本日の日誌

今日の帰り際に、午前中騒ぎを起こした隣人が、今度は性懲りも無く実力行使を仕掛けてきて、車の出入りを邪魔しようとしてきたわけです。しかも、こちらが車を入れようとしているのを見計らって、わざと出て来たとしか思えない。で、親は助けてくれないし、親は「譲るべき」とか言うわけです。なんで、自分の子供に不利になることを言うのかも分からない。「自分が不利」になることじゃないよ? 「自分の子供が不利」になることだよ? と思うわけですが、毎度のこと、「自分が不利」になることならいくらでも文句をいうくせに、「自分の子供が不利」になることは知らんぷり、と私の目にはそう写るわけですー;。

「こういう邪魔なことはやめて下さい。」という主旨のことを言ったら、「バックしてどけ」と言うわけで、こちらの都合を無視してどかそうとするわけです。で、結局騙してどかされてしまったわけですが、一度そんな嘘をつくような真似をした相手には一切譲る必要性はない、それが世の中の原則でしょ? と言われる。そもそも、隣近所の付き合いというのは互いの信義則に基づくものであって、どんなささいなことでも「お互いに信頼できる」という原則に基づいているものだから、それを相手が破った時点で、こちらにも守る義務はない、とそう言われるわけで。親がそもそも「車の出し入れに限って」と言うこと自体がおかしい、それは裁判所で裁判長が「病院でのいやがらせは不問にして、懲戒解雇の件だけ扱う」と述べたことと同じで、他のいやがらせの数々を不問にして、その件だけを扱うというのはおかしな話です。隣近所のつきあいがまともにできない相手だから、相手にしたくないことはしない、で充分。こちらが帰る時間はほぼ把握できる状態にあるのだし、車を普段どこに止めているのかも知っているのだから、こちらが帰り支度をしているかいないか、その場で見て判断できないはずはないし、いろんな予定をその時間だけ避ける気遣いはむこうもできるはずだけど、敢えて相手はその努力をしていないので。こちらもそういう努力をしないようにしなければ、「対等な近所付き合い」はできないでしょ、と言われる。そして「まだ攻めるための言霊が足りない。」と言われる。

で、親には「どうせこのままじゃ済まないんだから、譲ってやれば楽なのに。」と言うようなことを言われるわけです。でも、兄さん達には「譲ったって済まないでしょ。場所を移動しても、普通車が2台すれ違うには厳しい私道だから、どこに停めても通りづらさに違いは無い。どちらにしても、今度は車を出し入れする度にいやがらせされる。そうして、『ここに車を停めることそのものが迷惑だ』という方向に持って行くのが向こうの目的だから。『車を停めることそのものが迷惑』→『工事をさっさと終わらせろ』→『穴をゴミだらけにして埋めろ』としたいだけなので。直接『工事を終わらせろ』と言うと『工務店に言ってくれ』と返されるから車のことで文句をいっているだけです。だから、車についてのいやがらせは、相手に言うことに従っても、従わなくても続けられる。それなら、こちらはこちらで言いたいことだけ言って、後は言葉でも態度でも無視しているのが一番の策であって、どちらにしても『車を停めるのは邪魔だ』といういやがらせは停まらないし、それに対する対応策を怠れば、今度は別のことでもいやがらせを始めて、二重三重にいやがらせに悩まされなければならなくなる。この件で、『車はこちらの判断で停めるべきところに停めるし、そちらも譲れるところは譲れ。』と述べて、後は『もう言ったことだから。』と言って済ませておけば、車のいやがらせの対応だけで済む。」と言われる。そして「だいたい、近所付き合いで大事なのは、ゴミ出し当番くらいなものだから、それさえ避けられれば、嫌な連中を相手にしなくても良いでしょ。」と言われる。

「家の車を家の敷地内に停めるのがなぜ悪い」とは、私は言いたくないわけです。工事なんかの際には、お互いに融通を利かせているのが通常だし、現状、領地争いを始めたら、相手は全く通れなくなるし、こちらも不便だと思うから、そこまではしたくない、というのがこちらの「温情的気分」であるので。でも、こういう隣家の「温情」を相手が無視して出てくるのであれば、それすらもしなくても良いのかも、というのは、最後の手段として思う。「車の位置のことだけで考える」なんていうことそのものが、敵の味方をする発言だし、そうやって家のため、家族の今後のために全体を考えて私が行動しているときに、家族が「後ろから撃つ」ようなことを言ったりしたりするのもあんまりだと思う。親は私が、いろいろと注意すると、すぐに「そんなことを言うんだったら、お前の言うことは聞かない。なんでも、自分でやれ。」とかって平気で当たり前のように言って、いつも私がびっくりさせられるわけです。でも、そういうことは平気で言える人なのだと思う。だから、その言葉をそのまんま敵に言ってくれれば、それで良い、と思うわけです。こちらが、敵が通れるように道路を共用させてあげているのに、更にその上に「どけどけ」って言うなんて、そもそも誰の敷地だと思っているのか、ってそういうことだよねえ? バックすれば済む、って道を使わせて上げているのは、こちらじゃないんですかね? って、それが世間の常識だと思うのです。車の出し入れのことだけ論じても仕方がない。それは、原則として「誰の土地なのか」という問題なのです。でも、そこまで言ったら悪い、と思うから、私は敢えて言っていないわけで、それが「隣人に対する配慮」でないなら、親はいったい何を「配慮」と言ったり思ったりするのか? と7番目の兄さんには言われるわけで。「通してあげてるだけで有り難いと思え」とまで言わなくても、態度でそういう態度をとれば充分でしょ? と言われる気がするわけです。まあ、でも、相手が平然と「嘘をつく」ということが判明したわけですから、今後はこちらも遠慮なんかする必要はない、原則的な「信義則」をわざわざ反故にしたのは向こうなので。今後は、相手方の誰が何を言ってきても、「言うべき事は大家さんに言ってあります。」の一言で済むし、済ませなければならない、とそういうことなのだと思うのです。

要するに、親の言うことは両極端なんだなあ、と思う。譲るとなれば、誰の土地でも構わないからこちらが譲る、でなければ「こちらの土地のことなんだから余計なこと言うな」みたいなことを言って、全面通行止めにしろ、みたいなことを言う。こちらは、あくまでも「我が家が出入りする時ぐらい邪魔をしないで配慮してください。」とだけ言うか、お母さんが得意なように、「そんなことを言うんだったら、お前の言うことは聞かない。なんでも、自分でやれ。」って言い放って済ませたいだけなのに、と思う。なんで、思い切り卑屈になるのか、思い切り高飛車になるのかしなければいけないのか、と思うわけです。世間的にはその方が「通らない」ことだと思うのです。