本日の日誌

本日は、金勘定で足りないところを補充して、一通り陳述もして。あとは、出す書面の添削もして。

5月になったので、買わなければいけないものを細々と買って。民話の本も少々買ったわけです。で、古代エジプトの民話を、何とはなしにちょっと読んでみたら、とある話の解説のところに、「古代エジプトの人は人が亡くなって『生まれ変わる』ことを、『若返る』と考えていた。」と書いてあって。私のイメージでは、「生まれ変わる」というのは、もし前世というものがあったとしても、前世とは全く別の人物に生まれ変わる、という感じなわけですが、どうも「格式の高い家柄」に生まれた人ほど、昔ながらの考え方らしくて。要するに、『生まれ変わる』というのは、文字通り『若返る』ことだと思ってる人も大勢いるらしいです。だから、一族郎党にとっては、7番目の兄さんは、文字通り『若返ったご先祖様』らしくて。きっと、咲ちゃんとか、ものすごくそう思ってそうだー、と思うわけで。ということで、私のことも、以下同文ということで、『若返ったイエス・キリスト』とか『若返った女王卑弥呼』とか思われてそうな気がするわけで。そんなこと言われましても?? と思うわけですが、そんなとこらしくて。要するに、なんで世間からいろいろ期待されるかというと、『若返ったご先祖様』として、阿呆な子孫を何とかして、あんたの子孫でしょ、って思われてるのですかねえ?? と思う。でも、ご先祖様の言いつけを素直に聞く連中じゃないんじゃん? 親不孝モノの集団だから、と思うわけで(苦笑)。ということで、「ご先祖様」という観点からいえば、7番目の兄さんは直系の先祖と言えるから、まあ「祖父」といえると思う。でも、イエス・キリストは蛙の王家の直系の先祖ではないから、「外祖父」ってことになるんじゃないの? と思うわけですが。まあ、「外孫」にも何か責任はあるだろう、と世間では思われているらしいですー;。というか、遺伝子的には、イエス・キリストというよりは、「ダビデ」の性格傾向の遺伝子が「一番問題を引き起こす」と思われてるらしいのですが。

だから、味方の内でも、蛙の王家の血を濃く引いている「お偉いさん」の方々は7番目の兄さんに期待するところがものすごく強いんだなー、と思う。でもって、大名家の関係者からは、「そもそも、同族であるなしに関わらず、広く人々の意見を聞いて平和を目指す政治は、女王卑弥呼が目指したもので、大名家はその政策の直接の後継者だし、その政策の結果が、現在の東京を中心とした東国の繁栄だ。」って言われる気がするわけで。大名家の人々は、血筋的にはともかく、政治的には、自分達は「女王卑弥呼」の直系の子孫であり、という自負心があるし、その政策を受け継いだことが、今につながっている、と思っているらしいです。一方、西の都である京都は、桓武天皇が「怨霊をため込むために作り上げた都」であって、それが成功しすぎて、もはや「霊的には荒廃しすぎて、この国の中心には向かない」状態になっている、と言われる気がするわけで。それに引き換え、東京は海に面していて、海には「結界」を作りにくいので、いくらそこで人が死んでも、怨霊は時間が経つと海の方面に四散してしまって、溜まりすぎることがない、と言われる気がするわけで。それが「東京遷都」の一番の理由かーー、と思うわけですが。大阪も京都に近すぎて駄目って言われる気がするわけでー;。

で、今月の分のフォントも買って、民話の本も少々買って。そうしたら、7番目の兄さんに「眠り姫」の話をされるわけで。それは、グリムとかにもあるけれども、「魔女の呪いか何かで、お姫様が紡ぎ車で怪我をして、目覚めない眠りに落ちてしまい、運命の相手の王子様にキスされるまで目が覚めない。」という話ですよねえ? と思う。「その元の話は中国にあるのだけれども、何が元になっているのか、今なら分かるよね?」と言われる気がするわけで。でも、すぐには思いつかないわけで。

西欧には、女の人が「魔女の呪い」とか「何かの罰」で、「覚めない眠りの呪い」にかかっている民話が多いです。たいていは、「紡ぎ車」と何か関係があるけれども、「ニーベルンゲンの指輪」のように、関係がないものもある。中東方面の「千夜一夜物語」だと、眠っているお姫様を訪ねて行った男の人が、お姫様とHすると、そのうちにお姫様の目が覚める。で、更に時が過ぎると、お姫様は子供を産むわけですが、当然誰が父親か分からないので、「子供の父親」を探す、という話になったりする。だから、この民話は、「紡ぎ車」とも関係があるけれども、「男女の仲」ともものすごく関係があって。そういう点からいくと、「未熟な少女が、性体験を経て、一人前の女性になっていく過程」を寓意的にした物語なのかも??? とも思う。でも、東洋にはこういう話はあんまり聞かない気がするわけで。それで、「紡ぎ車」というものを調べてみたわけです。そうすると、これは産業革命より数百年前の12世紀に中東で発明されたもの、ということが分かって。それまでは、糸は手で紡いでいた、ってあって。紡ぎ車の発明で、製糸産業は飛躍的に効率が良くなったであろう、とは思うわけですが、産業の発展と、魔法や呪いに溢れた民話の世界はあまり結びつかない気がするわけで。そうすると、「機織り」のことを調べてみるように、と言われる気がするわけで。「布を織る」ということは、人類は旧石器時代からやっていたわけで、1万年近い歴史があるわけです。古代中国でも5500年前から絹織物を生産していて。で、古代中国では絹の生産は、国家的な超重要機密事項でもあって、養蚕に関わることは女性皇族の重要な仕事であったわけで。今でも天皇家の祭祀の中には、その名残が色濃く残っているのですが。それで、「あー、これは『牽牛織女』だ。」と気がつくわけで。中国の七夕にまつわる物語の中に、「河東に住む天帝の娘である織女(織姫)が河西の牽牛郎(牛飼い、彦星)に嫁ぐことを許したが、嫁いだ後に機織りをやめたことで天帝の怒りを買い、河東に戻ることを強要、1年に1度だけ会うことを許した、と記されている。 」という話があるわけで。要するに、織り姫は結婚したら、旦那さんと仲良くすることに夢中になって、織り姫としての仕事をないがしろにしたので、その罰を受けて、1年に1回しか夫と会うことができなくなった、という物語です。これは、天帝から罰を受けることもあるし、西王母から罰を受ける話となることもある。封建中国では「親」の存在は絶対的だから、子供、特に無助は親が許した範囲でなければ結婚も恋愛もできません。要するに「親の怒りを受けて罰を受ける娘」の物語が西欧に伝播して、「機織り」ではなく「紡ぎ車」を主体とした話に変形したのが「眠り姫」の物語ですねえ? と思う。だから「結婚(男女関係)」に関する物語である、という要素も残されている。でも、「なんで親の怒りを受けて呪われるのか」という動機の部分が西欧ではだいぶ弱められていて、お姫様が眠り続けるのは、何かの魔法の作用とか、動機不明の「呪い」とされることが多いんだなあ、と思うわけで。

で、そうすると、「日本神話にも似たような話があるでしょ」と言われる気がするわけで。それは、「天照大神が経営する男子禁制の機織り部屋に、須佐之男が押し入って乱暴狼藉を働き、天照大神が怒って岩戸に籠もってしまった」という話ですねえ? と思う。これも男女の関係が原因で、「機織り」という大事な仕事が滞る物語である。でも、西欧の民話と比較すると、「覚めない眠りにつく」とか、「岩戸に籠もる」というのは、「死ぬ」ということの暗喩でもありますよねえ? と思う。要するに、「罰を受けて眠りにつく」とは、「罰を受けて死刑になる」ってことだよねえ? と思う。昔の人が、「生まれ変わる、ということは単に若返ること」と考えていたということは、「覚めない眠りから目覚める」というのは、「死んで生まれ変わって、赤ん坊からやり直せ」ってこと?? と思うわけで。「天岩戸」の伝承は、「太陽の死と再生」の概念とも強く結びついているから、本当にそういう話なんじゃん? と思う。要するに、天照大神は、須佐之男の狼藉を受けて、機織り姫の役目を果たせなくなったので、殺された、ということになる。でも、それは天照大神に責任のあることなのか? 信頼している相手に狼藉を働かれて、それに対して用心を怠ったことにまで責任はあると言えるのか? それでも、責任を負って死ななければならない、というのは、一方的に女性だけを責めることも同然であって、この神話の根底にあるのは、「徹底した男尊女卑の思想なんじゃないのか?」と言われる気がするわけで。何か問題があったら、その内容ではなく、「問題があること」そのものが女性の責任であるので、女性だけが責任を負わなければならない、というのは、まあ、誰がどう見ても「男尊女卑」なわけで。

そして、この神話の問題点は、もう一つある。「天照大神」は、この国で最高位の神であるはずなのに、「いったい誰が彼女を死刑にすることができるのか?」 と言われる気がするわけで。それは「父なる伊邪那岐」ですねえ? 建御雷神を自分の武器(剣)として持ってる伊邪那岐である。建御雷神を利用して、あなたを殺そうとしてきた者は誰か? と言われる気がするわけで。要するに、「総本家」の当主が代々世襲で受け継いできた「神の名前」が、「伊邪那岐」であるし「天帝」ってやつなんですねえ? と思う。自分達が「世襲」でしか「神の名」を受け継げてないのに、一族郎党の中に本物の「神」が生まれること、しかも女の子であることが、それだけで面白くないんだ?? と思うわけで。その名前はいずれ交替させなければならない、と言われる気がするのですが。まあ、そうでしょうねえ、と思う。というか、6万円支払って手に入れた情報がそれかー、と思う。現金の力は強いですな-;。