No.155
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2023年02月14日(火) 17:51:41
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「シルクロードの民話 パミール高原」 86-106p
主人公と女主人公が上位の者と対立して町を追い出されるところは「ゲイ流譚」型といえる。
女主人公が魔人の側について、兄を殺そうとする。「怪物退治」のうち、ティアマト型といえる。自ら生んだ息子に殺される点も、マルドゥクとティアマトの関係を連想させる。魔人が穴の中に封印されていた点は、元は「冥界神」だったことの暗喩といえる。
甥が叔父に代わって戦い、魔人を倒したり、花嫁を得る点はまさに「ジークフリート型」といえる。
本来的な物語が「テーセウスとミーノータウロスとアリアドネー」だったとすれば、本来は女主人公と魔人が兄妹(あるいは姉弟)という関係であって、外からやってきた主人公(本物語では「兄」)の方が略奪婚の当事者だったといえるのではないか、と思います。私は、民話を考察する際に女主人公から見て「兄弟」と「夫」の区別はあまりつけません。なぜなら、古代の特に母系社会ではイシスとオシリスのように、兄妹であって夫婦である、ということは珍しいことではなく、むしろ家の財産を守るためにはその方が妥当であった、という文化があるからです。日本の古代の天皇家も、異母兄弟で結婚して天皇、皇后となり、皇族でなければ皇后として認められなかった、という時代がありました。そこには現代的に「兄弟」と「夫」を区別する文化はありませんでした。古代日本の「妹」という言葉は、妻を指す言葉でもあり、妹を指す言葉でもあったのです。また、通い婚である母系社会では、夫は複数いて当然ですので、女性の不貞という概念がなく、その点も現代と異なります。そのように考えると本物語の「甥」は、本当は魔人の子供なのか、兄の子供なのかも分からない、ということになります。子供が主人公のことを愛して、父親だと感じていたのであれば、血のつながりに関係なく主人公の側につくことは母系社会的にはあり得ること、と思います。ただし、本物語では「甥」は魔人の血を引いた半人半神のような英雄であり、正義に味方する若き神のような存在ですので、そういう点も「正義の神」であるマルドゥクを連想させます。そして、当然イスラム文化の影響を受けている物語ですから、イスラム的には女主人公の死は「名誉殺人」的な概念となるのかなあ、と思います。(身内を裏切って、身内の賛成しない男と仲良くなって正式な結婚もせずに、事実上の夫婦となっているわけだから。ただし、民話としてはそのような女主人公の行動も古代の女神の名残のように思われます。)
ジャムシード王は伝説的な古代ペルシアの王と言われていますが、インド神話のヤマ(閻魔)、北欧神話のユミルと同語源であると言われています。ジャムシード王の尽きせぬ宝がどこかの洞窟に隠されている、との考え方は、「さまざまな鉱物資源(尽きせぬ宝)を体内にため込んでいるプタハのような大地(冥界)の神」を連想させ、少なくとも民間的にはジャムシード王のことを、「宝物をため込んでいる冥界の王」と見なし得るような口頭伝承があったのかもしれない、と思うと、ジャムシード王からヤマへの変遷が感じられて興味深く思います。
#民話 #タジキスタン #ゲイ流譚 #怪物退治 #ティアマト #怪物尊重 #ジークフリート