22年10月27日

 オカルトな旅は続く。どうも、家の近所にうちの車の合鍵を持っている悪霊がいるらしくて、車にセットしてあるドラレコの向きが前を向いていなくて、上を向いたり、下を向いたりしているわけです。歩ルターガイストな悪霊のしわざ、ということで-;。で、昨日もあらぬ方向を向いていたわけです。なので、直して出かけたわけですが、トラックによる追い越し、幅寄せ、歩行者の当たりや的飛び出し多数、ということで。ドラレコの位置を直してなかったら、本気で交通事故を起こされていただろう、と思う。悪霊との戦いじゃなくて、アル・カポネならぬアル・カモネとアル・ハタネとの戦いでは・・・、と思ってしまうわけですが-;。あたくしのことは「エリオット・ネス」と呼ぶのが相応しいというか、文字どおり「アンタッチャブル(不可触、さわるな、ということ)」かよ;;、と思うわけで。酒のマフィア神ですな-;。

 というわけで、酒まみれ、ワインまみれの甲州街道の旅。猿橋・日吉神社、稲荷神社、三島神社x2,氷川神社、勝沼浅間神社、大宮神社、牛飼神社、日当神社、大亀神社と駆け回る。収穫は非常に大きく、カモカモさん達の古社にいくつも立ち寄れて嬉しかったわけですが。で、「何がまずかったですかね?」と思うわけですが。

猿橋、大宮、牛飼

・・・自分でも分かってるでしょ? と言われる気がするわけで。猿橋は久米寺橋と同様「人身御供」伝説のあるところで。猿の名前がついているところからして、山の猿神を鎮めるための生贄を捧げてたこともあったのだと思う。橋を建てるのが難工事だったので、工人夫婦が人柱になったと言われています。で、橋を建てたのは、白癬(しらはた)という人だったとも言われているらしい。・・・秦氏の関係者ですな-;。

大宮神社:三枝氏の先祖である「守国将軍」を祀る。これがまた「国のために働いたのに罰せられた」という、中部日本の各県に一人は必ずいる、という八面大王系の伝承なので。カモカモさんの親戚発見ーー、ということで参拝して神様にご挨拶できてうれしく思う。本当だったら大宮神社が一宮になっていてもおかしくないくらいの古社だと思うわけです。

牛飼神社:由緒書きには「ニニギが天孫降臨して笠狭崎に来たとき、波打ち際に八尋殿を建ててその中で機を織っている此花昨夜姫と出会い、妃に迎える。八尋殿とは海に突き出した「棚作り」であり、したがって此花昨夜姫は「棚機之女」である。よって、祭神のニニギを男棚機(牛飼)と呼ぶ。」というようなことが書いてあって。・・・要は

「富士山の女神はわけのわからない女ではなくて、栲幡千千姫命(ホアカリの母神の織女)のような織姫なんだよ。それがうちの祖神(お母さん)で、お父さんは牽牛なんだよ。」

と言いたい「由緒書き」だと思うわけで、これもどうみても尾張カモカモさん達の親戚の神社発見ーー、とうれしく思う。そして、色んな意味で微妙に思う。此花昨夜姫は織女でもいいし、塗山氏女でもいいのだけれども、どっちにしても元は「嫦娥」という女神であって、多くの賀茂系氏族の「母」である。・・・というか、賀茂というよりも高辛氏って言ってしまえば? 朝鮮ではそう名乗ってたはず、と思うくらいなわけで。だけど、「父神」を誰とするかで常に、常に、大紛糾する。7000年前の先祖のことなのに? と今当主は正直思うわけですが-;。

「父神」を「牛飼い」にすると、これは「動物を扱うのが得意であった」という「黄帝」のことを指します。「父親」を「ニニギ」にすると、これは植物神なので「炎帝」のことになります。一族郎党は、朝鮮にいた時代から、常に「どちらを選ぶのか」という問題を突きつけられて、悩み苦しんできた。なぜなら頂点のアル・カモネは「炎帝一択」を押しつけてくるからで、下手に「黄帝がお父さん」って言ったら粛正の対象になるからだと思われる-;。人殺しを正当化するようなろくでなしなんか誰が「神サマ」と呼びたいと思うのか? と思うわけですが-;。でもアル・カモネ様は、自分が好き勝手に人殺しをしたいから、それを認めてくれる神サマを「正当な神」としたくて、下に押しつけてくるわけです。牛飼神社も例に漏れず、「黄帝の子孫だーー」と言いたいけれども、アル・カモネが怖いので、「黄帝(牛飼)と炎帝(ニニギ)」は同じ者、っていってなんとか、うまく、「黄帝の子孫」であることを主張しようとしているように見えるわけで-;。弱気だけれども頑張っているけなげさに胸を打たれる。振り返ると富士山の頂上だけが山の上に見えて、小さな社殿と向き合っているところが、「羿(黄帝)と嫦娥こそが正しい夫婦なんだよ。」と言っているようでやはり胸を打たれる。・・・そういや一宮浅間神社はこっちにケツを向けているような・・・・いやがらせカモカモ、と思うわけで-;。富士山信仰は三島の「父神」と富士山の「娘神」に対する信仰といっても過言ではないわけで、例によって「婿」の影は非常に薄くなっているわけで。

牛飼神社では、「娘は父のものか、それとも夫のものか?」と聞かれる気がするわけで。ほほほ、娘は父のものでもなく、夫のものでもありません。娘は娘自身のものである。7000年前の太陽女神が何を考え、何を望んでいたのかは我は知らず。ただ、今太陽女神が「一族郎党は黄帝の教えに従い、黄帝の道に行くように。」とそう言うのなら、一族郎党はそれに従えばいいだけですわ。それが太陽女神の正しい有りようである。それに逆らう者は謀反人でよろしい、ということで。

こういうことを言うからアル・カモネ団に殺されそうになっている可哀想なあたくしである。「明石の上のように子供たちのために身を張って頑張ってくれるお母さんだ」ってヨイショしてくれても何も出ないから、と思う私でした-;。(そして旅はまだ続く-;)

22年10月25日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 裁縫は、引き続きお休み中。

 テレビは昨夜は「SHOWチャンネル」の録画、今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

22年10月24日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。午前中雨っぽかったので形式的に少しやったのみ。

 裁縫は、引き続きお休み中。

 テレビは昨夜は「食宝」などの録画、今日の昼は「SHOWチャンネル」の録画を見ました。

22年10月23日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。

 裁縫は、引き続きお休み中。

 昨日は、富士市・富士宮市方面へ出かける。愛鷹、六王字、阿字、富知六所浅間、米之宮浅間、曽我八幡宮、富士山本宮浅間大社、二宮浅間神社を参拝してきました。富士山本宮浅間大社は、元々は湧玉池の水神を祀る神社だったと思われるわけで。田子の浦の阿字神社は富士山本宮浅間大社と縁の深い神社であって、かつては富士山本宮浅間大社の大祭に先立ち、阿字神社をお参りしていたとか。水神に対する生贄の女神を祀った神社が阿字神社かと思うわけです。此花昨夜姫は「山の女神」ですから、神田川の「水神」とは? となる。たぶん結論からいうと、神大市比売のことで、天照大御神の地上名というか、そんな位置づけなのだと思う。六王子に祀られているのは、須佐之男命と彼女の「子供達」であると思います。要は

須佐之男命とその子孫だけが繁栄するように。そのために神大市比売(天照大御神)は人身御供になるように、というのが「富士信仰」で、それを応援している「母神」が此花昨夜姫、要は伊邪那美命、ということかと。

神話というのは、大抵よその国、特に中国の神話と比較検討できるものが多いわけですが、地域で独自に発生した歴史的事実などに基づくものは、その地域だけのオリジナルの神話になります。例えば百済の建国神話では

兄の沸流(ふつりゅう、ピリュ)が王にならず、弟の温祚(おんそ)が王となる。

となっています。日本では

兄の海幸彦が王権者の先祖にならず、弟の山幸彦が先祖となった。

兄の神八井耳命が王権者にならず、弟の綏靖天皇が天皇になった。

という神話があります。これらは歴史のどこか、朝鮮半島南部あたりで起こった「歴史的事実」が神話化したものだと思うのです。で、兄の神八井耳命は祭祀を行い、その子孫も善光寺とか諏訪大社下社とか阿蘇とか、とそういう話に繋がっていくわけで-;。海幸彦が神八井耳命であるならば、その子孫はどこにいる? と聞かれる気がする。どこって「ここ?」と思うわけで-;。

ともかく、富士信仰というのは、国家の繁栄とか、国粋主義的な天皇家の繁栄とか、そういうことを願っているのではなくて、海幸彦(神八井耳命かつ饕餮、すなわち須佐之男命)の子孫の繁栄を願う信仰であり、そのための生贄が阿字であるところの天照大御神であるのだと思う。海の神に対する生贄だから、海岸端で祭祀を行っているわけだ。

というわけで、わざわざ太平洋沿岸まで出向いたことと、地元の英雄曾我兄弟を祀る曽我八幡宮を参拝したことはけっこう喜ばれたらしいです。後は、七五三とやらにかこつけて、現代の「不老不死の薬」というか「甘露」というか「千歳飴」をあちこちで見かけたわけで-;。糖分を取り過ぎると糖尿病になりますよ、ということで-;。まだまだ旅は続くわけです。

22年10月21日

 本日は買い物と外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。

 裁縫は、引き続きお休み中。「ホレのおばさん」と「細烏女(せおにょ)」が「同じ神」であることを執筆中。「細烏女(せおにょ)」って誰? と問われれば、朝鮮の阿加流比売神(あかるひめ)であり、名前からいえば、どちらかといえば、天宇受売に近い女神といえます。朝鮮の阿加流比売神に相当する女神、とかそういうレベルではなく、阿加流比売神のことを朝鮮では「細烏女(せおにょ)」って言うのですよ。この二つは「全く同じ女神」なのです。でも、ドイツでは「ホレのおばさん」と言います。私は彼らを元の地位に、すなわち、西王母であり太陽女神であるところまで戻さなければならないのです。

 テレビは、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。