夜になると、どうも兄さんの気の力が強くなる気がして、
「あー、そういえば私もいつも昼間よりも夜の方が調子がいいよなあ。」
と思いましたら、一番目の子から
「そもそも太陽女神っていうのが「詐欺」でしょ。夜、力が強くなるのは「夜」の名を持つネイト女神では。」
って言われるわけで。別に私は自分から「太陽女神」って告白したわけじゃないんで。遂に、同族の旦那サマからも「夜の女神」認定ということで(苦笑)。たぶん、兄さんと気が合うわりに、一番目の子のことも私がけっこう好きであるのは、伝統的な「太陽女神と月神」の組み合わせと言うよりは「夜の神」同士気が合うのではないかと思うのです。
「それじゃ、道祖神のヘルメスとヘカテーの組み合わせ。」
と兄さんも言うわけで。どうせ、常々自分でもそう思っていたわけですが。どうにも、私の性質というのは、夜と死の女神9割、豊穣の昼と生の太陽女神1割ということで、良いお花を植えたり、良い服を着ることで、太陽女神の役割は果たせるけれども、本質は違うところにあるようです。だから、心まで豊穣の太陽女神であることを要求されるとストレスが溜まって「GAME」とか喰いたくなるようで。
たぶん、私にとって「死」とは、穢れたものではなくて、命の果てに死があるのであれば、生を全うした末の死も尊いものであって、だからこそ生を全うすることも、全うさせることも尊いのだと、そう思うわけです。そして、個人としては、「死の静寂」を好む傾向にあるので、私の気は、敵が放つ「穢れた死の気」ではなくて、「清冽な青い死の気」であるらしいです。
こういう「力」はきっとすごく古い時代の「気」なのだと思うのです。なぜなら、豊穣の生を優先して、「死は穢れである」と定められるよりも前の、生も死も内包して「尊い」と思う概念だからで、「死は穢れである」と定められた東洋の蛙さんたちの伝統文化が1万年の歴史を誇るものであれば、それよりも更に古い概念であるってことだよね? ということで。どうにも、私は「生きた化石」でしょうか? と思うわけですが。きっと、そんなのが「本当の私」なのではないかと、なんとなく兄さんの「今夜、君を抱いて」を聴いているとそんな気がするわけですが。
で、あとは明日のMステの曲が、MステのHPに乗っていまして、「どれが良い曲だと思う?」と兄さんに聞かれましたので、AKB48の「フライングゲット」「心のプラカード」、JUJU姐さんの「やさしさで溢れるように」だと思うわけですが。(嵐もメドレーで良い曲をいくつか唄うかもしれませんが。)だいたい、フラゲが兄さんのお歌だという時点で、「フライングゲット」を狙っていましたね、あなた? と思うわけですが(笑)。
あとは、福山君の男子限定ライブと、女子限定ライブの意味ですかねえ? それはきっと「Beautiful life」と「GAME」の対比に似ていると思うのですが、「男の世界は戦いの世界であって、そこでは兄さんが一人で戦うけれども、夫としてはあなたのそばにいたくて、戦っている世界での顔と、優しい夫でありたいと思う自分との間の矛盾を受け入れて欲しいし、そういう生き方をする自分を恐れないで理解して欲しい。」ということではないのですかねえ、と思うわけですが。蛙さんたちは防衛は得意でも、外に出て戦うことは苦手なわけで、そうするとそういう役割は兄さんが担うしかないわけで。まあ、「GAME」なんてものは、本当はよろしくないものだと分かっているのですが、でも敵が仕掛けてくる以上は、そこで勝ち残っていかなければならなくて「嫌だ」なんて言っていても始まらないわけで。むしろ、軍神として同じ名を持つ私たちであれば、あなた一人がそのことを引き受けて孤高な存在になる必要はないし、それが理解できない私でもないと思うわけですけれどもね。少なくとも、「理解されないんじゃないか」とお悩みになる必要はあまりないんじゃないですかねえ。私も自分でまかなえる分にはけっこう好戦的ですので、と言うしかありませんの。
Mステの曲は、兄さんからの優しい挑戦ということで。まあ、こちらはこちらで、いろいろと頑張ってみたいと思います。