24年9月18日

 本日は買い物と外作業。私が土の清掃を午後15分ほどやっただけで、後は雨で無理でした。猫様は、昼食が終わると

「2階の涼しい部屋に行く。」

と言って待機するようになりました。

 でもって、蛙饕餮がダイダラボッチであるならば、それ以外の神々は何なのか、と言われる気がするわけで。御頭祭の主役であるミサクチ様は、「シャク」とつくからには

ひしゃく

でしかないと思うので、北斗星君のことと思います。後の「天帝」です。地上に降りてくる時には「石につく」とされていたのかもしれません。また石神井神社では少彦名命を祭神として石剣が祀られているとのことですが、これは天神であり征服神である古い時代の弥生人の「少彦名命」のことと思われますので、これも北斗星君のことと考えています。縄文人の北斗星君であるミサクチ様の聖所に、弥生人の北斗星君である少彦名命が祀られている例だと思います。

 御室神事の主役であるソソウ神は女神で良いと思います。蛇女神でもあると思う。八ヶ岳山麓の縄文土器に「三日月型の架空の水性生物」と現されているものだと思う。蛇の女神が豊穣の女神であり、かつ殺される女神である、という伝承は岐阜、群馬、東北(オシラサマのタコもそう)にみられると思います。群馬では蚕の神は「白蛇女神」で表されますので、中国では嫦娥娘娘のトーテムは兎とか蛙になりますが、日本の

大宜都比売

のトーテムは蛇なのだと思います。そういえば、テレビで木花咲耶姫は「月の女神」でかぐや姫の原型とか言ってましたが、木花咲耶姫は火を放ってその中で出産したとか。かぐや姫は天上に帰る時に、自らの化身として不老不死の薬を残して行きますが、帝はそれを燃やしてしまいます。まあ、普通に木を燃やしたら燃えてしまうでしょう、ということで、木花咲耶姫はイザナミの焼き直しのようにしか思えない感もあります。

大宜都比売

のことを「月の女神である」とか「ない」という話がありますが、分かりやすく「大月比売」といえばいいのに、と思うあたくしです。嫦娥娘娘の時代から、「豊穣のために殺される女神」は「月の女神」と相場が決まってる。ただし、木花咲耶姫の「木」がココヤシであれば、その真名はハイヌウェレである、ってそれだけのことです。すなわち

ソソウ神

とは、蛇の女神であり、月の女神であり、「殺される女神」であった縄文系の女神と考えます。「縄文のヴィーナス」も破壊されているので「殺される女神」の一種ではあったと思いますが、ソソウ神と同一視されていたのか、別の神とされていたのかは分かりません。これは分けている文化もあれば、分けていない文化もあるからです。特に、三角頭で「仮面をかぶっているように見える」神像は、「女神」であるかどうか疑わしく思います。なぜなら黄河流域の

馬家窯文化(紀元前3200~2700)

からは、顔は饕餮、下半身は女性、という「両性具有」の像が出土していて、特に「出産」に関しては

「男が子供を産む」

という神話は珍しくありません。ギリシャ神話のゼウスはアテーナーを産みましたし、クロノスの吐き戻しも「出産の一種」と言えなくもないし、イザナギも子供産んでますし。三角頭の神像は下半身は女性だけど、胸がないように見えるので。もしかしたら、「両性具有」すなわち「饕餮」の可能性もあると思います。要は「男神」なのです。

 古代の諏訪では、おそらく蛙饕餮が、「人身御供の祭祀」の中心であったので、諏訪神を擁する人々が到来した時に、蛙饕餮のみを「悪神」として、退治したことにして神々の列から外してしまったのでしょうが、それ以外の神々は「諏訪神の子神」的な存在にして残したのではないでしょうか。だから日本の女神信仰を見る場合

縄文系の嫦娥娘娘は蛇、弥生系の嫦娥娘娘は竜、二つ併せて「竜蛇神」と表される

と大雑把に私はそう考えています。