鍛冶師のカーヴェ

新しい記事をアップしました。そして、
思い切り疲れ
ましたーー;。どうも神話と、そういう世界に近い古代史を勉強するのは世界観がわりと単純で楽しいのですが、現代に通じるような
民族自立
とか、そのための
排他的な宗教とか神様
というのは、どうも調べていてもやや疲れるわけですし、「カーヴェ」っていう名前は「カアバ」と同語源でしょ。その言葉が意味する神サマを自分達だけの神サマにして、自分達の民族の優位性とか特異性とかを誇る材料に使っていいのかしら? 太陽の神サマは誰の上にも平等であるのではないの?
とか思うわけです。私はムスリムではありませんが、預言者ムハンマドがジャーリヒーヤ時代の古き神々を全て廃したのは、そうやって民族神等の固有の神々の優劣だけを争うことは間違っていて、
みんなで協力して助け合うこと
こそが「アブラハムの宗教」で、「良い考え方」だと思ったからこそではないの? とか思うわけですが。
「民族自立」
ということは、確かに悪い面だけがあるとは思いませんが、そこに拘りすぎると
「自分達だけが特別」
という選民思想にも陥りやすい気がするわけです。すると、悪魔はそこに取り憑いて
「もっともっと選民意識を持て」
とそそのかすと思います。そうして、誰もが
「自分達だけが特別な「Ker-Ber」の神の子孫だ。」
と思うようになると喜ぶのです。何故ならそうすると、人々はどちらも相手よりも自分が上だと思って互いに見下しあうことになり、そうすれば互いに争わせることも簡単ですし、何より互いに対等に協力し合うということができなくなれば、
みんなで協力してザッハークに立ち向かう
こともできなくなるからです。
こうして、闇に潜む蛇は肥え太るがまま、かわいそうなお魚エンキは「ザッハーク」なんていう変な名前にされたまま、ということになるわけです。こういうことを考えるのは、確かに気が重いことなのですよねーー;。

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