22年10月7日

 本日は雨が降ったので外作業はお休みです。

 今までのまとめとして、尾張の古いカモカモさんたちの「古い祖神」達をたくさん見てきたわけです。浜松の龍蛇女神も素晴らしかったし。その一方で「あれ?」と思うものにちょいちょい出会うようになりました。遠州蜂前神社、甲斐勝手神社です。どちらも建御雷神他、男神をいくつか祀る。だけど、東洋ではそもそも「男性形の雷神信仰」はそれほど盛んではなかったのです。三星堆の神人像とか祝融とか三足烏とか炎帝とか、どちらかといえば「太陽神」「火神」信仰の方が強い。黄帝を明確に「雷神」というようになったのは袁珂大先生の時代からだから、せいぜいここ5~60年くらいの新しい神話といえる-;。

 で、特に山海経で顕著だし、日本神話で顕著だけれども、北東アジアから日本にかけては母神として、「雷神寄りの天候神」であるところの龍蛇女神信仰がとても強かったわけです。それが「太陽女神」であることはみんな分かっているわけですが、ともかく西王母も女媧女神もかなり古く、中国の中央では、良渚以降、太陽神としての性質を失いつつあって、今では見る影もないのに、日本神話で唐突に「天照大御神」として母女神が復活するわけで、それも変といえば変なのですが。まあ、「太陽女神信仰」の原点となる氏族の神だから、よくよく古い信仰が残っていた、とも言えるけれども、でも、もっと一般的には「雷女龍女」の方がよくよく愛されていたわけで。

 で、蜂前と勝手を見て思ったわけですが、この2つは「服部」を名乗る「秦氏」の神社だと思うわけです。秦氏は、古代におけるカモカモカモ団の「新興宗教創造部門」の担当者であって、それまでの神話的パターンを逸脱した神々を大量に作り出してる。そして、「なんでも男神のもの」にするようにしているわけで。唯一の女神と言える稲荷神もごくごく低い地位に置かれているし、これも男神に作り替えようとした形跡があります。で、中国で今でも「月の女神」と考えられている嫦娥の古代日本における地位を、男の「月読命」に置き換えて、かつ「月読命」を須佐之男に統合しようとしてたのではないか、と思うわけです。でも、記紀神話を「書いて」残してしまったからそれはできなくなったわけで。書くと神話はそれ以上変えられなくなるからです。で、月には「桂の木」が生えていて、その葉をついて、兎が「不老不死の薬」を作る。兎さんは嫦娥女神の部下である。という伝承が古代中国にはあるわけです。で、死んで「木」に化けるのは炎帝の典型的パターンであるので、炎帝蚩尤という名の盤古は、殺されて地上においては楓、月においては桂に化けました。そして、永遠にそのままでいるはずだった・・・わけですが。このよくよく古い「男の月神」ともいえない炎帝の6000年くらい前の思想をどっかから掘り出してきて復活させたのが、秦氏の「月の男神」であり、日本の月読命なんだと思う。秦氏は最初、「月の木」に「桂」ではなく「楓」の字を当てようとしており、蚩尤を意識していたことは明白です。なぜ、わざわざよくよく古い時代の、もう「神」とも言われなくなって、嫦娥の持ち物みたいになっていた「桂の木」を神格化したのか、どうやってそれを炎帝蚩尤だと突き止めたのか、という点が、非常に気味悪く感じるわけです。でも、ローマ人ならわけないよね? 殺されて欠けて転落した「月の神」が男のサートゥルヌスだって、彼らなら知っているはず。北欧の月神も、ヒッタイトの月神も「男神」であり、射落とされて、天に復活させねばならなかった神話は残ってたはずだから。

 ということで、男神好きな秦氏に思うことはただ一つ。彼らが求めたものは、最終的には「唯一の男神」への神々の統合であって、世界的に非常に広く信じられていた「月の女神アルテミスとその同類達」を血祭りに上げることが彼らの最大の目的だったわけです。で、男神好きなカモカモカモ団の上の方に気に入られて、カモカモカモ団に就職したローマ人が秦氏かと思われます。あくまでも「就職」なんだよね。下の方に勝手な支配なんかさせるほどカモカモカモ団の上の方はお人好しではないはず-;。

 しかし、その一方で、「女神信仰の原点を万難を排して残さなければならない」という人達もいました。何故なら、「敵と戦うためには正当性が必要である。強いだけでは駄目だ。」ということで。そういう人たちは、彼らは彼らで「月の女神」は廃したかったわけだ。何故なら「太陽女神」こそが本来の「公平と平等の神」であり、弱者の保護者であったからである。差別主義者の男の神をのさばらしておくと、「差別と搾取」こそが「正しいこと」になってしまって、それに対抗するための「正当性」がまずなくなってしまう。正当性がないと、どんなに強くて勝っても「悪者」扱いされるだけである。それは歴史が証明している。「勝てば官軍」なんてのは狭い島国だけで通用する理論であって、広い世界全体には通用しない。というわけで、正史には天照大御神を、民間には弥生の人も縄文の人も、みんなが大好きな「沙姫」あるいは「佐保姫」と呼ばれる女神をできるだけ残したわけだ。「公平と平等の神」がいてくれてこそ、「公平と平等こそが正しいことだ」と主張できるのである。

 というわけで、「強くて勝っただけで、正当性で負けてしまった人」は、カモカモ族の「もののふ」達に、「お前は一兵卒になれ」と言って将官をクビになってしまいました。軍事階級は軍事階級で「勝利と軍事の女神」である「母神」が大好きなので、「男に変えろ」って言われると「嫌だ」と思う超保守的な人が多かったわけです。だって、命を賭けて戦うのは軍人達だから、上が適当に作った神様なんかに勝利を祈りたくなかったわけだ-;。世界に誇るカモカモ族の「軍事階級」は強力な「母神」の下に成立し、存続してきたものだから。だから、母神信仰を残したい人達は、「女神信仰の原点を万難を排して残さなければならない」という「外の人達」と組むことにしました。互いの目的が一致したからである。「外の人達」はおそらくエフェソスから来た人たちだと思われますが、中東のシャプシュを始めとした太陽女神のことを知っていたし、中東の太陽女神と女媧娘娘が「同じ起源の太陽女神」だということも知ればすぐに理解したであろうと思われる。そして、ギリシアのアリアドネーとメソポタミアのアヤ(下位の太陽女神)が「同じ神」であることを知っていたと思う。たぶん、日本神話で「アズ」「イズ」「ウズ」「イザ」とつく雷女(下位の太陽女神)が山ほどいるのは、「どんなに潰されてもどれか残るように大量生産しておけ。それがアリアドネーで太陽女神だと分かるように。」ていうので残したのではないかと思うほどである。こうして、「人身御供を廃して公平と公正を求めた黄帝を勝たせた女神であるところの西王母」は遙か西方からブーメランのように戻ってきて、そういう当たり前の話がとっくの昔に消されてしまっていた東アジアの端に矢のように刺さって居着いたわけだ。でもあたくしは「母系の太母」である太陽女神は「夫のために死するアリアドネー」であってはいけない、と思うのですよ。人は死ぬし、太陽女神の代理人である現人神の女神も死ぬであろうと思う。でも、太陽女神は不死で永遠でなければならないのです。さればこそ、永遠の公平と平等は太陽の下に保証され得る。古事記の天照大御神神話には、そもそもその点に「欠陥」があるのです。岩戸神話はあってはならなかったものだ、とあたくしが厳しく添削して差し上げましょう。