24年8月25日

 本日は天気予報が雨模様だったので、予定していた買い出しを一日前倒しして買い物に行ってきました。午後は雨で外作業はお休みしました。

 テレビは昨夜は「モニタリング」の録画など、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 昨日、坑道を掘っていたら、なんだか誰かが必死になって「ギリシア・ローマの時計の神は誰か」と言う気がして。それはクロノス、ローマで言えばサートゥルヌス? と思う。そうしたら、クリスマス(年の瀬の行事)は元々サートゥルヌスの祭祀でしょ、と言われる気がするわけで。では、年末に出歩いて市中を巡回する御歳神とはサートゥルヌスのこと? と思う。そして、キリスト教だろうが、ミトラスだろうが、クリスマス(冬至)を祝うということは、サートゥルヌスを祀っているのと同じ事?? とも思う。しかも、善光寺に関していえば、「子神」というものに対する執着が強いから、一般的ないわゆる「キリスト教」というものにものすごく寄せていることは明白だと感じる。親神が須佐之男でありサートゥルヌスであって、子神が御歳神でありユーピテル(日本的にいえば別雷か、火雷神か??)であり、その隠れ蓑がミトラスであったり、キリストであったりということ?? と思う。特に長野的には、須佐之男は馬で、妻はオオゲツヒメで、子供が蚕じゃん? 蚕十字のイエス・キリストであって、その身を犠牲にして人々に富(絹の富)をもたらすお蚕サマがイエスということ?? と思う-;。まあ。長野的習合的適当解釈としては

イエス・キリストは蚕だった

というのが馬鹿馬鹿しくてお似合いな思想だと思うわけですが-;。でも、それを真面目にやっているのが善光寺なんだよね-;;。