本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。今日は天気予報では「雨」であったのですが、雨はそれほど降らず。でも、台風の影響で風がとても強いので、外で作業する気にならず、日記を書いているわけで。でも、午前中、それほどひどくない時に土台の下をせっせと掘ったから、木のとっこが2本掘り出せたわけで。あとは、周辺のごみや木の棒を片付けて、それで新しいゴミが出てこなければ、置くから埋め戻して、当初の板を掘り出す作業に入れるわけです。そこまでうまく行くと良いわけですが。

昨夜は「SmaSTATION!?」を見て寝て。香取の神には、「生放送での結縁の機会が残り少なくなって、名残惜しいけれども、いずれ必ず会おう、いろいろな制約は多くても、幸せな夫婦になろう。」と言われて。この番組は、香取の神にとっても、妻神に直接プロポーズした思い出深い番組なんだな、と思って。もちろん、そのために、せっせと掘っているんだよ? と思うわけで。で、できるだけ親に結縁して貰おうと思って、親がちょっとだけでも時間があるときに、「香取君の番組だよ」と言ってみたのですが、以前だったら、服装だけでも見ようとしていたのに、ほとんど無視して行ってしまって、それにもちょっと驚いて。でも、今は大変な時期でもあるので、無理なことは言えないし? とも思うわけで。でも、これからは生放送で香取君と結縁する機会はしばらく皆無であるし、さんざんお世話になったのに、その態度で良いの? とは思う。

だから、今朝、少しでもいろんなことを分かって貰おうと思って、「SmaSTATION!?」が次回で最終回なことを話したら、「なんで、テレビを見ていることが相手に分かるのか?」と言われて、ものすごくびっくりしてしまって。だって、兄さん達が四六時中私に取り憑いて、私達が何をするべきか、細かく指示を出して、それでここまで来ているのだし、そういう状況を理解する役に立てて貰おうと、毎日せっせと日記を書いて読んで貰っているのだから、自覚がある私にも、ない人達にも、四六時中外部の「目の力」が強い人が取り憑いて、何をしているのか見守って、危ないことにならないように行動を注意してくれているのはあからさまでしょ? と思う。そして、こういうつながりを円滑にするためには、相手の「目」を見ることがとても大切であって、生放送で見ることは特に大切なことだとは何度も言っているはずなのに、今になっても、妙なことを言い出すのは、自覚があるとかない、という以前に、自覚を「持つ気が無い」し、もはや私や兄さん達を「嘘つき呼ばわり」しているレベルに感じられるわけで。で、こんな状態では困るので、親と話をしてみたわけですが、「目の力」を使って人と話をしたり、人を見守ったりすることは、「自分にはできないことだから、人ができるとは思えない」と言い張るばかりであって。生まれながらに盲目の人が、「自分は目が見えないから、他人にも目がついているなんて思えない。」と言われたら、どうやってその人に自覚を持たせられるのだろう? 問題なのは、こういう能力には個人差が大きくて、現状の不利な状況では、ものすごく「目の力」が強い人でなければ、味方であっても容易に私たちに干渉はできない。一方、敵の方はそれこそ声が良く届きそうな人材を選りすぐって私たちの周りに配置してくるわけだから、「自分は目が見えない」と言えば、そこに容赦なくつけ込むことをするだけなわけだから。それに、父親や姉が、テレビとかを見ていて、妙に興奮して何かに取り憑かれたようになって敵意をむき出しにしてきたこととか、そういう事例がいくつも積み重なってきていることを総合的、客観的に考えれば、自覚を持てても、持てなくても、敵がなにがしかの精神的な方法で、家中に干渉してきて、家族を悪い方へ悪い方へを持って行こうとずっとしてきたことは明らかなわけだから、他人が単に「監視している」とか、そういうだけでなくて、親が自覚を持てないやり方で、家中に干渉しようとしている、そうして一家を自滅に追い込もうとしている、ということにももっと自覚はもってしかるべきである気がするわけで。特に、家族の中でも敵意の強い人達が、敵意をむき出しにするのは、テレビで敵意を持ちそうなものを目にしたとき、外で多くの「敵の目」にさらされて帰ってきたとき、そして特に食べてはいけないものを勝手に食べてきたとき、だって分かっているのに、そういうことをしないようにして、押さえこんでさえしまえば、それで「家は良くなってきたんだからそれでいい」で済ませてしまって、根本的なことは「理解できない」で済ませてしまうのはどうにも良くないことのように思うわけで。理屈はともかくとして、経験的に分かっていて当然のことまで、「理解できない」で無視してしまうのは良くないことだし、自分に都合の良いように解釈して、「自分には蛙の人達の声だけよく届く」なんて、勝手に決め込むのも良くはなかった。私たち家族は、何重にも敵に取り囲まれているし、敵からの干渉がとても強い、ということも自覚を持ってしかるべきだったし、敵が兄さん達に敵意を向けるようにそそのかすからって、兄さん達を嘘つき呼ばわるするのも良くないことのように思うわけで。

どうしたら、目の見えない人に、特に見えていないのは自分だけだって自覚を持たせれば良いのだろう? と思う。盲目の人はみんなどうやって自覚を持つようになるのだろうか、と。そういうことは、指摘もされるけれども、自分と外の人との行動の違いとか、そういうことを自覚して理解していくようになるものなのだけれども、親は現実の「目」の方も、乱視とか白内障とかで、あんまりまともには使ってないわけで。長い間、現実でもものをちゃんと「見ていない」ので、人の目を直接見て、敵か味方なのか判断する能力もままならないのである。で、親に「行けないところなんて、どこにもないのに、なんで古い家のままでは強力な味方が入って来れないのか。」と聞かれて、私にしても、それにはうまく答えられないわけで。私たちが、そこに引きこもっている以上、兄さん達が直接干渉できないような「取り決め」になっているんだろうな、と漠然とそう思うわけなだけで。世の中の人の行動というのは、何かをしようと思ったら必ず「代償」を伴うものだから、それについて払いきれるだけの「代償」を支払わない限り来れないだろう、とは思う。親には「そうしたら兄さん達が殺されるのか?」と聞かれたけれども、それにもうまくは答えられない。でも、我が家の周りには敵は手厚く取り憑いているし、しかも水内郡そのものは、蛙の王家の支配下にあるから、蛇の目の人達は、よほどのことがなければ容易にこの地に干渉できないであろう、と思う。そうして昼寝しておきると、兄さん達から「その点では、あなた自身も守られすぎていて、自覚が足りなさすぎる。敵が望むのは、自分たちの命ではなくて、太陽女神の命なのだから、力関係を無理矢理壊して進入しようとすれば、あなたたちがまず殺されることになる。もちろん、誰でもやろうと思えば、行ってはいけない所に行くことができるし、やってはいけないことをやることもできる。裁判を起こしに東京に行くことだってできるし、勝つこともできる。でも、裁判で強引に勝とうとして、『新幹線に触れ』と言われたことをあなたもお母さんも、甘く見て忘れないように。それで、誰からも止められずに触っていたら、死んでしまって、裁判に勝つも勝たないもないでしょうが?」と言われたわけで。そのことは、私も忘れていた。でも、そういう経験があって、生きているということは忘れてはいけないわけで。そういうときに、ちゃんと自覚を持てないといけないわけだ。

だから、親は古い家を引き払って、新しい家に引っ越せば、いろんなことが都合良く良くなることのように思ってる。でも、現実に敵がいなくなるわけではないから、それも間違いだし、味方との付き合いが始まれば、今度はどの味方とどう付き合っていくのかをしっかり考えていかねばならないわけで。敵は兄さん達との仲を裂くようにしか画策しないことはあからさまである。では、蛙の人達は? と思う。その人達は、善光寺直下の平らな地域、諏訪心の領地に出てこい、とは言う。私に指定された相手と結婚しろ、とも言う。でも、残された家族はどうなる? とはいつも思う。結局は、我が家の家族は、誰も彼もが「自分に理解できないことは、敵に踊らされて何が悪いのか?」としか思えない、それだけの能力しかない人達で、中でもましなのが、私であり母親であるわけで、他の二人はもう「無理」の一言に尽きるわけだから。富の王家の方針は明確であって、「家族ごと引き受ける」と言ってくれるし、それは具体的には蛇の兄さんが現実のものにしていってくれる、と期待してるよ? と思うわけで。実現してくれなかったら、弁護士の資格を取ってしまうよ? と思うわけですが(苦笑)。では、蛙の王家の方はどうかといえば、あんまりそういう具体的な話は聞かず、「引っ越そうとしている家においておけば、一族郎党でなんとかする。」みたいなことしか言われないわけで。なんでだろう? と思う。そうすると、兄さん達から「だって、その人達は太陽女神が「分家の出」であるなら、総本家の言いなりにだけなって当然、だって思う人達だぜ?」と言われるわけで。分家の出であるものが、自分の立場に自覚も持てず、「理解できない」の一言で味方を無視したら、総本家はどう出る? 家族一人一人が孤立させられて、3番目の叔父や5番目の叔父のように、各個敵のなすがままに殺されるだけでしょ? 良い土地に住もうが住むまいが、「何をどうすべきか自覚が持てずに、奴隷のままで良いと思う者には、家畜に待ち受ける運命と同じで、屠殺される運命が待っているだけ。」と言われるわけで。斉の王家は、かつて人間の赤ん坊の唐揚げとか平気で食べていた人達だから。「自分の先祖はそういう人達だと言うことを、もっと自覚を持つべき。」と言われるわけで。一族郎党の直接の言葉にすら耳を貸さず、菩提寺を勝手に変えてどうなった? 一番「目の力」の弱い5番目の叔父さんとその家族が犠牲になった。新しい家に引っ越したところで、太陽女神がいなくなったその家で、残された家族が「理解できない」と言って好き勝手なことを始めたら、同じ運命が待っているだけ。「周りがどんなに助けようとしても、助かろうと、自分からしない人は助けられないんだよ。」と言われるわけで。

そっか、蛙の王家は太陽女神だけを引き出して、残りの家族は総本家の意向に従う能力がなければ、利用するだけして、始末してしまえばいい、とそう思ってるんだ、と始めて気がつくわけで。兄さん達は、それを阻止しようとして、かろうじて自覚の持てる私と母親に、なんとか強く結縁しようとしているわけだけれども、親の方はどうにも自覚が持てなくて、兄さん達を嘘つき呼ばわりする。最近、また「お買い物ラッシュ」が来ているのも、私が自分のお金を使わざるを得ないのも、「家族を助ける」ためであるのに、親の方は「自分の小遣いで買うのなら良い」としか言わない。「千と千尋」の両親は、豚の姿に変えられて、食べられようとしていたけれども、千尋は一人で何とか家族を助け出そうと奮闘していた。でも、結局両親はそのことを知らないし、忘れてしまうし、その結果娘に感謝もしたりしないわけで。我が家の状況は今もって、「千と千尋」と同じ状況、と兄さん達に言われて不憫がられるわけで。兄さん達は、姉ではなく母親に特に生放送のテレビをしっかり見て貰いたがっているわけです。姉には事態を改善する能力も、自覚する能力もない、ということをみんな知っているわけだから。それを助けることのできる母親との結縁を重要視しているのだけれども、これがまた、ということなわけで-;。でも、なんで、蛙の王家の本性が、ここに来て分かったのだろう? と思う。それは、呪いのとっこを外したから、タール土を掘り出したから。そして、指定の品物を家に入れて、家族の命をお金で買っているから、ってそういうことなんだー、と思って。どうせ、放っておけば、「理解できない」の一言で、敵に食い散らかされて自滅するしかない、そういう人しか我が家にいないって誰でも知っていて、そこをどうするのか、いろんな勢力が画策しているんだな、と思うのです。でも、だから6番目の子は「当面、蛙の人達のことは敵だと思うように。」と言ってくるわけで。まあ、私の見解は夫と同じ、ということで-;。分家の人間は、利用するしか価値がないと思ってる総本家では困るの。利用する価値もない人材しか揃ってない家の出の者としては、とそういうことです。「私の家族」という、それだけのことに価値を見いだしてくれる富の王家のおっちゃんの方がよっぽど親切、というか、そちらはそちらで、そういう大盤振る舞いをしてでも、「太母となる才能を持つ女神」が欲しいわけだ。

でもって、なんというか、家の工事が進んで、掃除も進んで、状況はよくなっているはずなのに、なんで親の言動だけがどんどん常軌を逸した方向に行くのだろう? というか、香取の神に求婚されたのは、かれこれ3年くらい前になるわけだけれども、親はその時点では、香取の神のことも私のこともうそつき呼ばわりはしなかったわけで、話が進んだ今になって急にそんなことを言い出すわけで。あれから、いろんなことがあって、いろんな経験が増しているわけだから、むしろ現実に起きていることについては、その時点よりも理解できているようになっているはずなのに、経験を増せば増すほど、母親は逆に兄さんたちを嘘つき呼ばわりするようになっているわけで。それは、もちろん蛙の人たちの声が届きやすくなって、彼らが妨害していることもあると思う。敵ももちろん妨害する。でも、蛙の王家は何故、そういう妨害をするのだろうか、蛇の目の人たちだって同盟相手であるでないの? と思うわけで。だから、結局それはもう、決めてること。蛙の総本家は、自覚を持てず、役に立たない人間は、役に立てるだけ立てて始末する予定なんだ、ということなわけで。だいたい、20年以上前に、交通事故で殺されそうになったでしょ。直接手を下そうとしたのは敵だけれども、水内郡下で起きたことを蛙の王家が承知していないはずはない。王家の意向に逆らって、娘をあくまでも自分の欲から医学部に閉じ込めておこうした者は、そうやって屠殺人の手に渡す、という決定はもうされているわけで。各王家は互いの内政には基本的に干渉しない。ローマ人は、蛙の王家から見れば「処刑人」の一種みたいなものにしか過ぎない。総本家が水内郡下で、そういう事件を起こすことを認めたら、誰がそれを止められるのか? と言われるわけで。富の王家は、そこを押して、総本家の内政に干渉して、事故は止められなかったけれども、命は助けることに成功した。隣接している更級郡は、富の王家の領地だから。蛇の目の人たちと蛙の人たちの「こじれ」は、もともと蛇の兄さんの個人的な不満だったものが、その時点で、家同士の対立という「本格的」なものに発展したわけで。こじれることがわかっていて、富の王家の当主が、なんで、親を助ける方向に動いたからといえば、有能な臣下から「それをやらないとクーデターを起こして、お前の首を挿げ替える」と、脅されたから、ということに表向きはなっているわけでー;。庶民の出の分際で、王族に対して、そんなことが言える人はめったにはいない。みんな、親を利用するだけして、切り捨てて殺せ、とそう要求される太陽女神のことは気の毒だと思っても、総本家に敵対してその守護を失う、ということは、屠殺人の前に放り出された家畜となるも同然のことだから、誰もその点で軽々しく太陽女神の味方はできない、と言われるわけで。富の王家の当主は、自分の首がかわいいから、太陽女神の家族を助けて引き受けることを承知した、ということらしくて。そうして、引っ越しをした後の、家族をどうするのか、という問題について、総本家の意向を太陽女神にあからさまに暴露するに至ったわけで。もちろん、私が総本家の意向に賛成するとは、誰も思っていないよね? と思うわけで。暴露するに至って、大きな力を発揮したのは、あからさまに東方教会であると思う。彼らの力を呼び込むのに力を尽くしたのは、守達神と、みんなが「お水脳」と呼んでいる錬金術師である。そもそも、錬金術師とは何者? と思うと、「それはプルートーの配下の人たちのこと」と言われるわけで@@。どうやら、これで、総本家と真正面からの大激突は必至、ということになるらしいのですが。でも、ごく普通に考えて、家族も守れず助けられないような人間に、世界は救えるのだろうか? と思う。まあ、総本家はそんなことにかかわらず、「自分たちの言うことだけ聞け」っていうのだろうけれどもー;。千尋のように感謝なんかこれっぽっちもされなくても、仕方ないんだよ、そういう能力しかない人なんだし、だからといって、そういう人たちを家畜扱いしかしないで差別するのもまた間違っていることなのではないの? と、そうなる。結局は、ものごとは「いじめ」というものを肯定してよいのか、悪いのか、と、そういう単純な、大学入試の時の最初の命題にいつも戻される。「差別もいじめもよろしくないこと」とそう決めたのは自分なのだから、最後までそういうことを行わない自分でいたい、とそうするしかないのだと思う。それだけのことなわけです。