本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、昨夜雨が降ったこともあって、寝過ごしてしまう。そうしたら、親に「一人で作業していると腹が立つ。」と言われてしまうー;。「なんで、朝やる気がでなかったんだろう?」と思ったのですが、そうしたら兄さん達に「昨日、1時間半以上も掘って頑張り過ぎたからでしょ。」と言われる気がするわけで@@。そういえば、やっているときはあまり苦にならなかったけれども、石がたくさんあるところを掘ったなあ、と思う。長期戦の作業だから、一日で無理しすぎたらだめだな、と思ったのでした。で、昨日辺りからまた周辺が少し騒がしくて。

で、どうも旨の辺りが汗っぽいしピリピリするので、お肌の保湿のためにハンドクリームをつけてみて。親に見て貰ったら「日焼けでしょ」と言われるわけで。最近暑くなってきたので、日焼けするらしいです。それから、枕カバーが、何年も洗っていなくて、だんだんやばい感じになってきたので、洗ったらすごく汚かったらしくてー;。やっと、そういうものが洗える余裕が出たんだなあ、と思う。みんなで、同じ家に暮らせるのもいいなあ、と思う。

昼は「ブンブブーン」と「光ちゃん、これやってみない」を見て。夜は「いただきハイジャンプ」を見る。「ブンブブーン」は帝劇のある日比谷の街の散策の回で。「日比谷といえば演劇の町」みたいに言っていて。でも、私にとっての日比谷は裁判の街だなあ、と思う-;。帝劇も見ることは見たよね、有楽町の駅から東京地裁までてくてくと歩きながら横目でね、と思うわけで。日比谷公園でお弁当を食べて、小鳥にお裾分けしたりしていたし。私にとっての、銀座、有楽町、日比谷っていったら、もう「裁判街」でしょ、と思う。いろんな、書類を音楽家の兄さんに送ったら、その次の「ZERO」で、4番目の子になんだか「わくわくしてきた」と言われた気がするわけで@@。最近では7番目の兄さんにも「わくわくしてきた」とか言われる気がするわけで@@。

7番目の兄さんと「民事訴訟」についていろいろと話をしたわけですが。民事の問題は、個人同士の契約の問題が多いので、古代世界、特に西方では交易に関する問題が多かったわけです。西欧の文明の最先端であった地中海沿岸地域は気候は温暖ですが、乾燥しているので、海沿いの雨の多い地域か、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川のような大きな川の周辺でないと、穀物がとれない、ということで。古代においては常に「穀物の分配」ということが大きな問題だったわけです。穀物のとれない内陸に住む人々は、宝石や金属の加工、とか、農業以外の産業を盛んにして、交易で穀物を得ようとするわけで。だから、異なる民族間で活発に交易が起きる。で、何か問題が起きて、当事者同士で解決できないときに、きちんと公平・公正な裁きをしてくれる都市国家は、「信用がおける国」ということで、いろんな商人が立ち寄るようになるので、民間の経済活動が盛んになって栄えるわけです。だから、為政者にとって大切なのは、自国民、他国民を問わず、「民事の問題」をいかに公平・公正に解決するのか、ということになる。それが、国を潤す元になるのです。その流れを受けて、西欧では王侯が裁判の最高責任者であって、民事訴訟の最高責任者は王であるわけです。王様が公平・公正な国は栄える、ということになる。そして、西欧では戦闘者階級である貴族は、王侯と身分の階級的に連続性があって、貴族階級もまた公平さ、公正さ、という正義のために戦う存在でもあるのです。

でも、日本はどうかというと、最古の成分化された法律である律令制は、刑法と税制の定めであって、民事の問題を扱うものではないわけです。民事の問題は、基本的に当事者任せであって、国家的によほど重要とみなされるものでない限り、放置しておくのが日本式の律令制であって。で、最初の「民事」に関する成文化された法律は、「御成敗式目」、と言われる気がするわけで。「御成敗式目」は、鎌倉幕府の執権であって、北条政子の弟であった北条泰時が成文化したもので、当時の武家の相続制度とか、御家人の立場を成文化したわけです。だから、基本的には武家の間で慣習法としてまかりとおっていたものを、成分化して、一般的なものにしたもの、ということで。で、泰時自身は「公家法は漢文で記されており難解であるので、武士に分かりやすい文体の法律を作った」と述べていたわけですが、そもそもこれが真っ赤な嘘、というか方便であって。だいたい、律令制は公地公民制であって、土地の個人私有は禁じられていますので、額面通りなら「所領争い」も「所領の相続」もあり得ないことであるわけで。でも、古代世界において、都の統制が及びにくい地方では、土地を開墾して自らの財産にしよう、という人々がいたし、そういう人達が「法律」の網をかいくぐっていかに私財を増やすのか、維持していくのか、というところから発生してきたのが「武士」であるので。だから、日本の「武家」というのは、皇族・貴族からだんだん身分が下がってきた人達もいるし、自分の才覚一つでのし上がった人達もいるし、そういう無法者達が、本来であったら持ってはいけないはずの「所領」を自ら守るために腕を磨いてきた集団なわけです。彼らが一つにまとまろうとしても、お互いの争いを解決するシステムがそもそもこの国になかったので、彼らの慣習を尊重しつつ、公平・公正な裁きをしてくれる人が求められたし、「将軍」というのはそういう存在であって、最初の征夷大将軍であった源頼朝は、公平・公正な裁きをしてくれる人、ということで部下達の信頼が非常に厚かったのです。そういう頼朝の立場を引き継いだ北条泰時が成分化したものが「御成敗式目」なわけ。その一方、北条政子の役割は何だったのか、ということになると、彼女の役割は「女性の保護と救済」ということになるのです。律令制では、身分の定めにおいても、れっきとした「男女不平等」があって、貴族の女性の活動範囲は非常に限られていました。でも、特に東国の武家は男女平等の意識が強くて、女子にも家督の相続権があるし、能力のある子は女子でも戦闘要員として戦った。でも、彼らが都の身分制度と接触すると、どうしてもある程度「男女不平等」を受け入れざるをえない。そうやって生じた「不満」の緩衝材として働いたのが北条政子の役割、と言われる気がするわけで@@。政子は、義経の愛妾である静御前に寛大さを示しましたし、義仲の妹も所領を維持できるようにいろいろと気配りをしている。そうすることで、官位の上で不利になりがちな女性を保護し、自分の権威も示したわけです。だから、西欧と違って、日本では「民事の問題」を解決する最高責任者は「天皇」ではない。それは常に「武家の統領」の役割であった、と言われる気がするわけで。「戦場で戦うだけが武家の役割ではないんだよ。」と言われる気がするわけで。要するに、武家の神、とは、不公正な裁判官を鞭打てるような人材じゃないとダメってことなのですかねえ?? と微妙に思うわけですが-;。まあ、そういうことはやろうと思えばできるかもしれない。でも今は他にやらなければならないことがあるわけですがー;。