24年9月17日

 本日は買い物と外作業。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。午後少しやっただけでした。

 河姆渡文化(長江下流域、紀元前5000~4500年)からは、体の中に植物と「目」がある猪が描かれた黒陶が出土しています。この猪を「獣神」としますと、彼のトーテムは猪自身でもあるし、何らかの植物も兼ねていることが分かります。そして「彼」と書きましたが、おそらく性別は男であると私は思います。なぜなら、植物と獣を兼ねた神は、後の時代には「男性神」として現されるからです。河姆渡文化は母系社会ですので、女性の方が男性よりも社会的地位が高い。生態系の中では植物は一番立場が弱い、ともいえますので、性別としても男性であるのが適当ではないでしょうか。

 猪とは、合成獣である竜を構成する要素の一つです。なので、古い時代の「猪像」というと、私の中では、「後の竜と共通した性格を持つ獣神」という観念が強いです。だから、動物としての猪に「水」という要素は弱いけれども、神としては「水神」としての性質もあったかもしれない、と考えます。

 竜と類似した「合成獣神」に「饕餮(とうてつ)」があります。こちらは牛、羊、虎、イヌワシ等の合成獣と言われています。この「饕餮紋」の特徴は「首のみ」で描かれることです。良渚文化(長江下流域、紀元前3500~2200年頃)で、首のみの神像が登場し、大きな見開いた目、大きな口、ひげなどが特徴で、男性の像です。これは「饕餮紋」の原型と考えられており、良渚文化でも時代が下ると「大きな目と口」のみが強調されるようになります。王権の象徴のようにも使われており、王権に保護者的に関わる性質は竜神とも似ています。

 一方、長江よりも北にある黄河流域の仰韶文化(紀元前5000~2700年)では、「目」や「三日月」、「蛙」を意匠とした彩陶が作られていました。「目」を強調するところは河姆渡・良渚と共通する文化です。この「目」は蛙と組み合わされることがありました。中国の伝承では蛙は月に住む神、とされていますから、蛙は古代から月に関連する動物とされていたと思われます。そして、蛙が「目」と組み合わされている、ということは仰韶における「蛙紋」は、仰韶の「饕餮紋」といえるのではないでしょうか。少なくとも、仰韶文化では、蛙は饕餮を構成する動物の一つだったと思われます。竜神との関連性ははっきりしません。仰韶では紀元前4000年頃の墓から竜(と虎)の意匠が発見されており、後の時代の「四神」の原型と思われます。仰韶文化は母系であって、はっきりとした王権は発生していませんから、蛙饕餮であっても、竜神であっても、一般的な豊穣をもたらす神であって、王権とは関連していなかったと思われます。

 さて、真打ちの「八ヶ岳山麓縄文文化(紀元前5000~4000年)」ですが、

「尖石の土器に「獣面紋」を見るのであれば、井戸尻の人面香炉形土器はどうなのか?」

と言われる気がするわけです。・・・これがまた顔が「2段」になっていて、良渚の「獣面紋」と似た構成の土器なわけです。そして、下段の顔の方が大きく、髪の毛が植物様です。

 しかも、「すごすぎ」と思うことですが、解説に「イザナギ」とか「イザナミ」とか書いてある・・・。毛が木っていったら須佐之男では? って、もうわざと書いてるのでは? 突っ込んで欲しいのでは? と目が点になる。しかも、重要文化財なのか「撮影禁止」って書いてある。しかも、井戸尻って、隣の部屋になぜか良渚の玉器が展示してあって、「目だけ饕餮」が掘ってある。しかも、そこ、宮崎駿監督がちょっと噛んでる富士見町。トトロとかもののけ姫とかに縁のある地域では。って突っ込みしか出てこない、というか、

 土器の解説が吹っ飛んでいすぎるのに、隣の部屋に何の解説もなく本場の饕餮紋がある

という考古館の構成そのものにドン引きするわけで(泣)。八ヶ岳山麓縄文文化は母系社会であり、王権の発生どころか農業もごく未熟な社会ですから、人々が神に何らかの豊穣を願うとすれば、狩猟採集の豊穣が主だったと思われます。「縄文のビーナス」の言葉どおり、すでに生け贄の代わりに女神像を破壊する習慣が発生しており、人面香炉形土器は、

「饕餮とそれを操る北斗星君」の像である

というのが、状況的には似つかわしいと思います。同時期に蛙と目を組み合わせた土器も多数出土していますので、これを

「半人半蛙土器」

と呼ぶようですが、こちらも仰韶と同様

「蛙饕餮」の紋と考えます。だから、八ヶ岳山麓縄文文化で現される「獣面紋」は多くは蛙が意匠に使われ、三日月型の「みずち」の紋も見られますので、仰韶に近い思想があった、と思われます。でも、当時の日本の人々は海岸線沿いに中国沿岸部と交流がありましたので、中国南部では「獣面紋」を「人型」で現す方式がすでに発生し始めており、当時はそれが非常にマイノリティーな思想だったので、「試しに作ってみる」的な感覚で、尖石でわずかに、「人面紋」といえる土器が作られたのかもしれないと思います。

 で、この神がなんという神で、縄文の人々が彼に何を求めたのかということになるわけですが。それはさすがに「地の利」で資料が豊富にありますので。この神のことを長野県人は、今では

ダイダラボッチ(中世ではタフト坊とも呼ばれた。ちなみに饕餮は中国語ではタオティエと呼ぶそうです。)

という巨人神として呼び、その植物としてのトーテムはケヤキであったと考えます。なぜなら、縄文古来の祭祀を残す諏訪大社上社には「贄掛の大欅」という、狩の獲物の豊穣を願って生け贄(獣)を捧げたと言われる木があるからです。馬頭娘で、生け贄の娘は「蚕の母」として桑の木にかけられますから、古代においては木に生け贄の死体をかけて神に捧げた習慣が広くあったのかもしれないと思います。

 そして、木は直接生け贄を食べませんが、木に停まっているカラスや猛禽類は当然その肉を食べたことと思います。カラスやワシは木と一体化して、生け贄を受け取り食べる存在でしたし、食べた肉を更に天上世界の神に届ける存在、とも考えられたかもしれません。蚕の豊穣をもたらす扶桑樹にカラスが停まっているのは、カラスが木の一部であり、木から離れてあちこちを見回る神でもあり、食物などを運ぶ神でもあったからである、と考えます。木は「饕餮」そのものですから、カラスやワシも饕餮の一部となり得るのです。まさに

「豊穣の母」

である妻を生け贄として食らう鳥です。

八ヶ岳山麓縄文文化のうち、山梨側では蛙紋と猪紋が組み合わせてみられるそうです。猪といえば「竜」ですので、中部日本では、

「蛙も竜を合成する動物の一つ」

だった可能性があります。蛙は饕餮の一部でもあり、竜の一部とも考えられたかもしれません。諏訪大社の蛙狩神事では、

諏訪神が諏訪にやってきて悪しき蛙神を倒した

という伝承がありますので、これは中国神話の蚩尤(饕餮)退治に通じる話なのかもしれないと思います。動物としての日本の饕餮(ダイダラボッチ)のトーテムは小さい順に

蛙、(蛇)、兎、雉、鹿、猪

となると思います。諏訪大社の御頭祭ではこれらの動物を生け贄に捧げるはず(現在では剥製ですが)。「耳の避けた鹿」とは、体を失って首だけになった饕餮の象徴かと思います。蛇だけ()でくくってあるのは、水神としての性質から蛇神の性質も含むであろうと、推察したためです。また体に植物が生えていること、竜的な性質であることから、蛙饕餮は

山の神、水の神

といった、自然の状態をトーテムに持っているといえます。山の神は、日本の神話では大山津見神(おおやまつみのかみ)があります。植物が体毛の神は須佐之男といえます。「妻殺し」とう点ではイザナギがある。蛙饕餮は間接的ではありますが、これらの神の原型ともなったかもしれません。もちろん、縄文時代の人々はこの神に狩猟の豊穣を求めたことと思います。まだ王権も養蚕もなく、農業も未熟な時代ですから。

 蛙のダイダラボッチとそれを倒した諏訪神ですか、そうですか。オーディンのユミル退治みたい・・・と思ったあたくしでした-;。