22年10月6日

 さて。馬王堆漢墓(ばおうたいかんぼ)帛画の王母娘娘がなんで「燭陰」に変更されてしまったのか、そろそろ説明できるだろう、と言われる気がします。できるんだけど、そもそも王母娘娘を燭陰に変更したのがうちの先祖の「啓」なんじゃん? みんななんだかんだ言って啓君が好きだから変えたがるんだよーー;。

 ということで、なんだかんだ言って、これは城背渓文化の「太陽神石刻」と関係するわけです。「太陽を頭に頂いた巨人」の「部族的固有名詞」を明確に残しているのは、日本人だけだから、日本人ならこの名前がちょっと勉強すればすぐ分かるわけですが、本場の中国の人の方が分かりにくくなっているのですよ。

「太陽神石刻」を見て「うは、須佐之男と櫛名田比売」と言った人がいたら、どこの誰でも私は百点満点を上げます。櫛と阿加流比売神の赤珠が同じものである、って書いてくれれば更に20点追加して120点あげちゃう(笑)。これを「ウィルビウスとアルテミス」と言った人がいたら、そこまでたどり着いた努力賞で30点上げます。

 燭陰というのは「原西王母」である龍蛇形の太陽女神を男性形に変更したものです。これを人型にしたものが盤古である。盤古とは、元は「太陽女神」の息子や兄弟とかもうちょっと時代が下ると「夫」で現され、太陽女神の財産や権利を代理で施行できるものとなります。これが「瓜」で現されると伏羲になります。太陽女神を頭に乗せて支える「巨人」として現されると盤古となり、「開拓」とか「世界の礎」の巨人となります。日本ではダイダラボッチなどど言います(ダイダラボッチも金刺カモカモの本拠地である長野県の神サマでして。個人的には饕餮坊と呼んであげて、と思うわけですが)。

 この巨人は

樹木神
首長神
盤古型巨人

へと別れていき、別れた始めの方はそれぞれに性質が交錯しますが、分離すると独立した性質を持つようになります。樹木神としては、扶桑樹、蚩尤の象徴である楓(桂)、首長神としては炎帝、日本の須佐之男へと分化しました。伏羲は瓜から出発して、人型を得、太陽女神の配偶神にまで成長しました。同じ流れで、太陽女神と同じ「龍蛇形」を取るようになったのが燭陰ですし、人型が更に巨大化したのが盤古です。だから、盤古、燭陰、伏羲はかなり近い性格の神々なのです。ヒョウタン伏羲は金刺カモカモのトレードマークだよー、ということで-;。須佐之男盤古も祖神扱いだしー;。桂が「月」なのは、炎帝が黄帝に殺されて月になってしまったからです。台湾の射日神話なんかはそういう話が多い。でも、炎帝の後継者を自認する啓君が生きかえらせたことにしてしまったので、三星堆遺跡の「炎帝巨人」像には手足がついています。うちの須佐之男にも手足はついているのよー、ということで須佐之男と三星堆遺跡の「炎帝巨人」像は思想的に非常に近しい間柄のアルクマ君たちなのかと思うわけですが-;。

で、祝融との関連ですが、私は個人的には「神が火の雨を降らせた」とかそういう超常的な神話は「観念的な神」の仕業で良いと思うわけです。人間にはそんなことできませんので。でも「誰かが誰かを焼き殺した」というのは具体的であり、かつ「人間でも可能なこと」です。神と呼ばれるものが、「人間でも可能なこと」をわざわざやってる時には、それは「モデルとなる実在の人物がいたのだろう」と個人的には考えるようにしています。要は祝融は炎帝になぞらえられている「実在の人物」がモデルにいたと考えています。啓・祝融はおそらく同じ人物、あるいはものすごく近しく思想を一にしている人物と考えます。だから、本当は啓とか祝融を「神」と呼ぶにはあまり相応しくない、と思うわけですが。中国にも日とか火に関する神なんていくらでもいるでしょ。人を焼き殺すようなのをわざわざ取り上げて「神」なんて呼ぶのはセンスがどうなのでしょうか。古代の神を語るなら普通に「炎帝」で良いと思うわけですが-;、と個人的には思います。

22年10月5日

 本日は韮崎穂見神社、南宮大神社、武田八幡宮、為朝神社、武田廣神社。倭文神社、若宮八幡宮、勝手神社、穂見神社(中之社)、御牧神社、白州若宮八幡宮を参拝して来ました。桂男ってウィルビウスのことらしいです-;。

22年10月4日

 本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 裁縫は、引き続きお休み中。ともかく、やらなければいけないことが多すぎです。

 テレビは、今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

22年10月2日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、でした。

 昨日は浜松蜂前神社、有玉神社、浜松八幡宮、五社・諏訪神社、賀茂神社、新羅大明神、津毛利神社を参拝してきました。

 裁縫は、引き続きお休み中。

 テレビは、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 浜松も、ちょっとだけオカルト? なあれこれが。蜂先神社、これは八田某という人が建立した神社だそうで、建御雷神と「速日」とつく聞き慣れない神の三柱が祭神で。「速日」とつく男神は太陽神、すなわち炎帝系と思わせますし、建御雷神は有名な軍神なわけですが。八田とは? と思う。そしてかつては羽鳥大明神とも言われていたらしい。で、調べてみたら、建御雷神はイザナギが斬り殺したカグツチの血から生まれた神なわけですが、どうもその関連にどういうわけか「織物の神」が紛れ込んでいるらしくて。蜂前神社の祭神の一つは「織物の神」らしいですし、八田はおそらく「服部」と関連のある名であって。で、日本では6世紀に渡来した秦氏が「織物などの産業技術を持ってきた」と言われていて。(それまではみんな毛皮でも着てたのか? 笑)中国では、織物関連は、黄帝の妻が発明した、とも言われていて、黄帝は雷神ともされているので。建御雷神は黄帝を写したもので、織物の神はその奥さんを写したものをまたまた男に置き換えているのだと思う。秦氏は、そういう「置き換え」に協力したり、新興宗教(稲荷とか)の成立に関連した人々だと思われるわけで。渡来系とは言われているけど、結局はカモカモさん達の「親族」なのではないかと思います。賀茂氏が呼んだ人達らしいですし。で、秦氏の織物部門から服部氏が出たので、彼らの黄帝である建御雷神とその奥さんを男に変えた神を祀っているようで。後ろ戸にいる須佐之男に「うーむ」と思う。

 有玉神社。この由来については

昔、天竜川河口近くに三千年を経るという赤大蛇が住んでいた。

 坂上田村麿将軍が東征でこの地を訪れた時、美女に化けた赤大蛇と恋仲になり2人の間に子供が出来た。美女は将軍に子供を産むところを絶対見ないと約束させ、赤大蛇になって産む。しかし、将軍は思わず赤大蛇が子供を産むところを見てしまう。赤大蛇は将軍に子供を託し、川の底に戻ってしまう。

 この子は成人し、俊光将軍といわれる武将になり再び父子で東征の命を受けこの地を訪れる。

 その時、磐田の海が大荒れで困り果てるが、親(赤大蛇)から授かった「潮干の珠」を投げ入れると、荒れた海はスーッと引いて底に広い平野が現れた。この平野にやがて人が住み村が出来た。

 ある年、毎夜東の方に美しく輝く光が見られるようになった。村人がその光を探すと、そこに一個の珠があった。その珠を祭ったのが有玉神社だといわれる。
https://ayucalifornia.wixsite.com/aritama

とあって、祭神は天照意保比留売貴命・天手力男命、境内社に、俊光将軍社であって、後は村内の神サマを集めて祀っているらしくて。浜松はともかく岡崎でも感じたけれども、「龍蛇女神信仰」が強いと思う。そして、坂上田村麿というのは、要は「黄帝(羿)」になぞらえられているのであり、赤大蛇は黄帝を助けた西王母でもあり、嫦娥でもあることが分かる。というか、子供以下の下りは、まるっきり「豊玉毘売」であるし、浜松もカモカモ王国なので、全部まとめてカモカモさん達の神話であることが分かる。で、「赤い珠」とか「赤い大蛇」とかそういうのは、「太陽女神」のことなので、これがカモカモさん達の天照意保比留売貴命(天照大比留売貴命、要は天照大御神のこと)であることが分かる。西王母と女媧が一塊になって分離していません。この女神の名前が娑蘇夫人というなら、全部が「原西王母」であるところの「太陽女神」であって、れっきとしたツングース系の母神なんだけれども、どうも神話とか読んだことのない変な学者が多くて大変ー、と思う-;。

で、天手力男命が一緒ということは、これもまた「黄帝(羿)」の変化したもの、ということで、浜松は尾張と違って「婿嫌い」が激しくないなー、と思う。というか、天手力男命と一緒に祀られている、ということは、この蛇女神が天照大御神だと思って、二人が夫婦だと思って祀っているわけで、完全に「確信犯」である。俊光将軍とは浜松カモ様達の祖神になぞらえているのだと思う。

 で、ご先祖様達の回収に忙しいあたくしとしては、新羅からやってきた先祖の赤い珠の化身である阿加流比売神を探していたわけで、阿加流比売神は天照意保比留売貴命と同じ女神で太陽女神なわけですが、群馬に赤沼があったし、日本では「海の女神」の豊玉毘売系と、内陸の淡水の女神である阿加流比売神系に、先祖の「母神」は分けられている気がするわけで。阿加流ちゃんを祀ってる神社は遠隔地にありすぎて行けない。会いに行きたいなー、と思っていたら、有玉神社のことを見つけたので。太陽女神の「珠」とは「太陽」のことそのものである。是非とも、「跡取り」として「珠」の神霊を取りに行かねば、ということで、有玉神社が最大のメインの旅である。行く前に蜂前神社で引き留められたけれども、適当に切り上げたわけで。浜松は海岸端なので、母女神は「海の女神」とされている傾向が強いです。

 で、長野には坂上田村麿が八面大王という盗賊だかを倒して、それを山鳥の化身の女性が助けた、という話があって。で、その女性は坂上田村麿を助けて姿を消してしまう(死んでしまう)わけで。坂上田村麿が「黄帝(羿)」なら、山鳥は嫦娥だー、納得、と思う。こちらは西王母的な性質は弱い。でも、有玉神社の祭神の構成と、ものすごく関連性が高い話なわけです。というか、嫦娥が自分で父親の尾羽を引き抜く元気があれば、旦那はいなくても父親を倒せたのでは、とアマゾネスなことを思うあたくしである。信濃国の方は浜松とは違う方向性で「女神信仰」が強いわけですが、それは2つを併せてみないと分からないわけです。