本日は外作業のみ。午前中は雨が降ったので、午後のみ。午前中は資料の整理をしたり、パソコンのメンテナンスをしたり、家庭菜園の種をまいたりしていました。
パソコンの速度が遅いし、HDの音も目立つので、ccleanerというソフトを買って、いらないデータを削除したり、レジストリの整理をしたり、古くなったドライバを更新したりしたらずいぶん快適になりました。メンテナンスをするとしないとでは、全然違うんだー、と感動しました。
あと、縄文時代に、山梨の側では「円錐土器」といって、3本指の女神像が出土しているそうなので、中国と同様、月の女神のトーテムが「蛙」だという伝承も伝播していたようです。南アルプス市出土の蛙女神は日本でいえば縄文ではソソウ神、弥生ではオオゲツヒメ、中国で嫦娥娘娘のことで良いと思います。女神でない方の、オルギアみたいな口の蛙人の全身像はダイダラボッチ、中国での饕餮のことで良いかと。それから、日本では「上位の神」として女神であっても男神であっても「熊」がトーテムで来ると思います。尖石の「仮面のビーナス」はもしかしたら「熊女神」の可能性もあるかも、と個人的には思う。朝鮮の神話に「熊女」が出てきますし、西洋では熊女神への信仰がかつては強かったわけですが。ただし、これらの神々も「人身御供を求める神」の一種ではあるので、例によって
母系の時代には女神
であっても、
父系の時代には男神
に置き換えられてしまっていますので。男女の神どちらのトーテムにもなりえる。須佐之男のトーテムには熊が含まれていると思うし、アルクマとかクマモンとか現代の熊キャラもだいたいは雄を想定しているのではないか、と思いますので、現代的には「熊」といえば男性的なイメージなのではないでしょうか。
で、ちょっとだけ気になったのですが、山梨の側では土器に愛称を募集していて、円錐形女神に「ラヴィ(Love)」、蛙人紋に「ピース」とつけて、「ラブ&ピース」としてるそうな・・・。もちろん、人々に土器に親しんで欲しいとか、観光の一助にしたい、とか、そういう気持ちは分かるわけですが。でも、土器はどんな意味であろうが、古代の人が真面目に作って、畏れ敬い祭祀に使用したものでもあるわけではないですか。それがどんな意味でどのように使われたのかも、真にはっきりと明確になっているわけではないのに、現代のイメージで勝手に愛称をつけて呼ぶのは、もしかしたらそれは本来の意味から大きく外れたものになるかもしれないし、古代の先人達の思想に失礼なことなんじゃないのかなあ、と思いました。
というか、レイプされ妊娠させられ殺された女の「愛」とはなに? 人殺しの死刑執行人の巨人の「平和」とはなに? そういうのを
「ラブ&ピース」
って呼んでいいの? それはあまりにも悲惨な名前すぎて嫦娥娘娘が可哀想すぎる、と本音では思う。尖石の「縄文のビーナス」とか「仮面のビーナス」という呼び名がいかに「妥当」であるかということを深く思い知った気がいたしました。