ええと、なんだか「人身御供」とか、祝融のことを「嘘つきと、武器製造を推進する火神」とか、真面目なことをガシガシと書いています・・・が、書いている方は、色々と資料を見て
「天若日子が蛙になってる~」
とか、イ族のみなさまの「火祭り」に、樹木に扮している方々(竜樹の化身?)を見て、
「マヨ祭だ、マヨ祭だ~」
と、喜んでいます。民俗学とかかじっていると、少数民族のお祭りとか楽しくてなりません。蛙の天若日子にも、どちらかというと笑いが止まらない。黄帝蛙様だから。イ族のお祭りも盆踊りよりはよっぽどマシ、と思う。
でも、てっぺいちゃんのDVDを見ながらあれこれ書いていたら、誰からともなく
竜退治を書くなら、嵐神プルリヤシュとイルルヤンカシュを書けばいいのに、と言われる気がします@@。それはヒッタイトです。インド・イランが別れた後よりは新しいけれども、ギリシャ・ローマに先行する神話である。
プルリヤシュってヴリトラのことじゃないですか。イルルヤンカシュはタクシュカのことである。
ということは、最初は
ヴリトラがタクシュカを倒す。
という神話だったのが
ヴァーユがヴリトラを倒す。
と変えられたのかもしれませんねえ、ヴァーユもヴリトラも同じ名前だし、と思ったあたくしでした。でも、つきつめていえばヴリトラとタクシュカとは「蛙虎が虎蛙を倒した」となるだけで、ただ名前が逆になっただけじゃないですか。ただただ、殺されたトム・ティット・トットというジャムシード君だけが「人間だった」という但し書きがつけられて閻魔さまになってしまうわけで。
ちなみに
大渓文化は屈家嶺文化(紡錘車(spindle-whorls)が発明された?)、龍山文化と次第に北上して受け継がれていきます。そして、伝説の中国の王朝「夏」と思われる二里頭遺跡に繋がっていく。この夏が殷に滅ぼされます。中国では、龍山文化集団が夏王朝に繋がり、三苗の屈家嶺文化及び石家河文化と対立したのではないか、と言われているらしい。夏の創設時に三苗と夏が争ったという伝承もある。でも私は違うと思います。
苗族は、屈家嶺文化と石家河文化に分かれ、屈家嶺文化と石家河文化が後に対立して、屈家嶺文化が勝って龍山に移行したのだと思う。要は「内ゲバ」です。身内同士の争いほど恐ろしいものはございません。
夏は殷に滅ぼされ、生き残った者は四散するか、殷に取り込まれました。その殷も周に滅ぼされるから、夏の残党は黄河流域から更に北に、中国東北部から朝鮮へと拡がって、一部は日本へも来たのではないでしょうか。
「うちの先祖って夏の王族だった?」
と思うあたくしである。殷代に「じゃんじゃん生け贄を捧げろ」っていう変な宗教を広めたでしょう? と思ったあたくしでした-;。