本日の日誌

ええと、今日は現場のゴミ片付けがあるということで、出かけて行ったらけっこう仕事もあった、という日だったのですが。ともかく、皆さまのアドバイスに従ってできるだけのことはしてきた気がするわけで。でもって、プレカットの最新図面を受け取って来たわけですが、今現在分かっていることは、「まだOKが出せる状況ではない」ということで、書面の精査はこれから、ということになるのですが。

それはともかく、朝2台、帰りに2台消防車にあったこともものすごく気になるわけですが。でも、お昼頃から、「手紙に書いてることは分かるのだけれども、そこに書かれていることの『思考回路』が自分には全然読み取れない。なんで、「結婚」の2文字を忌避しなければならないのかが、分からないから、それだけでも日記に書いて。」って言われる気がするわけでですねえ?@@ でもって、「ファン」というものについてはいろいろと書かれているけれども、「アーティスト」というものについては何も書かれていないし、芸能人というものが「疑似恋愛」の対象にしか過ぎないなら、何をやろうが自分には「セックスシンボル」としての価値しかないということ? って聞かれる気がするわけでですねえ@@。別に私自身は、誰のことも「セックスシンボル」だなんて思ってないですよ? そりゃ、みんな格好いいとは思いますけれども? と思ったわけで。でもって、7番目の子からも、「だいたい関係者全員の過去のスキャンダルは全部知っているくせに、そういうことを決める時に全く考慮しなかった、その性格の意見を聞かせて欲しい。」って言われる気がするわけで。けっこう、誰かさんの問題は皆さまの関心事ですねえ? と思うわけで。6番目の子からも、「自分のことに集中しなければいけない時期であることは分かっているけれども、こちらも急務なので、こちらにかまけていて呪いが入ってしまったりしたものは、責任を持って毒蛇に喰いきらせるから。」って言われる気がするわけで@@。

そして、結局、件の「自称ファン」の言い分はそもそも妥当なのか否か、って聞かれる気もするわけで。ううむ、というか何というか。でも、ものすごく原則的に言えば、芸能の世界というのは結局「見せ物」みたいなものであって、それはローマで発達した「mass」の操作の手法でもあって、「大衆の持つ不満をいかにして、そらすのか。そして誤魔化すのか。」っていう部分がものすごくありますよねえ? と思うわけで。大元には、「神に奉納するもの」みたいな意味もあるかもしれませんが、それは「神を称えるもの」から、「為政者を称えるもの」、そして、「大衆を誤魔化すもの」へと変化していくのが「ローマ式」なわけで。だから、こう言ってはなんですけれども、「大衆の不満を吸収するもの」として存在、という点では、ローマの道具にしか過ぎなくて、そういう立場からいえば、自らが「不満を持たれるもの」となってはならないし、そうなると「道具」としての価値はなくなるし、それが「ファンが離れる」ということであって、ファンがアーティストに対して持っている不満の内容が、「妥当」なのか「不当」なのかはあまり関係がないよね? と思うわけで。

で、もうちょっと深く考えてみたわけですが、ファンというのはこの場合「女性」が大半なわけで。で、「女性」の持つ欲望というものは、
1.かっこいい恋人が欲しい、みたいな「女」としての欲望
2.小さくて弱いものを育ててみたい、という「母親」としての欲望
と、2種類あると思うわけです。だから、「疑似恋愛」というのは1みたいな感じであって、要するに、好きな芸能人が結婚してしまったら、「恋人を取られた」みたいな気持ちになるのかと思うわけで。でもまあ、周りからは、「本当に恋人同士になれると思っていたのか?」みたいな冷や水をさされるわけですから、現実問題としては「フラれた」みたいなことにもできないわけですし、傷心でファンを辞めてしまう人はいるかも? とは思うわけです。

でも、いろんなサイトを見て思うわけですが、むしろファンの「母性」というものを軽視しているものが多いよね、と思うわけで。「親が子供を育てるのは当たり前のこと」っていうようなことは良く言われる気がするわけですが、そういう「義務的」な意味を付けなくても、動物の雌には、例えば自分の子供でないもの、とか犬が子猫にもお乳を上げて育てようとするような「母性本能」というものが利害に関係なく備わっているわけで。現実の生活であったら、女の人は好きな人と付き合って結婚する、という場合には「女性性」であるし、その結果子供が生まれれば「母性」を発揮して子育てする、ということになるわけで、「女性」と「母性」の欲望の対象は明確に異なって棲み分けされているわけですが、「芸能人を応援する」という点では、それが要するに「いっしょくた」になってると思って頂ければ、と思うわけで-;。要するに、現実の生活の上で、対象となる芸能人と、実際に関わる機会なんか「無い」と思っているからこそ、そういうことは可能になるわけです。女性が満たしたいと思う2つの大きな欲望を満たす「対象」として相手を見ているわけで、それができるのは現実的には「夢」のような相手だけなわけで。だから、とっかかりが、「歌が好き」とか「演技が好き」とかそういうものがあったとしても、それだけの理由では人は「ファン」にはならない、と思うわけで。「家族になろうよ」とか、そういうのはファンじゃなくても、その曲だけ好きって人もいるでしょ? と思うわけで。だから、セックスシンボルとしての価値しかない、とかそういうことではなくて、基本的には「ファン」というのは、「ものわかりの良い母親」みたいな部分があって、「あなたのすることは何でも応援したいから、やりたいように何でもやって」っていう気持ちはけっこう強いと思うわけで。「こうでなきゃいや」という人は、逆にファンとしては長続きしないと思うわけです。だから、古参のファンで、特にあまり売れていない時から応援してくれている人達というのは、福山君がアーティストとして成長していく過程を見守ってきたし、応援してきたし、自分達が育ててきた存在でもあるし、共に育ってきた存在でもある、と思ってると思うわけで。「母親」のような気持ちがむしろ強いのではないの? と思うのですが、この場合もいわば「疑似母親」みたいなものだから、実の子供を育てる場合みたいにいろんな責任が伴うわけでもありませんし、都合の良いところだけそういう気分になれれば幸せ、ということで。だから、「ファンを家族みたいに思っている」という文言そのものの方が、むしろ曲者だと思うわけですが、特に古くからのファン、要するに古くからの「疑似母親」達には、一生懸命応援して育ててきた息子が、実際には付き合っていた女の子のことを自分達には嘘をついて隠していたし、しかも「可愛い息子の嫁」としては気にいらない嫁だし、ということで、気分的には、「そういう嫁のことはいるって分かっていても、実家にも連れてこなくていいし、あたしにも関わらせないで。」ってそういう気分なんじゃないの? という気がするわけで-;。要するにこの場合の「実家」っていうのは、アーティストとファンが「関わる場所」っていうことだよねえ? と思うわけですが。すなわち、ライブ会場とか、公式のHPとか、ファンクラブ限定の場所とかさ? って思うわけでですねえ? そして、それでも、自分達と息子との関係は、他の人達との繋がりとは違って、特別な信頼関係の元にあるもの、って思うから、当人の口からすら聞きたくないものを、第三者の口からなんか聞かされるのは「うんざり至極」ということで。「結婚」って2文字を聞かされすぎてうんざりしている人は大勢いるのではないのですかねえ? と思うので、その言葉はできる限り使わない「禁忌」にしておいた方がよろしいのでは? って思うだけでですねえ?? 「家庭よりも仕事優先」の姿勢を前面に出すことをお勧めするのは、要は、「家庭よりも仕事(の方面に関わっているファンという恋人(でなきゃ母親))」を優先する姿勢を示した方が、よろしいのではないのですか? どんな立場であろうと、女というのは嫉妬深い生き物であって、誰が一番大切にされているように見えるか、っていう点には神経質なものですよ、って言うしかないわけですが。特に古参のファンとかで、「20年来のファン」というものは、どういう観点からであれ、「あんな女よりも私の方がずっと古くから彼のことを良く知っているわ。」って思うのではないのですかねえ? まあ、あまり口にする人は少なくてもね? って思うわけで。件の人にしても、「彼のこういうところは暗黙の了解みたいにして知ってる」みたいな、「特に知っている」感が出てることを述べていた気がするのですけれども?? と思うわけで-;。ファンというものは、そういうスタンスさえ取って貰えれば、例えそれが実態を伴っていないものであったとしても、いろんな意味で彼らの「女としてのプライド」は納得して満たされるものなんだという気がするわけで。そういう点では、実態というよりも「面子」の問題でもあるわけです。アーティストがどういう活動をしているかということとは関係なく、「自分達の面子」も少しは立てて欲しい、って要するにそういうことなんじゃないの? と思うわけで。言っていることは、だいたい、その点に対する不満が、他の不満にすり替わっているものとか、そういうことなのではないのか? とも思うわけですが。本気で「疑似恋愛的妄想」を持っている人なんてどれくらいいるのですかね? 人間っていうのはもっと常識的で保守的な生き物ですぞ? ってそう思うわけですが。

でも、自分のことを言うならば、だいたい自分の置かれている状況が、もう騒ぎが起きる以前からどうみても尋常ではなかったし、「目の力」というものを使って一生懸命応援して、守ってくれているのは「お婿さん達」だけっていうのではないことが分かっているから。彼らだけが、過去のスキャンダル等で「信頼できない対象」になるのはヘンでしょ、ってそう思うだけなわけで。表向き、プロパガンダのことしか考えていない私にとっては、それは自分自身の「公」の部分であって、私的に「好きになった人」に対する思いは別のもの、だとまあ自分ではそう思っているわけですが。まあ、焼きもちは焼かないように見える? かもしれませんが、でもそんなことする以上に心配しなきゃいけないことは目下のところたくさんあるんじゃないの? ってむしろ、そう思うだけなわけです。そういう点では、冷静至極な毒吐きヒキガエルですみませんねえ? みたいな、そういう気がするわけですが(苦笑)。