植されている、ということは、「神武の熊野を通った東征」そのものが、何者かの「創作」ですよね? そもそも、大規模な戦闘なんてなかったでしょ、考古学的にもそういう証拠は出てきてないし、と思う。7番目の兄さんには、「神武の熊化生の話は、自分が書いたんで」って言われる気がするわけで@@。「うへえ」と思う。「神道集」にも関わってるでしょ、南北朝って高師直が活躍した時代だし? と思う-;。

で、思うけれども、紀元前2世紀ぐらいに、この国にやってきた弥生の人々は、単なる田舎者ではなくて、当時としては文明の最先端の中国からやってきた一級の武人であり、文化人であった人達であって、単に武力で押さえつけて人を支配する、とかそういう単純な人達ではなくて、政治的な駆け引きとか、交渉術とか、現代人と変わらず、したたかに抜かりなくできる人達であったのだと思う。自分達の神話とか伝承も、「政治的にどう利用したら良いのか」って追求できるような人達だったのだと思う。というわけで、7世紀の「したたかまみれ」で、政治的な意図が満載の「古事記」と、17世紀の単純に「同害復讐法」と「賠償法」との間で揺れ動く暴力物語との、精神的な成熟度としたたかさの「差」は何? と思う。まあ、それはともかく、古代中国の故事というのは、私達が思っているよりも、古事記とかの中にパクられていると思うわけで。そういうことを読み解くためにも、中国の古典の勉強は大事なんだなあ、と思ったのでした。

後は、古代中国のゲイの伝承の中には、河伯を射て、その妻と結婚した、みたいな話があって。古代中国の河伯とは、河の神に、毎年娘を「妻」として生け贄に捧げて、治水を祈るという人食いの神であって。その祭りは、大規模に、支配者が好んで行うものであったわけです。何故、支配者がこの祭祀を好むのか。そういうことは、綺麗事だけの神話では決して語られない、赤っぽい学者様でも、中国の文化を愛する人だと書きたくない事に入るのかもしれませんが。漁撈民の伝承には、娘は生娘のままでは、まともな「妻」とはなれない、とされている。正式な結婚の前には、誰かが破瓜しなければ、正しい結婚生活は行えない、とされているわけで、「夜這い」とかの習慣もその延長上にあるわけだから。河伯の妻にされる前の娘が、祭祀の中で、殺される前にどんな悲惨な目に合わされたのか、何故男性の為政者がこの祭祀を好んだのか、ということは、「赤」がお好きな現代の学者サマでも公然と書けないことなんだ? 内容がろくでもなさすぎて? と微妙に毒が出るわけですが。

でも、くだらん生け贄の祭祀を止めさせて、娘を助けたゲイはさながら英雄ですよねえ? というか、ペルセウスそのものではないの、と思う。それなのに、結婚生活はあまり幸福ではなかったんだ? と思う。誰かさんには、「頭の悪い、話の分からない馬鹿な女はうんざり」と言われる気がするわけでー;。兄さんより、頭の良い女の人は、滅多にいないから、それは高望みが過ぎるってもんじゃないのですかねえ? と思うわけですが-;。

本日の日誌

昨夜は、ちょっと雨がポタポタ降っていて。で、朝には止んで。お外組は、家の西側の雨水の管の周囲にも、玉石がゴロゴロしているのを発見して。そこにも、石がたんまり埋められているんだろうな、と思う。

で、私の方は、なんだか夢を見て。古本屋で、なんだか読めそうもないボロボロの本を買って、自分が嬉しそうにしているわけで。ともかく、絶版になっているような中古本を買って、勉強しなさい、ということなのだと思う。だいたい、そういうものを読んで、「文章を良く読むくせ」もつけなさい、ということなんだろうなあ、と思う。しかも、ある程度は買わなければいけない、ということで。

作業の方は、書証が一通り揃ったので、出さなきゃいけない書類を2,3作らなければいけない。あとは、今まで、誰が何を書いてるのかもチェックしなければ、ということで。なにが、「後発的完成不能」なの、工事を業者がやらないんだから、いつまでたとうが完成しないに決まってるでしょうが、と思う。だいたい、書証を読むのに忙しくて、主張書面に何を書いたのか忘れちゃったし、と思う-;。

で、神話系の方は、「中国の神話伝説」という本と、カイトリーの解説本と、「トゥレンの子たちの運命」という「アイルランドの三大悲劇」の一つと言われる伝承を読んでいるわけで。「トゥレン」はおそらく17世紀頃に今の形に完成したとみえて、16世紀に巷に流行したアーサー王の伝承とか、ギリシア神話とかちょこちょこと含まれているアイルランドの英雄物語である。アイルランドは9世紀に、北欧からの侵入者の侵攻を受けた歴史があるとのことで、そういう歴史も投影されて、善玉はアイルランドの神々であるダーナ親族であり、悪玉はノルウェーからの侵略者であるフォモール神族である。でも、トゥレンは、ダーナ神族の中での、殺人とそれに対する賠償の物語でもある。トゥレンの子たちであるブリーンとその兄弟は、同族の豚のキアンを殺してしまい、キアンの息子ルーに対して、賠償のために様々な冒険をして各地から財宝をかき集めてこなければならない。ルーは、父親の死を「賠償」であがなえば許す、と口では言うけれども、本心で望んでいるのは復讐である。だから、ブリーンとその兄弟(といっても、この兄弟は犬なので、ブリーンの飼い犬と言う方が正確なわけなのですが)が、冒険の途中で死ねば良いと思っている。そして、その思惑の通り、ブリーンは賠償を果たしても、道中の傷が原因で死んでしまうので、それで「悲劇」なわけですが。でも、冒険の内容は、各地へ押しかけて「宝をよこせ」と言って暴れる、という分かりやすい、というか単純率直に冒険物語と言うよりも、暴力物語であるので。その暴れん坊ぶりと、悲劇に繋がる弱々しさとのギャップがなんか独特だー、と思うわけですが。でも、西方の刑罰には、「同害復讐法(眼には眼を)」というやつと、「贖罪法(賠償法)」の二種類があって、現代社会では死刑という制度もあるけれども、基本的には「賠償法」が原則である。特に民事では。これは印欧語族由来の法制度でもあるので、17世紀当時のアイルランドは、制度的には「賠償法」が当然となっているけれども、古い時代の「同害復讐法」の精神もまだ幅を効かせていて、「同害復讐法」と「賠償法」が矛盾のないように整合性を保ちつつ、「すりあわせ」が模索されていた時代だったんだな、と思う、というか、そういう社会的、歴史的考察もできるわけです。

で、中国の神話伝説の方は、微妙に赤っぽい序文とかあるわけですが、内容が豊富で面白いわけで。著者は、「黄帝は最初から神である」という考えの人であるので、そこは私と違うわけですが。ともかく、伝承では、黄帝とは「頭が4つあった」ということらしくて。それは「四方に眼を配れる人であった」ということなのかなあ、と思うわけですが、かの有名な孔子先生は「それは黄帝が四方に兵を送って、各地を平定した、ということだ」と述べたらしくて。孔子先生の言うことは、「崇神天皇の四道将軍の元ネタなんじゃないの?」と思う。頭が4つあったら、それはブラフマーでしょうが、と思うので、インドの方には孔子先生の影響は及ばなかったらしいのですが。

それから、西晋(三国志の後の国、女王卑弥呼が死んだ後くらいの時代の国)頃の書物には、「黄帝は死んで昇天し、死体が消えた」とかってあるらしくて。西晋は3~4世紀の国であるので。そのくだりは、キリスト教の影響でしょう。で、それがもっと時代が下ると、霊異記の聖徳太子の話に繋がるんじゃないの? と思う。というか、3世紀には、イエス・キリストの伝記が当たり前のように中国にまで到達していて、人はなんで、そんな大昔に世界のあちこちを歩き回ってたんだろう、と思う-;。だって、ほとんど自分で歩くしかないような時代じゃん? と思う。

それから、神武天皇は、兄が長髄彦に殺されて、そして王になった、と言われている。でも、これはロムルスとレムスと同じで、「兄弟の片方が死んで、王権を手に入れる」というパターンです。そして、このパターンは西欧で発達した物語だから、いきなり「神武の東征」に唐突に現れることが不自然なのであって。西方の文物に明るく、「二人兄弟」の話を知っている誰かが、この話を作った可能性が高いと思うわけです。しかも、神武は、熊野の山の中で、熊に出会って、気を失って、目が覚めたら特別な剣を手に入れたことになっている。これは、神話的には、「熊に喰われて熊として生き返った」という話な気がするわけで。食べられたものに化生するのは、漁撈民の神話ですが、熊はそもそも北方民のトーテムであって、「不自然さ」を感じるわけです。しかも、そういう死と再生の過程で、特別な武器を手に入れるとか、西欧の神話ですか、近くてもゲイ神話ですよね? と思うわけで。しかも、中国の神話を読むと、黄帝は「有熊氏」と名乗ったとかで、熊トーテムの人であったことが示唆されている。しかも、南北朝時代に書かれた「神道集」には、「神武の子である綏靖天皇には、食人の趣味があり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は「近く火の雨が降る」との虚言を弄し天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという」と、あるとのことで。ザッハークですか? と思うわけで。

結局、洋の東西の「故事」に詳しい何者かが、神武を黄帝になぞらえ、綏靖をその子になぞらえ、そういった「物語」を残そうとしてますよね? と思う。しかも、単純に「神武=黄帝」とする伝承が自然発生的に発生しているのであれば、その「熊トーテムである」という精神よりも、事績の方が普通に「英雄神話」として伝播するはずであるので、「精神的なもの」だけが不自然に移植されている、ということは、「神武の熊野を通った東征」そのものが、何者かの「創作」ですよね? そもそも、大規模な戦闘なんてなかったでしょ、考古学的にもそういう証拠は出てきてないし、と思う。7番目の兄さんには、「神武の熊化生の話は、自分が書いたんで」って言われる気がするわけで@@。「うへえ」と思う。「神道集」にも関わってるでしょ、南北朝って高師直が活躍した時代だし? と思う-;。

で、思うけれども、紀元前2世紀ぐらいに、この国にやってきた弥生の人々は、単なる田舎者ではなくて、当時としては文明の最先端の中国からやってきた一級の武人であり、文化人であった人達であって、単に武力で押さえつけて人を支配する、とかそういう単純な人達ではなくて、政治的な駆け引きとか、交渉術とか、現代人と変わらず、したたかに抜かりなくできる人達であったのだと思う。自分達の神話とか伝承も、「政治的にどう利用したら良いのか」って追求できるような人達だったのだと思う。というわけで、7世紀の「したたかまみれ」で、政治的な意図が満載の「古事記」と、17世紀の単純に「同害復讐法」と「賠償法」との間で揺れ動く暴力物語との、精神的な成熟度としたたかさの「差」は何? と思う。まあ、それはともかく、古代中国の故事というのは、私達が思っているよりも、古事記とかの中にパクられていると思うわけで。そういうことを読み解くためにも、中国の古典の勉強は大事なんだなあ、と思ったのでした。

後は、古代中国のゲイの伝承の中には、河伯を射て、その妻と結婚した、みたいな話があって。古代中国の河伯とは、河の神に、毎年娘を「妻」として生け贄に捧げて、治水を祈るという人食いの神であって。その祭りは、大規模に、支配者が好んで行うものであったわけです。何故、支配者がこの祭祀を好むのか。そういうことは、綺麗事だけの神話では決して語られない、赤っぽい学者様でも、中国の文化を愛する人だと書きたくない事に入るのかもしれませんが。漁撈民の伝承には、娘は生娘のままでは、まともな「妻」とはなれない、とされている。正式な結婚の前には、誰かが破瓜しなければ、正しい結婚生活は行えない、とされているわけで、「夜這い」とかの習慣もその延長上にあるわけだから。河伯の妻にされる前の娘が、祭祀の中で、殺される前にどんな悲惨な目に合わされたのか、何故男性の為政者がこの祭祀を好んだのか、ということは、「赤」がお好きな現代の学者サマでも公然と書けないことなんだ? 内容がろくでもなさすぎて? と微妙に毒が出るわけですが。

でも、くだらん生け贄の祭祀を止めさせて、娘を助けたゲイはさながら英雄ですよねえ? というか、ペルセウスそのものではないの、と思う。それなのに、結婚生活はあまり幸福ではなかったんだ? と思う。誰かさんには、「頭の悪い、話の分からない馬鹿な女はうんざり」と言われる気がするわけでー;。兄さんより、頭の良い女の人は、滅多にいないから、それは高望みが過ぎるってもんじゃないのですかねえ? と思うわけですが-;。