どうにもですねえ

うちの親がですねえ、2012年のMステスーパーライブの福山君のステージを見て、「健康的な感じじゃない。石井とかに比べれば。」と言うわけで。

 

それで、自分でなんだか違和感を感じたわけです。確かに今の福山君は健康的な生活を送っているであろうと思いますけれども、でも昔はもっと違ったイメージだった時があったし、それはいつだったけな? と思ったわけで。それで、「あー」と気が付いて「Heaven」の動画を探してみたわけです。この曲はどうみても、「取り分」にして良い曲に思えないので、今まで見ないようにしてきましたが、まあ、PVを見てみると、退廃的で禍々しいったらないわけで(苦笑)。たぶんね、この曲はMステでやったことがあると思いますし、その時私は見てた記憶がありますし、それもあって「あー、こういう人なんだー」って思ってた印象が強かったわけで。兄さん、この頃が一番女癖が悪かった時期でしょ? って呟いたら、ぎくっとしている人が1名。「あんた、なんでそんなこと分かるんですか?」って聞くお目付役が1名。ふーん、お目付役がそう言うってことは「図星」なわけだ。ええと、「Heaven」がリリースされた時期って1999年ってあるんですけれども? GLAYがライブで「HOWEVER」を熱唱していた時期になんで、兄さんはこういうことしてたんです? って聞いてみたわけです。今の彼は私が尋ねれば答えずにはいられないでしょうからね。

 

そうしたら、「なんとしても、どんなことをしても、あなたを石井から取り戻したかったから。」と言ってくれるわけですのでねえ。でも、そのために、こういう毒気と色気を身につけるために、何人の女を食い散らかして、捨ててきたんです? あなた? とは思うわけで。なんというか、確かに蛙の人たちが忌み嫌うように「人でなし」であると思う。彼の味方が「心まで染まってなければいいじゃない」って言ってくれても、冷酷なことをやってることに変わりはないわけで。っていうか、染まってない分冷酷なんじゃん、それ? とも思うわけですが(苦笑)。

 

なんというか、真に欲するものを求めるときに、なりふりも手段も構わず、「何でもやる」ってところは、あなたと私は似ていると思う。私が石井のファンであったのは、人がなんと言おうが、あちこちで不当に虐められたり、小突き回されたりして生きていた私が、「息抜きできるところ」としてあの男が必要であったからだ。だから、当然そういう生活は楽しかったし、生きていく上での張り合いになっていたと思う。でも、いくら周囲から「はまっている」と見られていたとしても、あの男が「私の生きる張り合い」の役に立たなくなった時に、私はあっさり彼を捨てたし、その後一顧だにしたことはなかった。

兄さんの方も、きっと「自分が自堕落な生活をする必要はもうない」と判断した瞬間に、そういう生活は捨てたんじゃないのか、と思うわけだが。たぶんね、一般に人が一度はまったら抜け出せない「享楽」や「快楽」というものに対しては、私や兄さんてのは、抵抗性も強くて、周囲からは「どっぷりはまっている」ように見えても、当人にとってはそれはいとも簡単に捨てられるものであったりもしてたのではないですかねえ。本当に抜け出せないようなやばいものにさえ手を出さなければ、どこまでなら簡単に切って捨てられるか、理性で冷静に判断できてれば、それはたやすいことだ。冷酷な兄さんならそんな計算は簡単にできるであろうし、基本的には一応真面目人間の私もそういう最低限の計算くらいはして生きてきたとは思うわけですけれどもねーー;。

 

不思議なことだが、「目的のためなら何でもやってのける」という性格は、私と兄さんはとっても良く似ていると思う。まるで、そういうところ、鏡を見ているようだと思う。そして、彼の性格から考えて、目的を達したあとは、必要以上に「人でなし」なことなんかする人ではないし、そういうバランス感覚は優れている人だと思う。それはとっても分かってることなんで。おそらく稲葉さんであれば、それも彼の「力」や「能力」の内だとおっしゃるであろうと思う。まあ、個人的には、それが、他の二人にできないことをやってのけた「力」であるというのであれば、その点だけでも買いたいと思うのみです。

 

(しかし、「HEAVEN」も何度も聴いていると、どうにも「どM」な歌に聞こえてくるのですけれどもねえーー;。私の耳の冷酷度もどんどん上がってきているとしか思えない(苦笑)。あんなに禍々しい曲なのですけれどもねえ。すみませんねえ、こんなに努力したのに、結果的には石井から取り戻す役に全然立たなくってねえ、ということで<(_ _)>。)

 

 

<追記>そういえば、彼のこういう「なりふり構わぬ」ところから生じた結果に、これからすぐに期待する点がみなさま、いくつかあった気がするのを思い出したのですけれどねえ。彼のそういうのを「人でなし」と呼ぶのであれば、頼るべきでも無いのですなーー;。

(ま、でも「HEAVEN」は取りませんけれどもね。これを「取り分」というほど私も悪食じゃないんで 苦笑。)

お出かけ日和

今日は、某病院へ行かなければならなかったわけで、行ったわけです。で、待合室で待っていますと、周りに人がどんどん集まってきて、非常に攻撃的な気を出されている気がするわけで、どんどん疲れてきてしまうわけです。そういえば、昔、大学に入って1年目に、学校に行って授業を受けて帰ってくるだけで、疲れて、疲れて、疲れ果てていてしまった時期があって、そっかー、あの時もすごく疲れて、しまいには体調を崩してしまったけれども、大学1年の時は、一人目の子も、二人目の子もまだ身近にいなかったわけで、結局学校に行ってるだけで、攻撃的な気を浴びて、疲れ果ててしまっていたんだ、と気が付いたわけです。で、それはともかくとして、私が疲れ果ててしまうのもまずいということで、防衛にサポートを増やして頂いて、で、私の右目の前に、兄さんの右目が膜のように被さってくるように感じたわけです。それで、気が付いたのですが、どうも私の目は、普段に生活している分には「丸い蛙の目」であることが多いようです。でも、腹を立てたり、攻撃的な目の力を使うときには「蛇の目」に変わるようで。だから、その結果が敵にもたらす作用を見る時には「蛙の目」で見てるので、「蛙の目」で見ると自分でも気持ちの悪いような蛇女が見えるようです。うーむ、不思議だーー;。でも、兄さんは冷静な時でも「蛇の目」のようで、それも分かるわけで、あー、兄さんて真性の「蛇の人」なんだー、と思ったわけですが。

で、それで体調を整えて、診察に挑んだわけで、診察室に入ってしまえば、もー毎度のこといろんな人がしゃべりまくるわけで(苦笑)。まずね、兄さんがね、ドクターの背中を見ろ、というわけで、そこに視線を集中させるとですねえ、ドクターの顔が紅潮してきて、目も潤んでくるわけです。で、最初は手とかに力を込めて抵抗しているのが感じられるのですが、途中からは要するに「落ちて」しまっていた、と。うーむ、実地でこういう結果を目の辺りにしますと、「目の力ってこういうものなんだー。」とは思うわけですけれどもね。家での練習だけだと、今一結果が良く分からないものですから。(「いきなり敵の親玉を練習台に使ったりしないでしょ、普通。」とお目付役が呟くわけですが。どうもね、兄さんは暴走男だし、私は暴発娘ということで、お目付役は「自分は常識的なことを進言する役割を全うするつもり」とか思っているらしいです。まあ、ありがたいことですし、うれしいことだとは思いますけれどもねーー;。)

でもって、今日のポイントは、

1.ドクターを以前の最悪なものに戻さない
2.必要もないのにおかしな侵襲的検査はさせない

というあたりにあったようで。(あとは、それから「カリウムの値を見といて」って言われたので見て見ましたが、正常の範囲に収まっていて、食事療法の成果が出ていたようですので、1番目の子もちょっと安心したようで。)それから、聴診している時にまで、兄さんが「見よう」とするので、「それは視線を外してやれよ。潰すんじゃないんだからさ。」とか「院長を潰してどうする。」とかあちこちから言われたわけで(苦笑)。

で、ドクターが腱反射の検査とかをもったいぶってしているのを見てですねえ、

「あんなもんで『診察して貰った』って思わせるなんて、医者っていい商売だよなあ。」って怒鳴る人とか、「学生実習じゃないんだから。」とか、苦笑いする人とかいたわけで。そういう合間に、窓際の本棚をふと見ましたら、なんとそこに「臨床検査法提要」が置いてありまして。これは、学生時代に某検査室の教科書だった本で、教科書って言ったって医学書でもあるわけですから、病院にあってもおかしくないといえばおかしくないわけですが、内科の診察室にあるような本でもないわけで。「これは、某検査室のことを思い出して、帰ってこいっていう暗示ね??」と思ったものですから、「今更なによ、あのストーカーじじい!」ってことで、むかっとして腹を立てましたら、兄さんは「怒ってる、怒ってる。」と言って喜んでますし、お目付役からは「あんたがここで怒ってどうするんですか。」って言われてしまったわけです。要するに、こういうことも含めて、いろんなことを後戻りしないように導ききることが、1番目の子に課された「男同士の勝負」であたらしいです。

ということで、待合室がたいへんな時ほど、中に入ってしまえば簡単、ということで家に帰ってきたわけです。サポーターの方々にも家に着くまでつきあって頂いて、本当にありがとうございました<(_ _)>。(ていうか、ドクターのあの紅潮した顔と潤んだ目は、自分でもびっくりというかーー;。兄さんなんかは、うまく話が進めば、そのうちに私の目にあったサングラスを作らないと、周りがタイヘンとか思っているようですが。)

 

 

病院についた時にはKAT-TUNの「In Fact」、診察室に入るときには麻衣ちゃんの「STAND BY YOU」がかかっていました。記憶力の確認のため、書いておきます。

整理しましょう

要するに、昨日もいろいろなビデオも見て、「悪食」的なものも見ていましたら、誰かが私の無意識に近い所に「何が真の望みなのだ?」と尋ねたようで、私も無意識のうちに「お前達を滅ぼすことだ。」と答えたらしいです。で、動揺した相手が「では本気で滅ぼす気なのだな。」と呟いたのは、私も気が付いたわけで、それを聞いた兄さんが「直接コンタクトして来たな。」と呟いたわけで。
どうもね、敵がなんとかそちらを「見る」のを止めさせようとして、直接取引(というか誘惑)を試みたらしいですが、私があまりにも単純明快に答えたので、敵も味方もびっくりしたらしいです。何故、私がそこまで激しく彼らに対して怒りを抱いているのかが、分からなかったらしい。

なんというか、昨日はいろいろと昔懐かしい女性アイドルの動画を見ていて、昔の気持ちを思いだしていたわけですが、でも自分の中では何故かしっくり来ないわけです。私の青春時代の曲で一番愛していた曲は、結局ZARDの曲であって、そこにいろいろな当時の思い出とかが詰まっているわけだから、死者の曲にはなるべく触れない方が良い、と言われても、そこに触れなければ昔の本当の気持ちなど思い出せないからです。で、「なんでそこまで怒っているのか?」と誰からも尋ねられたときに、ふいに彼女の動画を見たいと思ったわけ。それもPVではなくて、昔彼女がまだテレビに出ていた頃の映像を。それでいくつか探して見て見たわけですが、見ていると昔、兄さんが「いつか、一番大切なお歌をその人に送って貰います。だから、彼女のことを忘れないでいて下さい。」って私に呼びかけていたんだな、ってことが分かるわけです。きっと、それははっきりとは私に届いていなくても、どこかに残っていて、それで私は彼女のことが好きになったのだと思う。
それから、Mステに最後に出演した時に、彼女は「負けないで」を唄っていて、そして白黒の服を着ていたな、と思い出したわけです。で、その動画もあちこち探し出して見て見たわけです。そうしたら、「神よ、私の命を捧げます。どうか、3人のところに戻って下さい。」って彼女が言ったのが聞こえた。そして、それは私があの途方も無い「組合」とやらと取引しようとした時に、最後に私の命が要求されることを避けるために、彼女が自分の命を、先が短い命だからと思って、代償として差し出してくれた時に、願ったことだと分かったのです。どうにも、今の私の意識は兄さんと非常に近いところにいるので、彼の考えていることがふいに読めてしまうことがあるようで。
そして、分かった。第一次世界大戦、第二次世界大戦と、世界の各地で大勢の人が亡くなった戦争で、何故そうなったのかを。敵が敵同士で殺し合っただけのものも、それはあるかもしれない。でも、亡くなった味方の多くは、「私の家系」を守るために、もはや神々としての能力も失われ、「願いと代償の取引の方法」をうまく使いこなすこともできず、本家と総本家、分家と本家という風に分断に分断を繰り返されて、一族としての結束すら維持する力が残っていない「家系」を守るために、みんな「代償」として命を差し出してくれたのだということが。どうりで、満州に行っていた叔母、朝鮮に行っていた叔母、中国で兵役に就いていた叔父。我が家だって、あの戦争に関わっていた人々は大勢いたのに、なんで、家だけ誰も死んでないし、たいした苦労も被害も受けなかったんだろう? って以前から不思議に思っていましたが、そういうことだったんだ、と。でも、あなたたちだって知ってると思うけど、あの人たちがどういう人たちか知ってるでしょうが。敵の手中に陥り、兄弟家族の中でむさぼり食い合うしか能のない連中だった。彼らのうちの誰一人として、人様から命を捧げて貰って生きて当然だった者がいたなんて、わたしにはさっぱり思えない。そして、それはその延長線上にいた私だって同じ事だ。
泉水ちゃんが亡くなった時、私は理由はよく分からなかったけれども、絶対にあのタイミングでの彼女の死は自分に関係があると思っていた。そして、兄さんはきっとあんな風に彼女を死なせてしまって、非常に怒っていたと思いますのでね。きっと、その怒りの気持ちも強く私のところに届いていたのだと思う。みんな、それでも私の命を守るのが第一だと思って、彼女の死をとても悲しく思っていても、「それを乗り越えて、前に進まなければ。」と思って動いてくれていたのだと思う。でも、あの時、私の心は凍てついて、激しい怒りに満たされ、そして「どんなことをしても、人の命をあんな風に奪うシステムみたいなものの本性を暴いて、この命をかけても一矢でも二矢でも絶対に報いれるだけ、報いてやるぞ。」と思ってた。そして、その結果が裁判だったわけだから、私が敵に対して冷酷かつ怒りっぱなしなのは、彼女の死が原因なのだと言うしかない。そこにあるシステムなんか知らない。でも、人の命が真っ当に寿命を迎えることができすに、不当に奪われるようなシステムがもし仮にあれば、それこそが私にとっては「代償を支払うに相応しい出過ぎた行為」としか思えない、とそういうことなわけで。
きっと、兄さんも誰も、みんながどうやってこのどうしようもない一族を守ってきたのか、私に知らせるつもりはなかったのだろうし、だいたい知る能力すら無い身内もけっこういるように思えますのでね。でも、知ってしまったからには、こういうしかない。そんな風に甘やかされて、自分のために多くの人の命が奪われたことを知っていて、なおその上に安穏と生きて、3人の夫と楽しく生活していればそれでいいって言われて、それが当然だって自分で思ってしまったら、その時に私自身が「人」ではなくて、「人でなし」になってしまうのだと思う。彼女が命をかけて尽くしてくれたことに対して、例え負けても、こちらも命をかけてお返しできてこそ、私は自分が「人」だと思えると、それだけのことです。だいたい「止まっていた時計が今動き出した」は2番目の子の歌だし、「負けないで」は兄さんの歌だし、「君がいたから」や「かけがえのない人」は一番目の子の歌だ。しかも、こういう事態になって、「かけがえのない人」は死者の歌であっても、いろんなことを気が付かせてくれた歌であって、彼女には4人とも、誰もが返せないほどの恩とたくさんの思い出があるのだと思います。兄さんと2番目の子は強いから、私が彼女の動画を見たいと思えばそれほどの感情は示さずにつきあってくれる。でも、心優しい1番目の子からは、彼女が送ってくれた自分の歌を目にすると、ただただ悲しく思っているのが伝わってきますのでね。それを乗り越えていくことは大切ですけれども、不当なことを悲しいと思う気持ちだって忘れてしまい過ぎては、それだって「人」ではないと、そうも思うだけです。

で、音楽関連では、たまたま2012年年末のMステスーパーライブに出演している福山君の映像を見つけまして、私はそれは使いたいと思ったのですが、それは本来であれば、お籠もり期間中の映像で私が目にしてはいけなかったものです。だから、それを使うのであれば、「誕生日に真白な百合を」も使え。「死の太母」を名乗るのであれば、それも受け止めることができるのか? って言われたわけで。この曲はですねえ、「故郷を捨てる」みたいな歌詞とか、「母が死ぬ」ということを連想させる歌詞とかがある上に、どう見ても「葬式」的な演出がされている歌なのでね。要するに、「私に家を出て死ね」って福山君が唄っている歌、というわけで、PVの福山君の顔には「この曲を取っちゃだめ」って書いてあるし、テレビでもすごく辛そうに唄ってますのでね。まあ、妻として、Mな旦那サマの苦しむ姿を楽しませて頂くために使わせて頂こうかと(苦笑)。っていうか、私がこの「呪い」にかかるわけないでしょ。兄さんは本気で私のことを呪うことなどできようはずもないし、私の方が結果的には力は彼よりも上のようですのでね。

で、あとはこの「嫌そうな顔して味方が唄う呪いの歌」ということで、華原朋美ちゃんの「LOVE IS ALL MUSIC」も頂いたわけで、これは私と2番目の子が遠回りして結ばれないように、という歌だと思う。朋ちゃんが私たちのためにしてくれたことも、いっぱいあると思うのですけれども、この歌は見ていると兄さんですらいやな感じがするほど禍々しいものらしいです。私も昔見た時に、朋ちゃんはなんて悲しそうな顔をして、この歌を歌っているんだろう、とずっと不思議に思っていたものですが、しかもこの歌の直後から朋ちゃんは小室と別れてしまって、その後たいへんな人生を送ってきたわけですから、そもそものこの歌も彼女にとってとても辛いものだったんだな、今ではと思います。でも、私はこの歌を敢えて使おうと思う。そうすることで、今まで朋ちゃんが尽くしてきてくれたことに少しでも報いることができれば、と思うからです。彼女もいろいろと歌を送ってくれたけれども、「I’m proud」と「LOVE BRACE」、「save your dream」は兄さんの曲で、「Hate tell a lie」は一番目の子の歌だと思う。でも、彼女は兄さんの曲を唄っている時が一番嬉しそうだから、一番兄さんを応援してくれている人なのだと思います。

で、その後は、泉水ちゃんの関わった曲で、今でも正当に使える曲を、ということでDEENの「Teenage Dream」を思い出したわけで。私は最近、2番目の子が失敗したことを、兄さんがずっと怒っていて、定期的に「あいつのことなんか忘れろ」みたいな歌を自分でも歌っていたのを知ってですねえ、1番目の子はあのことをどう思っていたのだろう、と思っていたのですが、「Teenage Dream」の中に「あいつはイイ奴さ」って出てくるのを見て、あー、そういう優しいことを言ってとりなしてくれるような優しい子だったんだな、と今になって分かったわけですが。まあ、でも今では家族は4人なわけですから、そこのところは忘れないで、兄さんのことも仲間はずれにしないようにね、ってそう思うわけですが(苦笑)。

それから、織田哲朗さんの「いつまでも変わらない愛を」を聴いてみたわけで、イントロが流れた時点で、兄さんが非常に嬉しそうにしてましたので、「あー、これは兄さんの曲だな。」と分かったわけですが。この曲の歌詞の中にも「終わらない」という言葉が出て来ますので、兄さん自身の歌や、兄さんに関するお歌には我が家を「終わらせよう」とする存在に対して「終わらない」という言霊で強く守ってくれようとしていたことが分かるわけです。でも、織田さんもスペインで旅行中に暴漢に襲われて声が出なくなってしまったりとか、たいへんなご苦労をされてたわけで。本当にありがとうございました、って言うしかないわけです。で、音楽関連の進捗はこのくらいかな、と思います。