いろいろと

まず、佐世保の事件。どうも、事件の前に父親が、娘を自分の母親の養女にしていた、とかを文春が記事にしたらしいです。ネット上にはいろんな情報が氾濫&錯綜しているのですが、どうも
「子供が養子に出ると実の親の相続権が無くなる。」
と勘違いして、父親を悪くいう人が多いようです。普通の「養子」は養父母と実父母の両方の相続権を持ちますので、ある意味養子になると相続権が増えてお得?ということにはなりますが、親の財産を相続できなくなるということはありません。ただ、この件の場合は、同時期に娘は家を出されているわけですから、将来的には何年か経った後であれば、娘が何か騒ぎを起こせば、親は一緒にも住んでないし、戸籍も離れているし、ということで、「監督責任」を逃れる口実になったかもしれないと思いますが、そうなる前に「娘の打った手」の方が素早かったかな、とーー;。民事訴訟は、法律も大事ですが「人間関係」に関しては、「事実上がどうであったか」ということも重要視されますので、にわか養子に出したくらいで、実親が監督責任を逃れることは難しいと思われます。(そんなことは弁護士である以上、父親にだって分かっていたと思われますが?)むしろ、家庭環境が激変し、当人の精神状態が危ういことが分かっているにもかかわらず、更に子供が不安定になるようなことを父親がしている、という点で責任が問われるのでは、と思いますが。
私が買っている某女性週刊誌にもこの事件の記事が載っていましたが、流石に女性向けの雑誌ですから、父親を露骨に擁護するようなことは書いてありませんでした。精神科医の香山リカ氏が、さすが医者らしさを見せたというか、私から見て珍しく「まとも」なことを言っていたのが印象的でした。
そして、ネット上に流れている未確認情報ですが、どうやら実母とこの子が可愛がっていた犬を、継母と父親が殺処分したとかいう噂が流れております。もしそれが事実だったら、「世の愛犬家」をかなり敵に回しそうな気がしますが。
それから、ゆずの歌ではありませんが、世の中の人が「誰かの鏡」であるならば、犬だの猫だの「松尾」だの「尾」のつくものばかりの命が失われているこの事件では、
「何か「尾」という言葉にまつわるものに殺意でもあるのか?」
という気もしないでもないわけですが。まあ、うちの家人はこういうことには気が付かない人たちですし、私は気が付いても「気にしない」という図太いタイプですしーー;。ともかく、自爆的なコメントを弁護士を通じて次々と投下してくれる「父親」の発言を今後も注目したいと思います。(ネット上では既に実名から顔写真まで出回っているわけで、大手メディアの扱いとは雲泥の差だと思うわけですがーー;)

 

で、「図太い女」といえば、理研の笹井氏が自殺してしまったわけで。これで、どういう関係であったにしても、理研内の後ろ盾を失ってしまった小保方氏の去就が注目されるわけですが。なんというか、狭い世界で「王様」みたいに君臨して威張って好き勝手してやっていた人でも、「世間」というものを知っている人と、知らない人とではこうも対応が二つに分かれるのかな、と思ったわけです。一方は、弁護士で世間というものとは相当な接触があって、もはや図太くなりまくりで、自分の擁護だけは百人前、もう一方は世間知らずの研究者で、問題が表沙汰になったとたんに自滅、ということで。理系で純粋培養の研究なり医者なりの世界しか知らない人は、そういう点では脆い部分があるのかな、と思ったわけです。私なんかは、弁護士とも裁判官とも法律片手に、正式な場所でやり合ったりしてますので、そういう点では相当鍛えられてるかも? とか思ってみたりーー;。でも、精神医学的には自傷する人も、他傷する人も精神構造的には似たようなものな扱いだと思うわけですが。違うのは「社会的」な扱いだけなのですよね。

 

それから、ジブリの制作部門が事実上解体、と。宮崎アニメにはさんざんお世話になった私ですから、残念な気持ちが無いわけではありませんが、ジブリの三賢人、宮崎、高畑、鈴木氏的には
「やるべきことはやり尽くした」
と、そういうことなのかな、と思うのです。それもまた彼らの選択であれば、仕方のないことなのかな、と思います。昔は宮崎作品をほぼ全て揃えていた私ですが、今手元にあるのは、最初の「ナウシカ」と最後の「ポニョ」ということで、私的にいろんなことが始まった時には「風立ちぬ」はまだありませんでしたので、この2作品のDVDを大切に持っているわけです。そして、それで良いのだと思う。

 

そして、昨夜見た夢。なんだか、「会いたいのに会えない」みたいなものすごくせつない感情が流れ込んで来る気がして、目が覚めたら「家族になろうよ」がかかっていたわけです。「会いたいのに会えない」と、「家族になろうよ」では、これから結婚しようとする歌なのに、会えないのは何か変?? と思いまして、それが「私の会いたい人の感情だったら?」とふと浮かんだわけです。だったら、そんな夢を送ってくる前に会いに来て、というか、理系純粋培養的に、自分からその一歩が踏み出せないのなら、ポニョみたいに図太い私が会いに行ってもいいのに、とか思ったわけです。そうしたら、
「それが福山君の感情だったら?」
とか、ふと浮かんだわけで。それならそれで、ほうきでとっととはき出してお引き取り願わないと、とかとっさに思ったわけで(誰を? もちろん福山君を 笑)。変な夢を見るなあ、というか、変なことを我ながら思いつくな、と思っていたわけです。
それで、昼間、再び昨日のお店に買い物に出かけたわけで、嵐のポスターと福山君の例のベスみたいなポスターを拝んで来たわけですが、その時ラピュタのシータとパズーのことが思い浮かんだわけです。ラピュタのヒロイン・シータの名前は、インドの古典「ラーマヤーナ」から取った名で、「ラーマヤーナ」というのはとある国の王子である「ラーマ王子」が主人公で、その妃の名がシータというのです。で、一方のパズーというのは、メソポタミアの風の悪魔の名から取ったのだと思います。(ラピュタのパズーはシータを一途に愛するいい子ですが)
シータという名は、子音的には「S-T」ということになりますので、それは蛙の「(K)S-T」という名が印欧語族的に訛った名なのだと思います。しかも、「S-T」ってニンリルの子音でもあるのでは? とふと気が付いたわけで。
で、一方のパズーは、ベスと同じ子音構成なわけですから、福山の兄さんが「ベス・パズー」だとすると、シータって「ニンリル」のことなんだ? それでは、荒ぶる神エンリルは、「ベス・パズー」と同じものであって、シータとパズー、いわゆるニンリルとエンリルの、その組み合わせはいわゆる「寡婦殉死」の神話の象徴である名なのだな、とそこまで気が付いたわけです。兄さんがパズーなら、シータは誰? って言われましてもねえ? みたいなーー;。パズーがシータに「会いたいのに会えない」って言ったら、それはせつないねえ、と思ったわけですが、まあ、総合的にいろいろと考えれば、兄さんには「天河」のラムセスみたいな立ち位置が似合うというか、「じゃぱねすく」の瑠璃姫ではありませんが「鷹男の帝よりも『妻は瑠璃姫一人』と言ってくれる高彬の方が大事。」というか、まあ、そういうことなのだと思いますので。それでラピュタって良くないものなんだな。ついでに言うと、「ハク」竜(ハクには「白」という意味とコハク(すなわちエンリル的印欧語族の太陽)という意味がありますので)と千尋もそれで駄目、なんだな、と気が付いたわけです。(しかも、「千尋」とは諏訪大社下社八坂刀売に直結する名であるので、龍神と千尋のペアはまさに諏訪神夫婦のペアにまっしぐらな名前かと。)「もののけ姫」のアシタカは長脛彦・諏訪神ですし。ついでに「宅急便」や「ハウル」は「魔」がつくから駄目。トトロも魔物だし? ということで、大事なのは「最初と最後」ということで、結果、「ナウシカ」と「ポニョ」しか手元にないわけです。ナウシカのアスベル、ポニョの宗介、とりあえず会いたいのはこの二人だけだ、と。そういうことなわけで。
ポニョはポニョで「PN」の子音を持つフェニックスな金魚ちゃんなわけで。どうせ私もポニョ並に図太くて気が強いのではないのか、と思うわけですがーー;。ナウシカは「今の鹿(鹿=太陽)」ですので。この程度まで分かればそれで良いのかな、とそう思うので、ジブリのおじいさん達には元気で長生きして欲しいとは思いますが、お仕事としてはもう充分なのかな、とも思います。

 

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早朝、太陽に向かって咲くひまわりがあまりにも嬉しそうでしたので、1枚撮ってみました。ひまわりも花のピークはそろそろ過ぎて、最後に残った蕾達が満開になっています。花の左下の花びらの陰にハナバチが隠れて身繕いをしていました。彼らは色が黒っぽいだけあって、早朝でも日の光は苦手なようです。

某週刊誌で愛子様が伊勢神宮に参拝されている写真を見ましたが、子供が成長するのは早いものだな、と思います。元々、神に仕える「斎宮」とは独身の内親王が務めるお役目なわけですから、独身の内親王様の参拝は神様もお喜びになられたのではないでしょうか。