そういえば、昨日のMステではTOKIOがデビューして20周年記念とかで、3曲のメドレーを歌うし、昔の思い出話とかをしていたわけです。で、昔のテレビ朝日のリハーサル室の話とかしていて、MCの最後に「もう1度」とかという言葉を連発してましたので、「20周年」と「もう一度」って何か関係のある言葉なのかしら? と少し気になったわけで。
それで、寝る直前に某所のブログを見て、別の「20周年」もあったのだな、と改めて気が付いたわけです。それについて、「表向き」な感じでいろいろと述べることは、今の私にはちょっと難しいことでもある気がするのですが、なんというか、人によって物事というのはこんなにも感じ方が違うものなのだな、ということを一番強く感じたわけで。
なんだか、そのブログによると、信州大学はその前の年くらいから、某オとムのつく教団のポスターがあちこちに貼られていて異様な状態であったようですが、当時個人的にはそれはそんなに気になっていなかったように思います。当時は、その数年前から一種の「新興宗教ブーム」が世間で起きていて、たぶんこの教団だけでなくいろんな集団がいたように感じます。で、そういう人たちは駅前で勧誘したり、ポストにビラを入れていったりしていましたから、私にとってはこの教団もその内の一つに過ぎず、その内に誰の熱も冷めるだろう、くらいにしか思っていませんでした。もちろん、活発に活動していた様々な集団の全てが十把一絡げのいかがわしいものだとは思いませんでしたけれども、個人的には「神話」に興味はあっても「宗教」に興味は無い人でしたので。だから、「異様」であったのは、学内ではなく世間そのものであって、それはもう私が高3くらいの頃から始まっていたように思います。
確か、大学に入ってアパートを借りて引っ越しの準備をしている時にも、この教団の勧誘員がビラを配りに来ていて、とっととお帰り願ったわけですが、もうそんな頃から状況は「異様」であったし、事件の後も、警察やマスコミが一体となって、無実の人に罪を着せようとしていたことも「異様」だと感じていて、何もかもがただただ「ヘン」だと、個人的にはそんな感じだったわけです。だから、そういう「ヘンさ」に慣れてしまっていて、神経がある程度麻痺していたというか。
そして、「学園祭協力金」とか、そんなことはいっさい記憶に無い、というか、今改めて読んで「そんなものあったんだ?」とか思うくらいであって(苦笑)。まあ、私もこういう性格ですので、普通に払う何かの経費、くらいに思って何も考えずに払っていたか、さもなければ私にだけ請求が来なかったのかも? とか思うくらいなわけですがーー;。まあ、そこまで無頓着なので、教祖の講演とやらにも全く興味は無くて、見にも行かなかったわけです(確か見に行った人もいたはず。だいたいもし言ってることが本当だとしても、「空が飛べた」ら何かいいことあるの? とか、その程度の薄い興味・関心しかなかったわけでーー;)。
でも、今であったら、ああいう「新興宗教ブーム」で、勧誘を必死にしていた人達って、生活費はどうやって捻出しているんだろう、名もないような新興宗教がなんで急激に信者を増やして台頭できるんだろう、とか、
だいたい大学の自治会なんて、「宗教は麻薬」系の思想の人たちで占めることが多いのに、なんで「麻薬」の中でもうさんくさそうなのを特に呼ぶのだろう、いったい、どういうツテやコネがあるのだろう?
と、客観的に見て、そういう突っ込みはすると思います。しかも、事件後急激に「オウムウォチャー」みたいな人たちが専門家みたいな顔をして、テレビにどんどん出るようになったわけで、
なんで、この人たちは閉鎖的な教団の中のことをこんなに知っているのだろう?
みたいにも思うわけで。某教団に纏わる件は、私にとっては何もかもが「異様」に見えてた気がします。でも、20周年のTOKIOを見ていると、今の私の方が、長瀬君が松本にドラマのロケに来ていた頃よりも、気が付けることは多くなったのかな、と思います。たかが20年、されど20年というところでしょうか。
それに、当時の私は、個人的にも悩みが多くて、宗教的な興味関心なんて、蚊帳の外、という感じでしたので。ゼミのネタはね、「何も言わないでしょ」って言われてしまった人と、言った人のことしか覚えていないわけですが(苦笑)。あれから、どうにも多くの人のわざとらしい後ろ姿を見てきたわけですが、こちらの方は20周年どころか、更にその8年も前から始まったことのように、今となっては思うわけです。最初に追いかけた後ろ姿と、最後に追いかけた後ろ姿というのも、忘れ得ないわけです。福山君の歌詞に「どれほど信じ合っても分からないことがある」云々というフレーズがありますが、信じるとか信じないとかそういうことじゃなくて、なんで「後ろ姿」なのかって、それは今でも最大な謎なわけですがーー;。まあ、こんな感じで、マイペースに生きている私は、他の人ともちょっと目のつけどころが違うのかも? とは、そんな風には感じたわけです。