午後の部

午後は、まず米米の「ひとすじになれない」「浪漫飛行」「君がいるだけで」のメドレー(テレビ版)を見たわけで、正確な日月は不明ですが、昔うっすらと見た記憶があります。バックダンサーが3人に増えていますから、8周年記念ライブの後の映像で、最初の米米の歴史としては最後の方に近いものだと思うわけです。で、そこで見た石井も禍々しいことは禍々しいのですが、なんというか目の奥に「怯え」みたいなものが見えるわけです。「なんで?」って思うわけですが、そうすると兄さんが言うわけです。だって、あの男が請け負ったのは、あなたを堕落させることだから、結局あの男でもそれを成功させることはできなかったから、その代償に大借金を負わされて、解散に追い込まれる寸前の顔ですよ、あれは、ということで。そっかー、そうして自分が築いてきたものを失うことを恐れて怯えてる目なんだ、あれは。と気が付いたわけです。そんな「人を呪わば穴二つ」みたいな例を見せられましても、なんといってよいのやら、というか、同情する気には全然なれないわけですがーー;。

で、その後はCHAGE and ASKAのビデオを見ようと言うことになって、見たわけです。なぜなら彼らにも良い曲は作って頂いたわけですが、現在のASKAさんはあんな状態なわけですから、彼らのご好意に報いられる部分があるなら、報いなきゃならん、というのが兄さんの考えのようで。

で、まず「SAY YES」。なんというか、ライブのビデオを見ていると、ASKAさんの方が、唄いながら怯えたような目をしているわけです。そして、もうどこかに「取り憑かれてる」と感じる目をしてる。彼は、自分が取り憑かれてしまっていて、精神のバランスが崩壊するのを恐れて怯えているけれども、もはや自分ではどうしようもなくなってる。そんな人の目をしています。たぶん、ASKAさんは自分の力以上のことをして下さったので、そこでもうバランスを崩されてしまっていて、自分が主人公のライブのステージの上で、もうそこを仕切るだけの「気」が発揮できないでいるのではないかと感じるのです。一方のCHAGEさんの方は、ASKAさんよりも強い「気」をお持ちのようで、彼の方が安定した印象を受けます。「そう、見合った以上の力を使うと、ああなる。力ばっかりを求めることはよろしくない、と言っても結局は力あるものしか生き残れない世界では、生き残るために力が必要となるから、そういう意味であなたがどんなものであれ「力」を求めるのは、生きるためのもので悪いことではないけれども。彼は「SAY YES」で見合った以上の力を使いすぎた。」と兄さんは言うわけです。
そしてみんなは言うわけです。「どうか、ASKAさんがあんなことになっても「SAY YES」を家から出さないで。彼があんなになるまで尽くしてくれた気持ちを忘れないで。そして、彼の裁判がどんな形で敵に利用されることになっても(って、それは結局「女癖」の件だと思うわけですが)、彼を恨まないでいてあげて。彼はこれから、それこそ再生できるかどうかも分からない状況でも、それを目指して一人で頑張っていかなければならないんだから、せめてその再生を祈って、願って上げてください。」と。そして、そうすることが、結局彼がしてくれたことに対して報いることになるのだと、兄さんも言うのです。
私も、それは本当にそう思います。でも、ステージの上であの程度の力しかお持ちでなければ、今後彼がミュージシャンを続けることすら、彼のためになるのかどうか、とは今ではそんな感じがするわけですが、それでも人として、ASKAさんが再生して立ち直ってくれれば、と願っています。そして、CHAGE and ASKAのお二人が作って下さった歌は我が家から決して出すまいと思います。

それから、「YHA YHA YHA」。この曲は割と攻撃的な曲で、具体的な暴力を煽るような傾向があるような曲なわけです。で、ライブビデオを見て、ぞっとしたのですが、全体の雰囲気もとても禍々しくて、やっぱり唄いながらASKAさんは、その場を取り仕切れていないわけです。そして、客席からは、観客が「狂え、狂え、お前も自分の作った歌に捕まって飲み込まれてしまえ!」って気を情け容赦なくステージに向かって送ってくるわけで、ASKAさんもそれにほとんど飲み込まれているわけで、とても禍々しくて残酷だと思った。
それで、みんな言うわけです。芸能界というのはこういうところだと知って欲しい。成功すれば、一生遊んでくらせるお金は手に入るかもしれない。そして、いい思いができることもあるかもしれない。でも、いったん見合った以上の力を使いすぎてバランスを崩せば、ああなって墜ちるしかない残酷で冷酷な世界でもあるということを、と。

で、その次は「僕はこの瞳で嘘をつく」。どうもね、この曲を聴いていると、そこはかとなく「お前も、男達の言っていることは全部嘘だと思え。」みたいなことが聞こえてくるような気がするわけです。というか、かすかに聞こえる感じがするだけなのですが、私の目を使って、防衛している兄さんが、ものすごく緊張して、高揚してるのが伝わってくるわけで、きっと兄さんの方には、その声はよく届いていたのではないか、と思うわけですが。

で、次は「LOVE SONG」。これは、まあ普通に見れたというか。

その次は「WALK」。歌詞の「君を失うと僕のすべては止まる」を聴いた瞬間に分かったわけです。「あ、これは兄さんのお歌だ。」って。「はつ恋」の子に捧げている兄さんの真心って、こういうものなんだよ、ということを私に教えてくれたくて、これはCHAGEさんが持ちかけてくれた勝負なのだと、それで分かったわけです。(「SAY YES」は一番目の子のお歌ですし。)そして、ASKAさんの再生も信じて願って欲しくて。

で、最後に見たのは「太陽と埃の中で」ということで、これもあまり良い歌ではない、ということのようです。

で、本日はMステの日ですので、あまり力を使いすぎても良くない、ということで残りは休養をとっていました。

 

あと、午後に買い物に出て、買った雑誌の表紙が、左目を強調して、白い服を着た二宮君だったので、「あ、これ、兄さんのことだな。」と分かったわけで。中に白黒の服をきて、うれしそうなタモリさんの記事がありましたから、それも兄さんの図。SMAPのコンサートも兄さんの図。中の記事に福山君の小さい写真が載っていましたので、ちらっと見ましたら、「首筋まで見なくていい」って目をそらされてしまって、体がぽっと熱くなったので、ちゃんと見れずじまいではあったのですが、兄さんも良い笑顔の写真であったかな、と思います。でも、午後は家の外の敵意がけっこう強かったですけれども。

それから、新聞に載っていたカマン・カレホユック遺跡から出土した、「金のイヤリング」。かつて、そこで、敬われていたのは青い目をした蛙の太母で、彼女の夫は「豊穣の牡牛」だったと思うのです。それは「豊穣の牡牛」であったかもしれないけれども、人の犠牲を求める恐ろしい神、古代エジプトの父なる神・プタハと同じ系列の神です。要するに、そこの太母も蛙ではあっても、必ずしも良い性質の神とはいえなかった神で。
あの記事は大村先生からの、私と兄さんに対するエールと願いであると思うのです。その歴史は必ずしも良いものでなかったとしても、それを乗り越えて人として、人らしく生きていって欲しい、と。フルリの、ヒクソスの青い目をした残虐な蛙の太母の血をひく娘に、そう言ってくれているのだと思うのです。