昨夜は特に夢も見ず。今日も土の片付けをして、駐車場の整備をする。一日かけて、なんとか形になったのでした。
で、警察にしか見えない人達が、路側帯を「駐車禁止」と大騒ぎしてくれて、かつ「通報してくれればいつでも指導に来る」とかって言ってくれたからには、それこそある程度は実践する権利があるように感じるので、路側帯に停める車を撮影してみる。ついでに、我が家に入る私道に停めてある車も撮ってみる。
私道の方から述べると、この道は権利的には、我が家の側が1/2、隣家の側が1/2というもので明確に権利は分かれているわけですが、事実上は2件が共同で使用している道路で、必要に応じて2世帯が融通を効かせて使用する、という約束で購入したものである。なぜなら、どちらも自分たちの側だけでは出入りしにくいから。だから、工事とかの際には業者の車も出入りするし、お互いに融通し合わなければならないことになっているわけで、それ以外にも事情があれば常識の範囲内で、ある程度は駐車も互いに認めるべき、と個人的には思う。でも、例えば電気屋の車にしか見えない車が、一晩中停めてあったりした場合には、それは隣家に来た車なの? 一晩中停めておく意味はあるの? 一晩中電気工事してたの? しかも、そんなに意味も無く、長時間停めておくなら、そちらの敷地内にも停めるスペースはあるよね? という思考回路は、常識の範囲内であると思う。だから、訳の分からない車が、私道に停めてあって、かつ運転手が中でぼーっとしているだけであるなら、「不審な車」として記録するくらいは許されてしかるべきだよね? 隣家に用があるのなら、用を足せばいいし、一言が必要だと思うなら「これこれの用で停めさせて頂きます」と説明すれば良いじゃん、と思う。ただ停めてあるだけなら、隣家に用があるのかないのかも私たちには分からない。こちらも使用する道路なのだから、隣家の側に停めてあることを理由にして黙っていなければならない、ということにはならない。隣家だって、我が家の用で、我が家の側に停めてある車を必要に応じてどかせてるし、それこそそんなことは「お互い様」である。だいたい、工務店と組んでいやがらせを繰り返しているようにしか見えない隣家なのに、必要以上に気をきかせてやる気持ちになんかならないわけで、なんで、親がそんな連中の顔色を伺うのかも私には良く分からない。相手と同じ程度のことをしてやって、それで対等ってもんなんじゃないの? と思う。だから、結論からいえば、うちに来た業者の車は我が家の側の私道に停めれば良い。そして、隣家の通行の必要に応じて動いてもらえばいい、と思う、というか今までだってそんな感じでやってきてたし? と思う。でも、業者が勝手に路側帯に車を停めても、誰も文句は言いません。なぜなら、文句を言ってきたのは、家人の目の届かないところに車を移動させること、という目的があったからで、そういう目的のないものに文句は言っても意味がないから。それに、それでも言ってくるなら、公園でもどこでも停めれば、ということになるわけで。
でもって、路側帯の方には、某エホバアにしか見えない人達が車を停めて、これみよがしにドアをバタバタさせていたので、こちらも記録しておく。そうしたら、「すみません、すみません。ここは駐車禁止ですか?」とかって騒ぐので、「警察に問い合わせたらどうですか?」と言ったら「すいません、動かします。」と言って、どこかへ車を移動させてしまって。私たちの目の前で警察に問い合わせたら、「駐車禁止の場所ではないです。」と言ってくれたと思うので、なんで、問い合わせしてくれなかったのか、と思うわけですが。だいたい、私は「宗教の自由」が真に尊重されるのであれば、「布教の自由」というものは徹底して禁ずるべき。他人の宗教に余計な口出しをする者は、「宗教の自由」を守れない者である、というくらいにしか思っていないので。どう見ても不審者でしょ、その人達。不審者として通報するのは市民の義務なんじゃないの? くらいにしか思えない。停めたければ、警察にしか見えない人達お勧めの、公園の駐車場にでも停めれば?、くらいにしか思わないわけです。
ということで、テレビの方は「少年倶楽部」を見て、「ニノさん」を見て、丁度食事の時間だったので、リアルタイムに「嵐にしやがれ」を見る。某A君を見ると「夢窓疎石?」と思うわけですが-;。だいたい、歴史的には高師直という人は、尊氏の権威を傘にきてやりたい放題やった人、すなわちどちらかというと「悪人」みたいな評価な気がするのですが。でも、足利宗家の側近であった高氏が存続していれば室町幕府はもっと安定して長続きしていたかもしれない、ということを考えると、長期的に幕府弱体の種を蒔いたのは、師直を追い落とした夢窓疎石と小坂円忠であるといえる。幕府が弱体化した結果、動乱の下克上と戦国時代を経て、政権が安定する江戸幕府が誕生するまで、政治は混乱し続けたわけで。富の王家と大名家が評価するのは、誰が政権を安定させようと努力していたか、ということなんだなあ、と思う。それはともかく、7番目の兄さんは、某A君のことを「前世もだいたいあんなような性格だったと思う。」と言っている気がするわけで。でも、前世のことをあまり語りたがらない理由としては、「今の日常だって、いつ何が起こったのかなんて、全てのことを正確に覚えていられるわけではないのに、自分でも夢のように思えることで、『いつ何があったのか』って根掘り葉掘り詮索されても、正確に答えられないことはいくらでもあるし、聞かれても困ることに適当に答えたくない。」と言う気がするわけで。詮索好きの富の王家のおっちゃんと大名家のおっちゃんは、「7番目の兄さんには自分の役目に集中して貰わないと困るので、前世のことを詮索しないように。」と遂に6番目の子からダメ出しをされてしまって。二人ともけっこう落ち込んでいるらしいですー;。(でも、その代わりということで某A君の情報が開示されたらしい。そっちの方は、6番目の子の邪魔にならない範囲で、詮索可ということになっているらしいのですが。大抵の人は某A君のことを、「前世も坊主で、今も(神に仕える)坊主だなんて、よっぽどその仕事が好きなんだね」と言う気がするわけですー;。)