昨日からですが、B’zのお二人から、「ultra soul」と「ねがい」という曲を家に入れて欲しい、という要請が来まして。「ultra soul」はお二人から兄さんに宛てたお歌なわけですが、私が「代理人」として受け取ることで、要するに「兄さんは私のもの」であるという主張をして欲しい、というご趣旨のようです。それに歌詞の中に「結末ばかりに気を取られ この瞬間を楽しめない」とありまして、そこが兄さんの欠点でもあると稲葉さんはお考えのようです。確かに、稲葉さんはライブの動画を見ても、それなりに状況を楽しまれているように見えますけれども、兄さんの方がそういう点は繊細というか、そういう面が割と少ないと思いますので。要するに「結末を追い求めることに熱くなりすぎないで、今の状況もちょっとは楽しめるような余裕も持ちなさい。」ということなのだと思います。
それから、「ねがい」の方はよろしくないお歌ではあるのですが、「ねがいが叶って欲しい」というお歌でもあるので、その「良い部分」だけを抜き出して「使う」練習をして欲しい、ということなのだと思います。
それでもって、今朝からの兄さんは、どうにも「今すぐ逢いたい」という気持ちが募っているようで、私が兄さんの送った曲を聴かないと、「聴いて欲しい」って感じで非情にせつなそうに呼ぶわけですし、聴けば聴いたで若い頃の情熱的なお歌も、その情熱のままに気を込めて送ってきますし、しかもその合間に情熱に任せて「絶対に他の男には渡さない」とか言ってくるわけで、なんというか、気持ちはうれしいのですけれども、「あなた、いったいいくつになったんですかね? そんなだからいくつになっても『腕白坊主』とかって言われちゃうのでは?」と思うわけで。蛙さんたちも、「こんなに独占欲の強い男だったとは。」とか「この男にうっとおしくなったら、いつでも捨ててくれていいから。」とか言い出すわけでーー;。確かにですねえ、私も執着心とかそういうものはけっこう強い方だとは思うわけですが、真性の蛇の人たちのすごい執着心ってこういうものなんだ? というか、この性格の前には、確かに私も「単なる蛙の小娘」に過ぎない気にさせられるわけで。
で、まあ、それはそれで構わない?、といえば構わないのですが、こういう時に限ってですねえ、いつも見に行くインターネットのニュースサイトに
「焼き餅焼きの独占欲の強いDV男に捕まって、さんざん暴力を振るわれた上に身を持ち崩した女の人のエッセイ」
みたいなのが、これみよがしに載るわけで。あー、こういうのを「陽動作戦」って言うんだ? と思うわけですが。相変わらず敵はこういうの好きですよねえ? 女癖の悪い芸能人のネタはどこへ行ったんだ? とか思うわけで。熱くなっちゃってる純情な兄さんは、「自分はこういう男じゃない」って言いたくても、そこまでも言えない気持ちになっちゃって、なんだか私がこの文章を読んでいるだけで、兄さんの方がズタズタに傷ついちゃっているのが分かるわけで。そういう時には、麻衣ちゃんとかJUJU姐さんが、私がだまされないように一生懸命お歌を送ってくれているわけで。基本的に、女の人はDV男なんて嫌いだと思いますので、女性陣にこれだけ慕われて応援して貰える兄さんは、そんなことする人ではないと思うのですけれどもね。問題は「絶対に他の男には渡さない」っていう点での「語弊」なだけですのでね。なんというか、他に「二人」いるような気がしますので、そこまで「渡さない」と言われるのは困るというか? でも、現実にはそこまで逸脱するような兄さんではないともみんな知っていると思うのですけれどもね。(ここのところ、「そうかあ?」って突っ込む蛙さん達がいるわけで。なんのために私が掟破りの「I Love You」をウォークマンに入れてるのかも、みなさまには思い出して貰いたいと思うわけですがーー;。)でも、こうやって兄さんの弱点を突くような揺さぶりを受けたときに、熱くなりすぎてて無防備になってしまう点をね、稲葉さんは「結末ばかりに気を取られて、この瞬間を楽しめない」っておっしゃるのではないのかと思いますけれどもね。
あとは、どうにも、「最強のM男を決める」っていうAVを見て見たくないか、という誘惑?も来ているような。っていうか、別に私は「M男」が好きなわけではないわけですがーー;。なんだか、敵のやっていることも迷走中なような。さすがの兄さんもこのネタには笑ってるわけですし(苦笑)。
どうもね、味方の蛇の人たちも、敵も、本質は「蛇」であるように思うわけですが、敵と味方の違いは、要するに本質的には執着心の超強烈な「蛇」であっても、DVというような暴力を振るうのか、振るわないのか、というそういう微妙ではあるけれども、明確な「一線」を超えるか、超えないのかというところにあるのだと思います。要するに暴力を振るう人というのは、執着心とかそういうものだけでなくて、そうやって相手を傷つけて楽しむ性格傾向があると思うので、兄さんは戦いの場では、特に相手が男性だと結構情け容赦ないと思うのですが、必要もないのにそんなことする人でも、好む人でもないと思うので。コブクロのお二人が送ってくれた「陽だまりの道」というお歌には、私の力が兄さんにネルガルとしての能力を与えるに足り得るものでなければ「自分の夢は夢のままで終わってしまっても、一緒に過ごせればそれでいい」っていう意味の歌詞があるわけで、それはそれで兄さんの本音であって、無理をさせてまで私を自分の望むようにしようとか、そういう人ではないでしょ、と思うわけで。敵が、無理矢理、某検査室の、異常な男女関係に私を当てはめようとしていたのとは、それは全然違うと思うので。そういう点で、蛇の人たちは精神的に強いやさしさを持っているし、敵はその点で「狂って」いるのだと思う。
あと、ゆずの「虹」という曲で、「光と影を受け止めたなら 行こう君と」という歌詞があるのですが、これは「Beautiful life」と「GAME」のことなのだと思う。「Beautiful life」が、我が家の再生を願う一途なやさしい男心を歌ったお歌なら、「GAME」は外で一人闘う軍神としての兄さんの矜持を歌ったお歌だということで。せめて、「Beautiful life」だけでも受け止めて欲しいと思うから、兄さんは私が見ていないと知っていても、Mステスーパーライブでこれを歌ったのだと思います。でも、「GAME」の方は、受け止めて貰うのが無理ならそれでもいいと思うから、Mステでは歌わなかったのでは無いのかな、とも思うのですが。まあ、でも私は「どちらもいける口」だったということで、兄さんの喜びも執着心も更に倍増しなわけですなーー;。
で、兄さんが、私に聴かせたがる「自分の歌」というのは、兄さん自身の歌と、Mr.Childrenの「365日」「終わりなき旅」、倉木麻衣ちゃんの「STAND BY YOU」「あなたがいるから」「Sun will shine on u」、JUJU姐さんの「やさしさで溢れるように」、それから問題だらけの「I Love You」というわけで。で、兄さんが松本英子嬢に提供して、セルフカバーしている「squall」も、厳密にいえばカバー曲なので、よろしくないお歌なのだと思います。でも、兄さん自身が作った歌ですから、カバーとしてはましな曲ということで。で、そこに私は意図的にファンキー加藤君の「太陽」と、GLAYの「春を愛する人」を入れて聴いているわけです。
ファンキー加藤君は、一番目の子を強く応援してくれてるのだと思うのですが、でも3人のお歌を作ってくれたし、兄さんとは現実にも公然とエールを送り合うような信頼関係を築かれてますので、加藤君の歌う一番目の子のお歌は兄さんもそれほど嫌がらないかな、ということで。(だいたい、Sexy Zoneの中島君もですねえ、「凜としていて、理想の女性です。」ということを伝えるのに、私に3回もビデオを見直して貰わなければならなかったくらいで、聞いていても、見ていても、どうしても兄さんと一番目の子との力の差で、私の中でのこの部分の印象が薄くなってしまって、しかも兄さんは意図的にこの部分を私に忘れさせようとしますので、本当にこの部分を私に届けようとした一番目の子と中島君の努力は、よくない言霊でけなしてはいけないものなのだと思います。そこで払われている努力は、兄さんの力に対抗せねばならないだけに、相当なものだと思うから。だいたい、「One Love」だって本当は一番目の子のお歌なのに、兄さんは松本君に紫色の服を着せることで、「自分の歌」に流用しちゃってるわけですからねーー;。)だから、一番目の子のお歌としては、加藤くんくらいパワーのある人のものでないと、兄さんの力の前には太刀打ちできないし、なじまない、と思うわけです。
で、GLAYの「春を愛する人」は、四季の循環と秩序を何よりも尊ぶ蛙さん達の思想と、2番目の子の情熱が良く現れているお歌だと思います。兄さんだって、そういう「秩序」を尊重していないわけでないないのですけれども、兄さんにとっては「四季の循環と秩序『も』大切」ということであって、それが全てではないのですよね。だから、「squall」とか送り込んで、微妙な掟破りは平気でするわけで。そういうところが、組織的かつ秩序の整ったやり方を愛する2番目の子とどうしても対立するわけだと思う。そういうスタンドプレーは場合によっては「綿密に計算立てた作戦」の邪魔にもなりますしね。そして、2番目の子は、力が足りなくて兄さんのように、単独で采配を振るうというようなことは苦手なのだと思います。だって、Mステスペで、「良い曲」を送ってくれた中で、兄さんのお味方であったのはJUJU姐さんだけであって、AKB48は敵側の人たち、嵐は2番目の子の直属、ということで、要するに兄さんは、自分の味方よりも、そうではない人の力を使いこなすことで、あの3時間をできる限り有効に組み立ててたわけで、そういうことは2番目の子にもできないし、兄さん以外の誰にもできないことだと思うので。2番目の子は、その代わりに味方の集団を計算してうまく動かすことが得意なわけで、兄さんみたいなことが全くできないわけではないけれども、限界があるのだと思います。
そして、そういう力の無い2番目の子は、兄さんのそういう「力まかせ」な点は嫌いなわけですが、でもかつて私と付き合っていた時には、そういう「掟破り」みたいな力を私に期待していたところはあったんじゃないかと思います。彼の方から、私と1対1のパートナーになりたいと願っても、それを実現する能力はないけれども、私が2番目の子を「力」でねじ伏せて、全てを理解した上で「他に夫はいらない」と宣言してしまえば、誰もそれには逆らえない、それだけの「力」を私に持っていて欲しい、と誰よりも願ったのも彼ではないかと思う。まあ、でも、あの頃の私にはそれは無理だったでしょうね。そして、兄さんの若くて情熱的なお歌を受け止めることも無理だったと思いますけれどもね、ということでーー;。だから、今になって、私が兄さん以上の「境界破り」みたいなことをしても、2番目の子は補佐してくれるだけで、兄さんにみせるみたいな嫌悪感は示さないわけで、それはそれで2番目の子の内面の矛盾のような気もしますが。(しかも、こう書いていると兄さんの「milk tea」が2番目の子の歌に聞こえてくるから不思議だ。それはきっと2番目の子がこの曲を「自分の曲」として「使っている」からだ、と思うわけで。兄さんもそれは「あいつも油断ならない奴」と思ってるわけで。だから、私は「HOWEVER」をあまり聴きたくないのですよ。あれは、あれでけっこう取り扱い要注意曲なわけで。)でも、GLAYのTAKURO氏は、卓越したメロディーメーカーで、その華麗なメロディーは兄さんの曲に負けていないし、独特の「言霊」の使い方を会得されている方ですので、兄さんの曲ばかりの中に、1曲だけ「春を愛する人」を入れておいても見劣りしないと思うわけです。で、この「兄さんの曲集」の中に、「ultra soul」と「ねがい」を入れれば、ひとまず満願なのかな、と思うわけですが。
それから、ハリウッド俳優のジョージ・クルーニー氏がご結婚されたということで。この方は、「ER」という医療モノのドラマでダグラス・ロスという小児科医の役を演じて有名になられた方だと思うのですが。「ER」の第一シーズンは私が医者になった年から日本では放送され始めていて、私も最初の頃はいつも見ていました。クルーニー氏はお味方だと思いますので、彼も遠く離れていても、その頃から私たちのことを見守って下さっていた方なのだと思います。ご結婚、おめでとうございます。と言えば、あちらからも同じ事を言って下さっている気がします<(_ _)>。