昨夜は夢を見て。なんだか、ハリー・ポッターみたいな魔法学校の学生をしていて。で、何故か4番目の子も同級生で。で、彼が、私につりあう「目の力」が欲しい、って微妙に嘆いている、という夢で。この人はこの人で、早く大人になって好きな人を迎えに行きたい、と思っていたらしいのですが。でも、もう充分に大人だよね? と思うわけで。
で、本日も「お仕事」があったわけで。そちらにもけっこう時間がかかって疲れたのですが。そして、本日はロシアの神話が2冊、ギリシャ神話が1冊、北欧神話が1冊、家に入ったわけで。なんだか「お仕事」の最中に「ストリボーグとダジボーグ」って何度も言われる気がするわけで。それはどっかの神サマの名前? と思ったのですが。家に帰って調べて見たら、ダジボーグがスラヴの太陽神、ストリボーグがスラヴの風神、ということで、昔は雷神のペールーンと一緒にされて、この三神がスラヴで重要な三つ組であったらしいのですが。で、ダジボーグは一応男神ということになっているのですが、スラヴの人達が住んでいる範囲も広いので太陽神が女神の地域もある、ということで。要するに、ペールーンとストリボーグとダジボーグの「三つ組」の再編成が求められているらしいのですが@@。で、名前を見ますと、スラヴの「ボーグ」というのは「神」という意味らしいので、要するにそれはストリ神とダジ神という意味? と思うわけで。で、ダジというのは、「DK」という子音が一番近い音、ストリというのはセツ、すなわちサタンが一番近い音、って言われる気がするわけで。で、神話もちょっと読んでみましたが、スラブの人達は、何かいやなことがあったりした時に、「太陽が復讐してくれればいいのに」というようなことを言う、ということで。ダジボーグは、ダキニとかエトルリアのティニアと同類項の神で、尚且つ全てを明るいところで見ていて、弱い立場の人に対して公平・公正に「復讐してくれる神」ってことなのですよねえ? と思うわけで。(そういえば、ローマの司法の女神ユースティティアも「DK」の子音が2つ重なる女神だ-、と思うわけで。人間、誠実に、そして普通に暮らしていたら、「復讐の対象」になることはよっぽど運が悪いとか、そういうことがないとならないわけで。でも、弱い立場の人が悪い者に騙されたりとか、権力を持っている者に搾取されたりとか、そういうことはどこでもありがちなモノのわけで。「司法」や「正義」の神が必要とされるのは、そういうときなんだー、普通にみんなが司法や正義を守って暮らしていれば、神々は必要ないけれども、弱い立場の者が復讐を求める時だけ、神々は必要とされる、ということで。西の方の人達にとっては、「正義の神」とは「復讐の神」であって当然なんだなあ、とふいに気が付いたりするわけで。だから、原始キリスト教のように、「キリスト教は愛の教えであって、右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ。」なんて言うのは、「奴隷のように扱われたら、その扱いに満足して従え。」って言ってるのと同じなんだー、って分かるわけで。そうして、教会の「上層部」は下の者に対して権力を手に入れる、世俗の権力者と手を組んで、下の者を搾取する、ということで。要するに、搾取される側に「我慢しろ」って言って、「信者を増やせば、偉くなって自分が搾取する側に回れる」っていうのがキリスト教なんじゃん、ってふいに気が付くわけで。)スラヴの神々は苛烈な「復讐の神」が多く、ダジボーグは復讐の太陽神、ストリボーグは悪魔の風の神、ペールーンは雷と共に嵐を起こす雷神、である。でも、彼らは自らの民が不当な扱いを受けた時に、復讐してくれる神でもある、ということで。で、ともかく、ダジボーグの名前を私が貰うのは良いとして、ストリボーグの方はどうするのですかね? ということになるわけで。変則的ですけれども、ダジボーグの名前は私と7番目の子が共有して、ストリボーグの名前は私と6番目の子が良いのではないか、ということに落ち着いたわけで。スラヴの激しい気性の神々の「三つ組」を事実上、四神で回すってことになるのですねえ? と思うわけですが。
で、ロシアの神話では、「チェルノボーグ」という神もいて、「チェルノ」というのは「黒」という意味であって。そういえばあちらには「チェルノブイリ」という地名がありましたよねえ? とふと思うわけで。で、調べてみたら、そこは「黒い草」という意味で、それは一般的には西洋ではニガヨモギという草で、「不吉な草」であるようなのですが。で、そこの町は原発の事故によって、文字通り人が住めない「死の町」になっているわけで。原発なんていうものは、非常に繊細なメンテナンスが必要とされるものだから、そういうことを怠ればいずれ破綻するのは目に見えている。不吉な名前の町に、わざとそういうものを作って、破綻させる方向に持っていけば、いずれ名前の通りの町になることは目に見えている、って言われる気がするわけで@@。「原発が爆発して、日本は終わる」って敵が呪いの言霊を吐き出したときに、それに巻き込まれずに、「まだ終わってないし、最後まで最善を尽くすべきだし、人心を惑わすようなことを言うことこそをやめろ。」と、言い返せること。それこそが「復讐の神」に必要とされる「力」だと皆さま思っているようで。で、ローマのやり口の最近のものとしては、キリスト教が廃れてきて、文化とかあるいは信仰の対象としても異教の神々の復興が盛んになってくれば、今度は「神話の研究」みたいなことをやり出して、スラヴのペールーンは、同じ雷神だから、ローマのユーピテルと同じもの、というようなことを言い出すこと、って言われる気がするわけで。ペールーンというのは、ヴァルナと同系統の子音を持つ神ですから、雷神かもしれないけれども、本来水神としての性質も強いわけで、内陸では水神とか雷神という扱いになっても、海の近くへ行くと海神としての性質も表れてくるわけで、子音からいけばローマのウェヌスと同じ神、であって、ユーピテルとは同じ神ではないわけです。でも、ローマ人は意図的にユーピテルと結びつけて、ローマの都合の良いように作り替えようとする、ということで。「ウェヌスと同じ神」と言える「力」を持っている神が必要、って要はそういうことのようなのですが。であればこそ、スラヴの人達は、私と蛇の兄さんに、その名前を遣ってもいいよ、って言ってくれるということで。そして、スラヴの神話を見て思うことは、彼らの神々の名前は、子音を見ていくとやはり地中海周辺地域の神々と同系統の名前が多くて、神々の性質にも連続性があるわけで。でも、信仰全体を見ると、彼らの信仰はシャーマンがいて、いわゆるアニミズムというか、「自然信仰」に近いものであって。そういうものは、シベリア、アイヌを経て、新大陸の先住民の信仰にまで共通点があるものであって。「神」というものは、地中海周辺地域でいろんな思想が発生して、変遷してきたものですけれども、本来的にはどこでも似たようなシャーマニズムとかアニミズムを持っていたものなのではないのかなあ? とそんな気がしたわけで。
で、北欧神話の本をちらっと読んだら、キリスト教が異教の神々をいかにして弾圧しかたがけっこう書いてあって。結局、彼らはまず権力者を取り込んで、それから下の方の人達を改宗させるわけで。で、改宗させると、今度は今まで信仰していた異教の神々の悪口を言わせるわけで。そういうことを嫌がっていた人が大勢いた、みたいなことが書いてあって。で、なんでそういうことをさせるのかというと、それは結局、異教の神々を言霊で「呪っている」ということなんですよねえ? と思うわけで。本来だったら、そういうことはとても失礼に当たることだから、やってはいけないことなわけです。で、そうやって喧嘩を売るような真似をしておいて、相手が怒れば、今度は相手を悪者にして暴力を振るうようなことを平気でするわけで。まず、言霊で相手を呪っておいて、精神的に弱体化させておいてから、軍隊とか戦争とか、内部紛争とかそういうもので潰そうとするのですよねえ? と思うわけで。
でもって、ギリシャ神話。これはあちこちの出版社でいろんな本が出されていますので、どれを買うのか迷ったのですが、最終的に講談社のものを買うのか、新潮社のものを買うのか迷ったわけで。新潮社版は、名訳の誉れ高い訳者さんのものですし? と思ったのですが。表紙の絵を見たら、新潮社のものは、母系の神であったメドゥーサを殺す絵が表紙であって、それで買うのをやめたわけです。で、今日講談社のを見て見たら、こちらは馬型の神サマを殺す絵が表紙、ということで。結局我が家に相応しいのは、こちらの方なんだな、と思ったわけですが。で、どうにもギリシャ神話とは相性がいいって言われる気がするわけで@@。でも、その一方で、本来神話なんていらないもの、って言われる気もするわけで。太陽の神に豊穣を、雷の神に雨を、風の神に航海なんかに必要な良い風を願えばそれで神々に対してはことが足りるわけで、いろんな神話なんて、必須なものではないでしょ? って言われる気がするわけです。でも、特にギリシャの人達は、様々な神話が大好き、ということで。華麗で美辞麗句を並べ立てた神話や英雄譚が盛んなのは、それだけで「自分達の神サマはこれだけすばらしい」みたいに言霊で述べて、「だから自分達は特別な選民」って言いたいってことでしょ? って言われる気がするわけで。でも、ギリシャの人達は、敵に「神を信じなければ地獄に落ちる」って言われた時の対応を例に述べるわけで。これも結局は、相手を精神的に弱体化させる「呪いの言霊」になるわけです。で、「自分は信じていないから関係ない」とか、「宗教的価値観が違うから自分とは考え方が異なる」とかって言うのは、単に「防衛してるだけ」って言われる気がするわけで@@。それだと、弱らせられる、ってとこまで行かなくても、勝てるわけでもない、ということで。こういう時に、「そうやって人を脅すようなことを言う者が、まず地獄に落ちるのが当たり前」って言って、呪いをやり返せるくらいの言霊を持ってないとダメ、というのがギリシャの人達のご主張のようで@@。本を手にとっただけで、こういうところが好きって言われる気がするわけですが@@。
だいたい、悪口掲示板を読んで、悪口を書かれてる側にはお人好しなくらい同情してしまうのに、その一方で掲示板も面白がって笑って読んでいられるところが、言葉というものに対する完成が、なんかヘンって言われる気がするわけで@@。だいたい、「悪口」なんていうのも「呪いの言霊」だから、巻き込まれれば、書かれている相手のことを嫌いになってしまうし、そうでなければ、悪口そのものがイヤになって、読むのを止めてしまうのが普通って言われる気がするわけで。まあ、そこに書かれていることのほとんどは、あんまり読む価値はないと思うわけですが-;。でも、たまに単に面白いことが書いてあって、笑ってしまうわけでーー;。なんていうか、それだけのことなわけですがー;。あんまり、人の書いていることに、そのまま巻き込まれるタイプではない? と思うわけで。
で、今日は家に帰ってきて、Mステもお休みだし、あんまり見るべきものがないかも? と思っていたら、福山君のところに「今夜はるろ剣」って書き込みがあったわけで。「それ、録画しなきゃ。」と思って、録画の予約をしたわけで。で、「お仕事」の方は、どこにどんな「神印」を入れるのかを、あーやちゃんとかと相談しつつ入れていたわけで。今日もわりと蛇の兄さんはご機嫌で、蛙の子に巻き付いたりしていた気がするのですが。まあ、そんな一日だったわけです。