お盆だし、暑いし、「家の仕事を休んでも神社巡りに行ってくるように」と言われる気がするので、一昨日は三才諏訪神社、三才神社跡地、西三才神社、徳間八幡神社、徳間諏訪神社、昨日は上駒沢諏訪神社、伊勢社に行ってきました。善光寺周辺は諏訪系の神社が多く、武居神社の看板には御射山神事のことがあったので、水内郡の「御射山」ってどこにあるのかなー、とふいに気になって。そういえば「三才」という地名があったなー、と気がついて。
三才の北に田子という地名があって、古代では水内郡の中核をなす集落で、北国街道の重要な宿場(駅)だったそうなのですが。田子(たこ)という地名は古い賀茂とか物部氏系の氏族が使っていた地名な気がするわけで、静岡の「田子の浦」とか群馬の多胡とか同じ氏族がつけた地名だと思うわけです。でも、今の善光寺界隈は弥栄神社の祇園祭りは有名であっても、御射山神事なんて聞かないわけで。どうも古代においても「御射山(みさやま)」と御歳神(みとしかみ)を混在させて、「みさ」とか「みとし」とか同じ地名というか、同じような意味で使っていたらしくて。諏訪では御射山にそんな扱いをしていませんから、水内郡では「祖神を祀る山」である御射山をかなり早い時代から「御歳神」を祀る場所に変えてしまい、それが善光寺の年神堂信仰へとつながっているような気がします。御歳神は西国ではどうか知りませんが、長野県では善光寺という一大有名寺社で祀られているにもかかわらず、他ではあまり見かけないわけで、私が知っている限り、当信神社と三才神社しかなくて、いずれもかなりの古社なのではないか、と思います。古くからの神であるにもかかわらず、祀られているところが少ないのが特徴といえます。
飯山の小菅神社では摩多羅神というものを祀っていた、と言われています。天台密教とかと関連する神という感じですが、図像からは北斗七星の象徴のように思えます。で、俗にはミトラスとの関連性がとやかく言われる神です。ミトラスの起源は、アーデティーヤ女神が生んだ複数の太陽神の一つ、とされるインド・イラン共通神話の時代にまで遡るとされています。で、「複数の太陽」と言ったら、言わずと知れた
「羿が射落とした複数の太陽烏」
と、私の中ではなるわけです。この場合の烏は、今では「太陽鳥」の扱いですが、古代中国では
「太陽そのものの太陽鳥」
という説と
「太陽を隠してその力を弱める烏」
という2つの説がありました。儒教で有名な孔子サマは後者の説をとっていました。で、そのことを現代の神話大家である袁珂大センセイは
「孔子が適当なこと言ったんだろう」
みたいな感じの適当なノリで流しています。孔子サマって言ったら、全中国の尊敬を受ける偉人なんじゃないの? と思ったら、そうでもないらしいです。なんか流さないといけない政治的な理由でもあるのでしょうか? と勘ぐってしまうくらいです。これが柳田だったら、ちょこちょこと示唆的な面白いことを一言二言書いたはず・・・とか思ってしまいますが、柳田は柳田で何か書きたくない理由があったのか、中国神話の知識があったって、ほとんど言及をしていないという有様です。
というわけで、「複数の太陽神」の一つであるミトラスとは、本来「太陽神と詐欺で名乗ってる烏」のことなんじゃないの? と思うわけです。日本神話でいうと、八咫烏とか、古い時代の少彦名命のことでは? と
先祖が「天神少彦名命の子孫である」と自称してたその子孫のあたくし
はそう思うわけですが。いつの間には、うちの先祖は少彦名命をどっかに片付けて、五十猛神とか諏訪子神(彦神別神)とか八幡神とか御歳神とか
「子神」
というものに強く執着するようになるわけで、これが「水内郡の金刺氏」の神話世界の一大特徴だと思うわけです。まあまあ、ミトラスも
アーデティーヤの子神
といえますし、中国神話の太陽烏たちも
天帝の子神
です。で、私はずっと日本でのミトラスといえば摩多羅神、と思っていたわけですが、「御歳神(みとしがみ)」もミトラスなんじゃないの? と思うようになりました。彼は「太陽神」というよりは、太陽の運行と関連の深い「歳神」で現されているのです。そして、広隆寺の牛祭では、その素顔は隠されている。善光寺でもたぶん年末に市中を回る歳神の姿は見てはならない、とされているのでは? というか、いたかも? というか、ちょっとそこのところははっきりしませんが。彼は
「黒い星」「太陽を隠す星」
であるので、その姿が見えないのです。要は、本物の太陽を阻害する偽りの太陽であるところの
「禍津日神」
が「御歳神」なのではないかと思う。彼はきちんと祀らないと、災厄を起こす神です。ではさあ、逆にさあ、
災厄を起こしたかったら祀らなくてもいい神
なんじゃないの? と思う。何故に水内郡では御射山神事は廃れてしまったのでしょう? それは祀らなければ好き勝手に災厄を起こせる神だからなんじゃないの? と思ったあたくしでした。まさに真夏のオカルトな話です-;。
というか、そもそも田子界隈に、縄文の住居跡があったのに、そこが一時期途絶していた、という話を聞いてだけで、個人的にはもう駄目な気分である。だって三才のあたりはもう水がつくじゃん? だから、縄文の人々は安全な高台の田子に住んでた。弥生の我らが先祖は、彼らをそこから追い出してどこへやった? 盗賊と言いがかりをつけて皆殺しにした? それとも時期が来たら溺れ死ね、と言わんばかりに低地に追いやった? そして自分たちだけが安全な高台でのうのうと暮らして、低地に追いやった人々をせせら笑って見てた? お盆というのは先祖を思う時期ではありますが、あたくしは今年のお盆ほど、2200年前の先祖を糾弾してやりたいと思ったことはありません。彼らの神が少彦名命であり、御歳神であった、とそういうことなわけです。
そういえば、「笑う」のドラマの清家君のルーツが中国にあると明らかになりました。中国にルーツがあるって、まるっきり賀茂とか金刺じゃん、と思ったあたくしでございました-;。清家君もある意味「子神」ですし。