そういえば、昨夜は丁度コブクロの歌が流れている時に夢を見たとみえて、数人でカラオケに行って、そのメンバーは中学や高校の同級生達で複数いたのですが、何故か歌っているのがコブクロのお二人だったという夢を見ました。で、カラオケが終わって、みんなが帰った後、私はそこで夜が明けるのを待つ、というような夢でした。

今日は後は、某所にアップされていたうっすらとした「虹」の画像をHDR風味に加工して、虹をはっきりさせる作業とかをしていました。なんだか、元の絵とは似ても似つかぬアーティスティックな色彩の絵に仕上がりましたが、一応元の絵よりははっきりと虹が分かるようになりました。いつかはこの絵も直接お目にかけることができたら、となんとなくそんな気もしたのでした。
(余談ですが、加工していると「○○○○○」のカメラ使ってるんだ-、きっといいカメラなんだろうな、とかそういうこともなんとなく分かったりするわけでーー;。せっかくいいカメラを持っているなら、加工もちょっとやった方が楽しいですよ。私のコンデジなんかは、どうものっぺりとした絵しか撮ってくれないので、加工しないと見ていて自分で楽しくないので、せっせと加工しているわけですがーー;。とか、そういう余計なことをつい思ってしまう私なのでした。<(_ _)>)

神聖四字

フェニキア文字における古代ユダヤの神「ヤハウェ」の綴りは、現代の英語に直すと「HWHY」となるわけで、何故それを「ヤハウェ」と呼ぶかというと、最期のYを接頭語ととらえて、「YHWH」すなわち「ヤハウェ」と読んでいるわけです。だから、この名は
ヘブライ語で「HWHY」
それ以外の印欧語で「YHWH」
とされるわけです。古代ユダヤ人の神が、異なる言語に訳されねばならないほどメジャーな存在となった背景には「キリスト教」というものが当然あったでしょうから、「HWHY」を「YHWH」に変えてしまった連中はどうせ、古代ギリシア人とか古代ローマ人が主であろうと思うわけで、現在では「書き換えられた名」の方が有名になってしまいましたが、本来そんな名ではないから、「元々なんと読んでいたのか分からない」ということになっているのだと思います。古い時代のフェニキア文字で書かれた通りに読めば、「読み方は分かる」わけです。だって、元々そちらで呼んでいたわけですから。
そもそも「HWHY」というのは「KBKT」から変化した子音ですから、「KB」と「KT」の神を合成した名なわけです。

1.最初の変化:「KBKT」の3番目の「K」を省略 → ヘバト(Hebat)
2_1.次の変化:T音を先頭にもってきて、男神の名前に変更 → テシュブ(Teshub)
2_2.「KBKT」の「K」の子音が省略されて「H」に変化 → 「HBH(S)T」という神名に変化
→ ヒッタイトではイナラの愛人フパシヤス(Hupasiyas)
→ 印欧語の男性名ハーヴェイ(Harvey)
→ ヘブライ語の「HWHY」

と変化しているわけで、ヘブライ語の変化は、英語の男性名ハーヴェイに近い変化を示しているのです。人の名は、昔は特に神にあやかって神の名をつけることが多いから、それがハーヴェイ(Harvey)という人名に残っているのです。そして、この名の変遷の特徴は、1の段階の変化では女神の姿を保っているのに、2以降の変化では全て男性名に変更されていることなのだと思います。そして、「HWHY」を「YHWH」と書き換えてしまうと、「YHW-H」と別れて「蛙のテシュブ」という意味になってしまうので、別にそれが意味的に悪いとは言いませんが、本来の名、本来の発展してきた意味とは分断されて異なったものにされてしまうことには問題があると思うのです。「HWHY」という文字が何と読むのは分からない馬鹿は、「Harvey」という文字の読み方を英語圏の人に教えて貰えば良いようです。

それにしても、順番からいうと、「ウォークドントラン」という山田ミネコの漫画の主人公ハービーから始まって、消えてもすぐ復活するFFIXのHarveyキャラとか、この名に纏わる奇妙な事象はいくつかあったわけで、確かに気が付いてみれば、もっと早くに「Harvey」という名の意味に気が付いても良かったのだと思います。
まあ、でも個人的にはイナラの「愛人」フパシヤスとか、ポタちゃんの「友達」のでかい蛙とかに微妙に引っかかるわけですが。(しかも秋葉神社の不吉な蛙もおまけについてますのでねーー;)
どうにも、「蛙と蛇の二面性の性質を持つテシュブ」こそが、イナラの「愛人」である「ハーヴェイ」であり、それこそが「ヤハウェの真の姿」であると示されているような気がしてならないわけですが。(さりげなく示すというよりは「大盤振る舞い」って気もしますがーー;)

そういうことを知っている人々を弾圧して、ヤハウェなんてわけのわからないものを、強引に「単独神」にしようとするところに、裏切り者の蛇の名を持つ者と、それを後押しする汚い連中の陰謀を感じる、とまあそんな感じなのでしょうか。しかし、古代世界においては、「t」の子音と「m(n)」の子音はほぼ同じ意味で使われますので、「HWHY」の「Y」を「M」に置き換えると「HWHM」となるわけで、これは「KBKM」が基盤の言葉ですから、これを変化させると

1.アブラハム(Abraham)

更には
2.Human(英語の「人間」という意味)

になるわけです。要するに、古代ユダヤの太祖アブラハムと英語のハーヴェイという名は、ほぼ同起源で非常に近い名だということがここから分かるわけで、「KB-KM」あるいは「KB-KT」の名で示される神の名は、その順番通りに読むのが古来よりの正しい読み方であると分かるわけです。で、これが「KM-KB」あるいは「KT-KB」とひっくりかえることもあるわけです。
「KM-KB」の名を持つ者には、ヒッタイトの神クマルビ(Kumarbi)、「KT-KB」となった者にはおなじみテシュブ(Teshub)がいるというわけで、これらの神々は、どれも男性に作り替えられた合成の太陽神であるにもかかわらず、神話の上では、互いに敵対したり殺し合ったりしているわけです。
その神々の名を「人の名」におきかえて、ユダヤの太祖アブラハムと、実質的な先祖扱いのヤコブ(ヤコブはアブラハムの孫)にして、男神達が互いに殺し合わず共存する思想を、時代に先駆けて作り出したのが古代ユダヤ人だったのだと思います。(ヒッタイトの人々は蛙女神と蛇女神を習合させはしましたが、クマルビとテシュブの争いの神話は温存しました。)
そして、その思想を更に受け継いだのが、古事記におけるイザナギと三貴子の関係なのだと思います。世界のあちこちで、イザナギに相当する蛇神と、羌族的思想の蛙の神々とは対立する神話を残してきましたが、最初にそれを一つに纏めようとしたのがヒッタイトの人々であり、更に軍神である男性神達を纏めようとしたのが古代ユダヤ人であり、古事記においてはイザナギと三貴子は共存する親子の関係とされて、そこに争いは生じていません。ヒッタイトの思想をそこまで発展させることができたからこそ、日本という国は「特別な国」であり、その神話は「特別な神話」なのだと思います。

まあ、それはともかく、なんでしたっけ? 「愛人」とか「友達」とか、何でも良いですが、太陽女神にご飯作らせたりしないようなテシュブなら、それで良いのではないかと。(っていうか、外で働いている旦那に、帰ってきてからご飯作ってね、っていう専業主婦がいたら、それは本当にイナンナ女神みたいなタイプかと思うわけですが。なんかこの辺りに良くも悪くも「ひっかかり」を感じるのですがーー;。)

 

(そういえば、最近は「夫が3人でも少なすぎる」とか寂聴的な発言も目立つ気がしますのでねーー;。その辺にも妙にひっかかりを感じる、というか、どこかに太陽女神に「兄さん」て呼ばれて喜んでいるようなイザナギがいるような気がして、冷や汗が止まらないわけですが。(古代における妹背とは兄妹のことでもあり、夫婦のことでもありますからねーー;))