24年9月9日

 本日は買い物と外作業のみ。私が土の清掃、姉が土の清掃、石片付けでした。

 「笑うマトリョーシカ」の最終回を見ました。人気者の政治家である清家君を背後で操る真のハヌッセンとは・・・「存在しない」という衝撃の展開でした。でもって、道上女史に

「見くびられたくない」

と、いつも清家君を見ているマトリョーシカを並べながら熱く語る清家君だった・・・わけですが・・・。でも

「ハヌッセンは存在しない。」

と言いながら、何故清家君は「マトリョーシカ」を前にして、その中心にある小さな人形について語るのでしょうか? その人形も清家君自身ではないはずです。その姿はまるで、私には清家君が「ハヌッセンは存在しない」という芝居を続けながら、道上氏には「中心にいるハヌッセンを見抜いて欲しい。」と訴えているように見えました。ではドラマには出てこない「ハヌッセン」とは何のことなのか、「神話的」に見ていきましょう。だって清家君は私には諏訪神がモデルのように見えるからです。上社と下社の間で振り回される諏訪神は、室町時代にはかなり「須佐之男」と習合させられて、あんまり独自の神としては機能しなくなりました。

 ドラマの中では清家君の父親も、汚職事件のもみ消しとか、殺人教唆とか悪どいことをしてますが、基本的には主体性のない人でした。諏訪神の父神である大国主命も、地方や状況によって性質がかなり違って、実のところ主体性がほとんどない神です。確か

記紀神話の大国主命は、少彦名命の悪事を隠蔽して隠れ蓑になっている神である

と少し前に書いた記憶があります。少彦名命は東国では、「天神」として祀られていて、どうも我が家ではキリスト教に半分かぶれてあれこれ言い出す前は、

天神である少彦名命が祖神だった

と言っていた節があります。これがどういう神だったかというと、弥生時代の更埴の遺跡から、ひょうたんを祭祀に使った形跡が出土しています。ひょうたんといえば、ひしゃく、ひしゃくといえば「北斗七星」、そして更埴も金刺氏の拠点の一つです。ということで、少彦名命って何かというと、

中国で言うところの「天帝」あるいは(かつ)北斗星君

のことと思われます。日本の民間伝承では一寸法師で良いと思います。古代中国と日本で見られる「獣面紋」、日本でいうところの「須佐之男」あるいは(かつ)牛か馬か猿か熊などの獣神は、単独で描かれて

背後にいるハヌッセン

の存在が明らかにされていません。でも、良渚文化における獣面紋には、彼の目に触れている小人の存在が描かれています。良渚文化は男系の王権文化が台頭した最初の文化であり、獣面紋と小人は「王権の保護者」として重要な神なのです。獣面紋は最初の神の言葉を伝える中継ぎ的なシャーマンと、神に生け贄を捧げるシャーマンの2面性を持った神であり、代々の「王」を神格化したもの、ともいえなくもありません。古代中国の皇帝たちは、独裁的な専制君主であり、神と人々の中継ぎともなるシャーマンでした。彼は天帝の忠実な部下だったのです。そして、男系の理論では、皇帝とその跡取りだけが「特権階級」で、それ以外は誰でも蚕同然ですから、そうやって天帝の定めたことに従って人々を蚕のように管理するのも獣面紋の仕事でした。人々から見れば、いつ殺されて食べられてしまうか分からないわけですから、恐ろしい存在です。獣面紋はそうやって少彦名命の殺人教唆の実行犯になり、更に大国主命や諏訪神を隠れ蓑にして隠れているわけです。要は、誰も自分が

「殺人者」

になりたくないから、下っ端のものに嫌なことを実行させる、罪をなすりつける、とそういうことです。だから下っ端にヒトラー(仮)とかムッソリーニ(仮)とか東条(仮)とか何人もいて、それがあちこちで大量虐殺を引き起こしていても、「真の殺人者」は天帝である少彦名命のみ、そしてそれを命じる饕餮(須佐之男)は共犯者(というか幇助者)という立ち位置になります。

で、ドラマの清家君は、ふだんはおとなしい人なのだけれども、腹を立てると、母親を非業の死に追いやろうとするし、恋人を切るし、自分と一体も同然であった親友も切ってしまうと。でも、道上女史には自分を見抜いて欲しい、という。

 普段はおとなしいけれども、腹を立てると暴君、って、それは神話的には天若日子とアジスキタカヒコネじゃないですか。それを見ぬく道上女史は「下光比売命」なんじゃん? 旦那があんなさえない人でいいのか、その設定は?? と思うあたくしである-;。それはともかく、清家君は腹を立てて、アジスキタカヒコネすなわち須佐之男になっちゃった諏訪神であるらしい。

 でも、上社的には諏訪神の「後戸」にあるのは守屋山の物部守屋であるので。これは下社的諏訪神、でなきゃ善光寺的諏訪神の姿なわけです。善光寺も下社も金刺氏の管轄だから。だからさあ、母親に対して「見くびるな」とか「俺が一番だ」って思うのはいいですよ? 思うだけならさあ? と思う。だけど、本当に

「見くびるな」

って思って、母親を焼き殺して、その権力と財産を横領したの? それを正当化するために、子孫に「女なんか殺していい」って正当化させる世界を作らせようとした? それ本人から聞いたの? 霊媒師とか使って幽霊でも呼び出したの、翔ちゃん??

と思うわけで。100歩譲って母親との確執は「個人的なこと」といえても、とんでも理論で世界中に何千年も迷惑をかけてきたことは正さねばならないのではないの? と子孫のあたくしは思うわけです-;;。

 で、一方、父親が清家君の父親(大国主命)に殺されたことを知った守屋君というか、鈴木君は、清家君からは離れて、自分が真に行きたい道を妻と一緒に進むことになりました。というか、この場合は、鈴木君は物部一族の象徴であって、「殺された父親」というのが守屋のことなのだろう、とあたくしは感じました。守屋を殺したのは迹見 赤檮(とみ の いちい)だし、大和の迹見氏って出雲系の氏族じゃん? と思う。

 あとは、清家君が尊敬する「タケチ先生」というのは、まあ名前からしてちょっと変則的ですが高市皇子のことをさすのかなあ、と思います。彼の登場はリップサービスかも? と思う。それを殺した性悪ミワコちゃんは、たいがい八坂刀売、ミワコちゃんに似た性格だけど悲嘆に暮れるママは大宜都比売であろうと思います。道上女史は下光比売命でもあるけれども、物部系氏族の願いとしては天道姫も入ってるのだと思う。

 かくして、守屋・鈴木君は、なんか性格的に意味不明な清家君から離れて、自分の理想を目指すことになりました。「これ大事なところだから」と言われる気がするわけですが。正直

「田舎にひっこんでおとなしく暮らせば良かったのに。」

と思ったあたくしです-;。色々な前途は長いなーー;;。

 で、あと、あれこれ書いてもあんまり報われない道上女史ですが、それでも頑張っているわけで。あたくしも神話とか民話のことはあれこれ書きますが、まあ、報われていないかも? しれません?? というか、龍と女神についてあれこれ書いたら

買い物に出かけたときに、龍と女神の絵が描かれているデコトラがこれみよがしに周囲をウロウロしていました@@

「懲りてねーなー」と思うというか、報われるとか報われないじゃなくて、書いたことにこういう反応はしこたまございます。報い? といえば報いなのかもしれませんが-;。

 ということで、須佐之男化した清家君の真の黒幕は少彦名命だったのでした。今日はあたくしは雅治君のビデオを見ながら日記を書いてみました。