Mステスーパーライブ

福山君の「Beautiful life」のテレビ動画がどこかに無いかな、と思って探してみたところ、2012年のMステスーパーライブの映像が見つかりました。ということは、

 

2012年3月頃:「生きてる生きてく」

2012年12月:「Beautiful life」

2014年3月:「HUMAN」&「暁」

 

となるわけで、なんというか、私からみれば、私が知っている限りで一番福山君らしいステージはMステスーパーライブだと思うし、見ていて一番楽しいと感じるのもこれです。そしてやっぱりかっこいいと思います。でも、まあ兄さん的に言えば、「営業用」のお顔ってことで、使っている目の力もそこそこに「こっちに来い」という程度のものであると思う。そして、「Beautiful life」の時には「この歌を届けない人はこれを見てないって知ってる」て書いてあるしね。でもね、普通に「観客」として見ている分にはこの程度の力のいれ具合でいてくれていた方が楽に楽しめるというのはありますのでね(苦笑)。それに、この頃はだいぶ状態が安定してきているから、福山君がそれほど暗い顔でもないしね。

 

それに比べると、「生きてる生きてく」の時と「暁」の時は、明確に「目の力を伝えるために使ってる」のが分かるわけで。でも、そういうのは気が付いてみれば意味がわかりますが、「観客」として見る分にはなんだか違和感を感じる部分がありましたのでね。「暁」の時は私が気持ち悪くなっちゃいましたしね。

 

 

なんかね、泉水ちゃんのことで、私が怒ると、周り(特にお目付役)は「暴走男よりもひどい暴発娘だ」とか言う気がするわけですがーー;。でも、その割には小さい人たちが「おかあさんは悪くない」ってかばってくれているような気がするわけで。

私はただ、人の命は一つ一つが大切なものなのだから、彼女が命をかけて私に何かしてくれたことがあるのであれば、私も彼女の死に対して命をかけてお返ししなければならないことがあると思うだけだ。私の命が特別で、それを守るためなら他の誰が何人死んでもいいなんて、そんなこと私自身が一番納得できないことだからだ。力のある人たちは、彼女の死を「それを受け止めて乗り越えていかなければならないだけだ。そうしなければ前に進めないから。」って言うかもしれない。そして、それは一生私に言わないで、私にだけ心労をかけないでのほほんとさせてれば良いと思うかもしれないが、そんなことには私自身が一番納得できないことですし、どうせその内に私は兄さんの腹の中からとか引きずり出さずにはいられない性分だし。

 

誰の命も特別だからこそ、奪われたものは他に代償を求めてでも、取り戻せるだけ取り戻して、そんなことを止めさせたいとそう思うだけ。彼女の命も、私との同じように大切であって、人の命に重要である、無い、なんてないわけで、少なくとも我が家の身内を見回したって、そんな風に人様に気を遣って頂くに値するような人物なんぞいるようには思えないしね。それに、自分が守らねばならないはずの人たちを犠牲にして守られているだけの神なんぞ、まずそんなもんこの私が「いらない」と思う人なのでね。人は人らしくあれ、というのであれば、まず私のために命を差しだそうとか、そんなことから止めるべきなのだ。そして、そんなことがもしあるのであれば、そんな状況を作り出した相手を私が許すわけないって、それだけのことですともさ。

(でも、お目付役はびびっちゃって、どうもこの件では「どうかそんなに怒んないで下さい」とか思ってるようですけれども?)

 

 

<追記>あと、「誕生日に真白な百合を」も探してみましたが、これはよろしくない属性の曲ですねえ、と思うわけで。なんだか唄っている本人が「こんな曲唄いたくない」みたいな顔をしているわけで、どうりでMステで唄わないわけだ、というか。まあ、別に福山君がどこでどんな仕事をしてつじつま合わせてるのかは知りませんけれどもねえ、この曲一つとって、何もかもぶち壊しになるようでは、最初っから全ては無理な話だったんだと思う。私はただ、福山君がどんな顔をして仕事をしているのか、何を考えて仕事しているのか、よろしからぬ曲をどんな思いで唄う人なのか、そういうことだって少しは知りたいし、そんなことも知らないで、家族も夫婦もへったくれもないと思うのでね。そりゃあ、ライブとかどうにも行ってはまずそうなものまで行こうとは思いませんけれども、とそれだけのことさ。

(ていうか、「あんた、これ本気で『葬式』の歌(しかも「母」だから私を指すと思われますが?)なんだけど、分かって言ってるんですよね?」ってお目付役が言うわけで。もちろん、分かってますともさ。だいたい泉水ちゃんの死が、追悼ライブとかでどうやって食い物にされたのか、みんな知っているくせに、私がこの『葬式』の歌くらいも受け止められない程度のものでは、それこそ彼女の死に対して申し訳ないって、そう思わないのかね、ってそう思うだけですとも。要は、福山君が私を直接呪ってる歌ってことなんでしょ? ってそういうこと。この曲で誰が一番辛い思いをしているのかは、唄ってる人の目をみれば分かるだろう。私はその目を受け止める度量もない人間だって、みなさまそう思うのですかね? って、それだけのことさ。他に言うことなんかないね。だいたいそうできてこその「人らしい人」なんではないのですかねえ?)



Posted by bellis 23:44 | 音楽::MUSIC STATION | comments (x) | trackback (x)