DEPARTURES

ええと、いろいろと見ている内に、また勝負の時が来たようで、それはまず

朋ちゃんが小室哲哉を従えて、DEPARTURESを唄っている映像を見ろ

と言うのです。で、見たところ、朋ちゃんはどう見ても、勝利の凱歌を上げているようにしか見えない。それは彼女の人生において、愛や夢や持ち歌や、彼女が「自分の取り分」だと感じていたものを奪った男に対して、復讐を果たしてのけた瞬間だから、彼女が勝利の美酒の酔いしれても当然であると思う。それは、それをどう思うか、と私に問いかけた。それが、「蛇」の執念深さだ。あなたはその執念深さをどう裁くのか、とそれは問う。

そっか、そんな勝負なぞ、蹴飛ばしてのけられない私ではない。「自分の取り分」だと感じているものを奪おうとするものに対して「蛇」が抱くその激しい執念深さと復讐心はこの私にとって必要なものである。兄さんは、私を奪おうとするものに対して、その「蛇」の性質をもって、自分が朋ちゃんのように凱歌を上げられるようになるまで執念深く戦ってくれるだろう。

そして、私自身のことについて言えば、それはもう分かってるだろう、と言わざるをえない。東京の、あの病院で、兄さんでさえ、小さな蛙の娘がどんなことになっているのか心痛のあまり、泣きそうな顔して「milk tea」で一言「頑張れ」と言うだけしかできなかったあの時、私はあそこで朋ちゃんのように執念深く戦っていた。あそこで私が得られて当然であった「自分の取り分」を必ず取ってやるために、絶対に戦い抜く覚悟であった。それが私だ。私もまたそういう「蛇」だ。だからこそのあの裁判だろう。分かっているだろう。私もまた彼女と同じだ。

そして、今、結局私の取り分は、過去に私を傷つけた「2番目の子」だけではないと分かった。だから、それも含めて、「私の取り分」を取り戻すために戦うだけだ。兄さんと一緒に。それだけのことだ。この答えで満足して、魔は去れ、とそう言うしか無い。

(兄さんは、自分がちと気を抜いた瞬間に入り込んだ魔と私が勝手に勝負しているんでびっくりしているらしいですな。でも、この程度のものは追い返せない私じゃない。朋ちゃんのDEPARTURESは、それもまた「私の取り分」ではないのだから、取らなければ良い。それだけのことだ。)