本日のMステ

予告を見る限り、ワールドカップ応援ソング特集っぽい感じでしたので、今日はそれほど期待していなかったのですが、本日のメインは「突然」と「揺れる想い」だったのではないでしょうか。
泉水ちゃんの曲は、今ではいろんな事情で持っていませんが、ほとんどの曲はまだ覚えているし歌えると思います。でも、今彼女の曲を聴くと、何を聴いても
「君の死を決して無駄にはしない」
という歌詞というか、言葉しか浮かんで来ないわけです。
ある人と結婚しても良いな、と思ったときに、「揺れる想い」と「君がいたから」だけが交互にウォークマンでかかっていたこともまだかろうじて覚えていましたので、見た瞬間に「あっ」と思ったわけですが。
でも、なんでこの記憶が「かろうじて」なのかというと、この日に買い物に行った先で、「家族になろうよ」がかかっていて、そっから先はホルンのボスの兄さんにどんどん巻き込まれていって、こちらも目を白黒させるような思いばかりが重なっていたものですからーー;。そちらの方が印象に強く残っているわけです。余所の国では、夏至に犬を食べて精をつけるところもあるそうですし、夏至というのは「タンムズの葬式」の季節なわけで、なんだか「死」を連想させることが多い季節な気がします。
で、今現在いろんな「作り替えられた神々」を少しずつ調べているわけですが、知れば知るほど「ナルニア国物語」の「さいごの戦い」の猿のヨコシマを思い出すわけです。この悪知恵の働く猿は、「タシ」という悪い神と「アスラン」という良い神をいっしょくたにして「タシラン」とか呼んで、「タシラン」も「アスラン」も同じ神である、と言い張って、「自分はタシランの使いである」というようなことを言って、善良なナルニアの人々を騙して、貢ぎ物を要求する悪い猿なわけです。「猿」というのは「ベス」のトーテムですので、この「ベス」なる神を作り出した思想こそが、「ヨコシマ」な猿の思想そのもの、という非常に暗示的な物語が「ナルニア」の最終巻だったのだな、と今になれば思うのですが。
現代的にいえば、「自分がごたまぜの神の使いである」と言って、貢ぎ物だけ求める人々って誰のこと? とすぐになるわけで、父なるサバジオス・コロン・ベスの夢も威光も決して消え失せたわけではないように思えますのでね。剣呑な昨今と思われるわけです。
そして、こうやって「作り替えられた神々」の歴史を紐解くと、豊穣の太陽女神と、その夫である月神が何故引き裂かれてしまったのか、「ヨコシマ」が彼らをどう作り替えられていったのか、ということも次第に分かるように思えます。曰、太陽女神は死神イナンナ・ペルセポネーと習合していわゆる「地母神」に作り替えられ、夫神の方は、豊穣の穀物神から、家畜の餌となる犠牲神である植物神かつ「子種を残さない去勢者」へと作り替えられて、妻女神は「人妻好き」のヨコシマな神に捕られてしまったとーー;。冥界の王ハーデースは本来の太陽女神を文字通り「略奪して妻にしたヨコシマな神」の象徴なのだと思われます。
穀物の豊穣をもたらす「エンキの原型的月神」とその妻の太陽女神はかくの如くに引き裂かれ、神話は作り替えられ、彼らは世界のあちこちで、ただ「ヨコシマ」なる「ベス」に都合の良いように強引に習合させられ、「犠牲神であり、かつ死神」である役割を押しつけてこられたように思います。でも「死神」の本態は本当は「ベス」であって、太陽女神と夫の月神は、単なる「犠牲神」であり、「習合」というのは結局は「方便」なのだと思う。
昔、丹後半島の真名井神社に行った時に、豊受大神と月読命が丹後半島の豊穣の夫婦神であることが自然なことと思えて、そして実際に山陰地方には「月の輪田」といって、月神と大地の神が稲の豊穣に関わる神であったという習俗も残されているのに、何故彼らの神話が失われてしまったのか、何故二人が引き裂かれてしまったのかを知りたいと思い、いろいろと自分なりに勉強してきたつもりですが、その過程で「揺れる想い」とか「君がいたから」が降ってくるとは思っていませんでした。
それに、「突然」のCMのダチョウはマアトの象徴、すなわちレディー・ジャスティスの象徴でもあるので。正義の女神の力を使いこなして、マアトに乗りこなせるようになれば、それは「突然」に起こることでもあり、分かることでもあったのか、と。なんだか、そんなことを暗喩していたのか、と今になっては思うくらいですが。ともかく、ようやく、夏至までたどり着けたようです。