本日は買い物、三登山神社参拝、外作業でした。少しずつ涼しくなってきている気がします。
三登山は江戸時代に戸隠の分院として開かれ、仏教施設がいくつかあったようで、今でもその名残はあるのですが、明治以後は廃れてしまっているとのこと。神社も修験道関連のものかもしれませんが、でも、その前に「三登山」とは「御歳山」でもあるし「御射山」のことでもあるよねえ? と思う。日本的な山岳信仰からいえば、低地に「御射山社」があるのはおかしいので、低地にあるのは里宮で、山の頂上に奥宮があるのが「日本的」な一般的山岳信仰です。でも北信濃は、今では三登山にその形跡が残されていませんし、黒姫なんかも黒姫伝説はあるのに神社はない、となっています。善光寺が整えられていくにつれて、「御射山」でもあった「御歳山」信仰は薄れて、善光寺の裏にある地附山の駒形岳駒弓神社の方に信仰の中心は移ったものとみえます。
それから北信濃は養蚕も盛んでしたが、蚕神を馬と関連づけて祀る傾向がありますし、駒形岳駒弓神社には大宜都比売が「蚕の母」として祀られていますから、世界観は完全に「馬頭娘」です。これは当然若い娘を生け贄に捧げる伝承ですから、「馬頭娘」の和製発展系といえる黒姫伝説とか「望月の駒」とか、やばい思想が北信濃に蔓延しているといえると思います。蚕神社とか見てると、「明治になっても馬頭娘かーー」ってため息が出ます-;。