おまけですが

 そして、なんとなく思うことですが。ウクライナは大国に理不尽に攻め込まれる小国であるので、ユダヤ系の元首を抱くウクライナは、大国ローマに攻め込まれる古代ユダヤに、なんだかなぞらえられているような気がします。ウクライナの国家はひまわりであって。そして、ローマの支配に苦しむ古代ユダヤの「王」になぞらえられるのは、イエス・キリストだよねえ、と思う。身の危険も顧みず、首都のキーウ(古代ユダヤになぞらえるなら、これがエルサレム、ということになるのかもしれませんが。)に留まって戦うゼレンスキー大統領は、やはり身の危険も顧みずにエルサレムに留まったイエスになぞらえているのだと思う。

 で、宗教的権威である正教会は、ロシアの総主教がプーチン支持を打ち出した、とかで、正教会はウクライナ側とロシア側に事実上分裂したも同然の状態である。これも、ローマの傀儡に成り下がったローマ教会と、それ以外の真にイエスに属する教会とになぞらえている気がするわけで。

 伊野尾ちゃんのドラマで、高槻センセイが、「伝承は語る者によって、中身が変わることがある。(その人の嗜好や目的によって。)」と言っていて。イエス・キリストが「人類を救うために犠牲になった」と語ってきたのはローマ教会である。ローマというのは、要は神々を食らって豊穣をもたらすサートゥルヌス、すなわち「死んだ冥界神」を祀っているところなんじゃないの? と思う。だって、クリスマスって、本当はサートゥルヌスの祭りであって、人々は自らをサートゥルヌスになぞらえて、供物(ごちそう)を食べるのではないの? そして、サートゥルヌスってサタン(悪魔)のことですよねえ? と思うわけで。サートゥルヌスは農耕神とされるわけですが、農耕神ほど危険なものもない、と言える。何故なら、農耕を始めた人達が、神に人身御供を捧げることも農耕の祭祀の内だ、と決めたからです。というわけで、いわゆる「ローマ」は、イエス・キリストに対して、「人類を救うために犠牲になれ」と求めるかもしれない、と思う。

 しかし、もう一方で、イエス・キリストを「ユダヤの王」として、自らが「その後継者である」と名乗りたい者がもしいるとしたら、彼はイエスに対してどのような伝承を語るのだろうか、と思う。それは、イエスのことを、「最期まで国と民のために戦った王」である、と語りたいのではないだろうか、と思う。

 そして、最近の大河の主役は「源賴朝」なわけですが。源氏といえば、目的を果たすためなら、何人の人が死のうが、自分の身内が死のうが、自分が誰を殺そうが、何とも思わない冷酷な戦略家としての逸材が多い家系でもある。その気性はどうも、彼らの先祖である桓武天皇や天智天皇から受け継いだものなのではないのか、と思うわけですが。果たして、イエス・キリストとは、「人類を救うために犠牲になる者」であるのか、「最期まで国と民のために戦った王」であるのか、誰がどのように語りたいのか、と思うわけですが。