昨夜は特に夢も見ず。というよりも、ほとんど寝ていません。なぜなら、定例のお手紙をせっせと書いて、従兄弟と相手方弁護士に書くお手紙をせっせと書いていたからで、作業が終わったのが3:30くらいだったからー;。作業している間、ずっと「少年倶楽部」をリピートして見ていて。ABC-Zの亮ちゃんのひたむきな「目の力」に支えられ、癒やされながら頑張っている気・・・がするわけですが、どうにも「ツケツケと物を書くように」とあおってくる人達がいる気がするわけでー;。
で、よくよく考えてみたのですが、完了検査を申請するのは、施工主と監理設計士なわけです。で、設計士は別に工務店と一体のものではなくて、施工主と契約しているわけで。だから、「完了検査に通るような工事を監理する」のは設計士であって、工務店ではない。工務店が何を言おうと、設計士が「通る工事だ」と言えば、それが「通る」ということでしょ? となる。だから、工務店が「完了検査を通る通らない」なんて言うこと自体、根拠がないわけです。それを決めるのは工務店ではない。工務店が「このままではまずい」と思えば、それは設計士に言うべき問題で、設計士はそれに基づいて適法な工事になるような指示を出しますし、施工主にも報告して対応を協議することとなります。でも、私たちは設計士から「今の工事では、完了検査を通りません」なんて報告を受けたことはないし、監理設計士は1年以上今の作業を「監理」していたわけですから、今になって「通らない」なんて言い出す根拠はないし、言い出されてもいないわけで。
ということで、従兄弟には、「これからも完了検査に通るような工事の監理をよろしくお願いしますねえ」という趣旨の文書をFAXで送ったわけです。まあ、向こうから内容証明を送ってきたわけではないので、送信記録も残るFAXで充分かな、というか、裁判になるとたいていの書面はFAXで送りっこすることになるので。買ったばかりのFAX機能付きプリンターの性能を試してみたいわけです。裁判の準備段階として。あとは相手方弁護士事務所に、「作業に復帰するなら、監理設計士の指示に従って完了検査を通る工事をしっかりするように」と言ってやったわけで。関係各所は、この2つの書面の意味を解読するのに、1日かかったらしくて。
要するに、「工務店が検査云々というのは嘘であって、金をだまし取ろうとする手段である」と関係者の誰もが認めなさい、という趣旨のお手紙ですの。だって、設計士は「完了検査に通らない」なんて一言も言ってないじゃん? ということで。それに、もし必要があれば、地盤の補強工事をすれば良いだけのことだし、ということで。もし、工務店が裁判所で、「設計士も通らない、と言っている」と述べれば、「それをいつ施工主に伝えたのか」ということが問題になる。すなわち、完了検査を通過しない原因は、設計士が施工主に必要な時に、報告して対応を協議しなかったから、ということになって、それで設計士の責任、ということになる。設計士を巻き込みたくなければ、工務店は「自分の独断でそう判断して、誰の了解も取らずに行動した」と言わざるを得ない。明らかな越権行為です。設計士が知らぬ存ぜぬ工務店の暴走となるなら、私の言うとおり設計士は「完了検査に通る」と考えている、ということになる。だから、それでも将来的に完了検査に通らなければ、見通しをきちんと立てなかった設計士の責任、ということになる。まあ、だから工務店が裁判を起こす、というのであれば、設計士は一緒に「原告」という名の被告席に座るのか、知らぬ存ぜぬを決めこんで、結果的に私たちの味方になるのか、どちらかを選べ、とそういうことです。でも、私たちの味方をしないと、いずれ「所有権あるある詐欺」の共犯で突き出される、ということになる可能性は高まる、ということでー;。まあ、設計士の方にはもうお金をほぼ全額払ってありますので、払った分は働いて頂きましょう、法廷で、と思うわけです。
で、もし裁判ということになったら、提出しなければいけない書類とかチェックして。それでも、昼寝の最中に不安になって目が覚めたりする。そうしたら、蛇の兄さんに、「大丈夫だよ。もし裁判になってもちゃんとやれるよ。」と言って慰めて貰って、ふいに東京地裁で分厚い訴状と山のような証拠を抱えてたことを思い出して。裁判所なんて行ったことがなかったけれども、自分でいろいろと調べて、親と一緒に行ったんだー。控え室みたいなところで、証拠をホチキスで止めたりして、せっせと準備してたなー、と思い出して。裁判になれば、結局あれと同じことだし、被告となれば自分から取り下げることができないから、心ゆくまで好きな主張ができるし、「本当に裁判になればあなたは無双でしょ。」と兄さんたちに言われる気がするわけで-;。まあ、今回はあれに比べれば争点の数は少ないし、楽だよなー、と思う。
ということで、今日は疲れたわけですが。なんでも、良い方に進めばよいなあ、と思うのでした。