本日は、家人が歯医者に行ったので、お外組は10時ぐらいで仕事を切り上げて。昨日入れられていた妙な材木とかもバラして、いつでも捨てられるようにして貰って。で、歯医者に行って、帰って来るのに時間がかかって遅くなったので、私の方もけっこうノルマをこなせて、いつもよりちょっと多めに資料の整理ができたのでした。
で、7番目の兄さんには、ハイヌウェレ型の神話は、漁撈民とも大きな関連があって、彼らは元は漁撈民であったものが、農耕を始めて、主に芋を栽培したので、芋の波及と共に、太平洋地域に住む漁撈民の間にハイヌウェレ型の神話と祭祀も広まった、ということで。それが、もっと土地の広い、穀物を栽培する地域に入ったものが、稲作に関するハイヌウェレ型の神話、ということで。河姆渡文化は、稲作文化でしたが、長江の下流域に発達していて、人々は魚もたくさん食べていました。海の生物の繁殖は月の満ち欠けと大きく関係しますので、魚の豊穣を母なる月の女神に祈る、というのが、ハイヌウェレ型神話のそもそもの始まりといえます。人間は魚を食べるし、魚を食べるから人間も魚と同じものなのです。河姆渡では、おそらく何らかの起源を区切って、「魚の初物」とされるものも、「人間の初物」とされるものも神に捧げていました。それが、稲作だと、稲の初物を神に捧げる、となります。要するに「新嘗祭」です。そして、初物は神にも捧げるけれども、仲間内で食べてしまうものでもある。おそらく、最初は魚に見立てた、初子を、自分達でも食べるし、バラバラにして海に投げ込んで魚の餌にする、という祭祀があったはずです。それが、芋を栽培する時代になると、女神をバラバラにして、地面に埋めるようになります。須佐之男もオオゲツヒメを斬り殺しますから、元はバラバラにしたことが暗示されます。
その一方で、食人や殺人が忌避されるようになると、土器を人の代わりにするようになりました。これは、ハイヌウェレ型の残酷な祭祀を嫌った、大陸的な農耕民が考え出した代替措置といえます。日本の国には、縄文中期に、里芋の到来と共にハイヌウェレ型の信仰が入ってきました。今でも、空きの中秋の名月には、月に「月神様の子供」として、里芋の初物をそなえる習慣があります。お団子をそなえるのは、稲作の農耕民の風習ですが、本来はこれは、芋に関連するハイヌウェレ型神話の名残なのです。縄文時代の日本人の多くは、南方系の漁撈民ではなくて、北方系の熊トーテムの人達でしたので、熊は食べたけど食人は嫌いました。そのため、祭祀は最初から、女神に見立てた土偶を壊して地面に埋める、というものでした。要するに、縄文時代の遺跡の祭祀後から壊された形で発掘されるのが、縄文のハイヌウェレであり、オオゲツヒメです。これが、時代が下ると、更に豊受大神へと変化します。だから、あなたも気の毒なハイヌウェレを喰ったことがあるでしょ、と言われる気がするわけで。
何か食べましたっけ? と思う。そうしたら、以前丹後半島で、「かわらけ投げ」をしたでしょ、と言われる気がするわけで。「そういえば」と思う。何かお寺でやったような、と思う。かわらけを崖とかに投げ捨てて、壊すことで「禍福を願う」というのは、ハイヌウェレ神話のなごりですよ、と言われる気がするわけで。縄文時代の、土偶の女神を壊す祭祀が、そういう形で今でも残ってるんだなあ、と思う。だから、「壊れた土器」には意味があるんだよ、と言われる気がするわけで。そもそも、昔の人には、生きているものと死んでいるものとの区別がありません。その2つは、境界が曖昧で連綿としてるものです。人は死んだら土に帰るし、その土から育った者を食べる。だから、土も大根も人参も人も同じもの、となります。大根と人参だけではなく、土そのものも人と同じものなわけ。だから、土で作った土偶は、人そのものなわけです。でも、普通の土器も使っていればいつかは壊れるものだし、土偶は壊すためのものだし、結局、そういうものは、「壊れること」を前提として作るものだから、「死ぬために作った人」といえます。普通の人が、「普通に人生を全うするための人」だとすると、土器は「死ぬための人」なわけ。で、そういう考え方を生け贄というものにも当てはめています。だから、どんな文化でも、初子を犠牲にしたり、奴隷を犠牲にしたり、時には王を犠牲にしたり、とあるわけですが、その根底にはそれらは特別に他の人と区別された「死ぬための人」だし、その死のおかげで残りの人々に過福をもたらす、と考えられていました。土器もそれと同じものだから、必要以上に家に置いといてはいけないのね、と言われる気がするわけで。要するに、じいさんがつまんない焼き物をため込んでたのは、生きてるんだか死んでるんだかもはっきりしないゾンビを、家の中に大量にため込んでたってことですねえ? と思う。そういうものは、使う以上に持っていてはいけないものなのに、と思う。兄さんには、「土器を大量に壊した分だけ、過福があるといいねえ」と言われる気がするわけですが。だから、家の中に、壊れた土管とか、かわらけとかあっちゃいけないわけだ。それらは、「死んだハイヌウェレ」だから、それがあるってことは「黄泉の国」っていうことですねえ? と思う。そして、昔の人が、土で人の首を作ったり、女神を作ったりしてたのは、生きている人の犠牲を防ぐためのものでもあったけれども、そういった人工物も「生きている人に相当するもの、同じもの」と考えていて、「別のもの」とか「代替のもの」とはあんまり考えてなかったんですねえ? と思う。
それにしても、7番目の兄さんは、こういう残虐な祭祀の話とか平然とする人、ということで、その点はあんまり評判がよろしくないようで。剛君とかに、「こんな性格で済みません。」とかって言われる気がするわけで@@。私もそういう話は割と平然としてるタイプな気がするわけですが。私も割と残虐を好むタイプなのですかね? と思う。でも、7番目の兄さんには、「あなたの中では小さいものを愛し育てたい気持ちと、死体をバラバラに解剖することが好きな気持ちと、残虐さを好む気持ちは、それぞれに理屈という仕切りがついて区別されていて、自分でそういう自分に矛盾を感じてないよね。」と言われる気がするわけで。解剖が好きなのは、それが仕事だから、残虐な民話や神話が好きなのは学術的な興味から、赤ん坊が好きなのは生まれつき、という具合に、と言われる気がするわけで。でも、普通の人はそうじゃないんだよ、例えば猟奇的な殺人を好む者は、まず小さい小動物を虐めることから始めて、次第に虐待の対象が大きな動物になり、しまいには人を殺したいという衝動を抑えられなくなる。要するに、残虐を好む者は、最初から小さい者を愛し守り育てたい、という人格を持たないのが普通だから、「太母」たる、その目の矛盾した気性はいったいどこから来るのか? と聞かれる気がするわけで@@。さあ、そういうことは自分では良く分からないんですけれども?? と思う。でも、4番目の子なんかは、そういうところが7番目の兄さんにそっくり、とか言いそうな気がするわけですが。ご当人は、「そうなのかねえ? どうかねえ。」と言ってる気がするわけで。
でも、兄さんと話していて思うに、お月様に里芋を捧げる風習が強い地域というのは、関西圏であるように思います。その辺りは、丹後半島は特に太古からの港で、漁撈民も多かったからだと思うけれども、ハイヌウェレ型の信仰が一番強く残っている地域でもあると思う。要するに、「関西弁」を話す地域の人達は、漁撈民の末裔が多くて、ハイヌウェレ型の信仰、月の女神への信仰が強く残っているし、話す言葉も周囲の「熊人」とちょっと違うってことになるのですかねえ? と思う。7番目の兄さんなんかは、なんとなく、そう考えているように思うわけです。