22年11月27日

 本日は氷見・日宮神社、日吉神社、須々能神社、愛宕地蔵社、伊勢玉神社、石武雄神社、高岡・気多神社、伏木神社、二上射水神社、関野神社、高岡大仏、射水神社と参拝してきました。

 どうも、最近感じるのだけれども「大国主命」とは何なのだろう? と思う。日本海側には上越を中心として「気多大社系」の大国主を祀る神社が点在している。気多大社は能登一宮で、開拓神としての大国主を祀っているわけですが、「気多」という言葉は「木建」という言葉に通じると思うわけで、これはおそらく縄文時代から「木を建てる祭祀」を行っていた地域の神域を指す言葉なのではないか、と個人的に思っているわけです。北陸ではもうそういう祭祀はやっていなくて、遺跡の中の遺構にしかみられないわけですが、諏訪では今でも御柱祭をやっています。ということで、能登ではともかく越中・越後では「気多系」の神社は諏訪信仰とものすごく関係が深くて、「大国主と妻神の沼川姫」を祀り、近くに子神(建御名方富命)の神社である「諏訪社」があるのが定番なわけ。ともかく、あたくしは長野県の人間だし、長野といえば「犬も歩けば諏訪神社に当たる」というくらい諏訪系の神社だらけなので、

大国主といえば沼川姫、沼川姫といえば建御名方富命

というのが「当たり前」であって、「須勢理姫って誰、それ?」「八上姫? 聞いたことないなあ。」と、そんな感じだったわけです。でも、静岡へ行って、「大国主と兎」の組み合わせを見て「あれ?」って思う。静岡の大国主はどちらかというと、「祟り神の雷神」という感じであり、妻を人身御供にするような祭祀の神であるので、

私の知ってる大国主ではない!!!

というのが正直な感想である。大国主と沼川姫と建御名方富命の「理想の家族」的な三つ組みの形式はどこへ行ったのか? と思う。で、越中富山へ行くと、高瀬神社がなで兎とかいて、しかも五十猛なんかもいるので、「静岡的」な印象を受ける大国主である。でも、気多神社もあって、気多は一応、「私の知っている気多」だから、ということで。富山って近隣に2種類の大国主を祀っていて、それぞれに当たり前の顔をしている変な所ーーー、と果てしなく思った旅であったわけです。要は高瀬神社は下社金刺系の大国主、気多神社は上社系の大国主に見えるわけです。

どうも、南向古墳でうちのイオタケの名前に「スクナビコ」がついているのを見て、「スクナビコナ」って大国主のパートナーではないの? と思ったときから、

「大国主ってなんだろう?」

と改めて思うようになって。出雲の神とは言われている。でも、天孫の子孫であるアメノホヒの子孫が祭祀をやってる。そういえば、ローマ神話でロームルスとレムスという双子の兄弟がいるわけで。ロームルスの「ロー」は「偉大な」という意味であるそうで。レムスの「レ」は繰り返す、とかそのまま、とはそういう意味なのだと思う。要は、この双子は「偉大なマールス」と「そのままのマールス」という意味なんじゃないの。大国主とはロームルスのことで、スクナビコナとはレムスのことなんじゃないの? と始めて思う。マールスはイラン神話ではミスラという名前になる。要は気多系の「大国主」はミスラで、高瀬系はマールスということなんじゃないのか、と思う。日本神話なんて、うちと秦氏で、あちこちの神話を適当に組み合わせて作ったものなのでは? と、遂にそう思うようになりましたとさ-;。

そして、大野君のお誕生日でした。智君、おめでとうございます<(_ _)>。

27日は家で通常営業でした。