本日の日誌

昨日は、家に帰ってみたら、家人が親に「するな」と言われたことばかりしてあってびっくりする。ともかく、家の鍵を開けて油断していると、近隣住民が勝手に入り込むので、いえにいる人が少ないときには、よくよく注意して家の外に出ないことになっているのだけれども、勝手に雪かきとかしてあって、しかも必要のないところまでかいてあって。作業の方は、また新たに大きな石垣の石が掘り出せそうであるし、今回の最大の山場になるであろうお手紙も出してしまったので、敵の敵意が相当に強まっているのだろう、と思う。


いろいろと作業していると、思うことは多いのだけれども、いろんな人から「お手紙を書く前に7番目の兄さんの気持ちが分かって良かったね。」と言われる。みゆきさんからは、「男性が『愛する』といっても、その気持ちから思うことは人によってこんなに違うし、その気持ちをどうやって表に現すのかも人それぞれなのだから、あなたは、まずそのことを知りなさい。」と言われる。みゆきさんの新しいアルバムのタイトルは「相聞」という。「相聞」とは、男女が互いの気持ちを贈り合うものだから、一方だけが気持ちを伝えることとは違う。兄さん達が歌を送ってくれて、それに対して私がお手紙を書くことが「相聞」なんだな、と思ったのでした。(6番目の子なんかは、「『男女関係がわずらわしい』なんて、「生きる」ということが、ただ自分が生きるだけ稼いで、食べて、一生をそれだけで過ごすのなら、それ以外のことは何だって「わずらわしいこと」なんだから、男女の関係なんて「わずらわしい」ものに決まってる。でも、好きな人がいるから、相手の心を手に入れるために頑張るんだし、相手のために自分ができることに全力を注ぐんじゃん。」と言うわけで。ともかく、この人と蛇の兄さんは、好きになった異性を押して押して、それこそ押し倒すまで押し尽くせってタイプなので、誰にも言われなくても、自分の気持ちをどしどし伝えてくる二人なので、そういう点では心配ない二人なのですがー;。)


そして、おととい「ニノさん」を見ていたら、街の人のインタビューみたいなので、女性の方が19歳年上、という夫婦が出ていて。「気が合うし、趣味が同じで、一緒にテレビを見ているだけでも楽しい。」みたいなことをお互いに言っていて。女性の方が年上のカップル、というと、特に嵐が絡む場合、どうしても押しの強い6番目の子のことを考えてしまうのですが、よく考えれば守達神も筆頭と同い年なので、彼とも年の差夫婦といえるわけで。たぶん、この夫婦にかこつけて、「夫婦ってこういうものでしょ?」と守達神は言いたかったのだと思う。彼は6番目の子ほど押しは強くないけれども、言いたいことは言ってくれる。でも、6番目の子に紛れて、こちらが気がつかないことも多いわけですが-;。でも、そういう押しすぎず、引かなすぎず、でいてくれるところが好きでもあるわけです。

 

昨夜は特に夢も見ず。作業の方は、奥の方の土を片付けながら、更に大きな石の周りの土を掘って、周囲の大小様々な石を出す。日が進むにつれて、雪は止んで、晴れてきた。


昨夜は「CDTV」のクリスマススペシャルを見て。司会に梅沢富美男がいて、この人も今年の後半、良くテレビで見かけたな、と思う。最近、再び人気が復活してきた人である。確か、以前はワイドショーのコメンテーターくらいしかやっていなかったのだけれど、ある時期から露出が増えた。敵であるけれども、表面的に見れば、コメントを求められればそれほど嫌みのないそつの無いことを言うし、自分より若い人にいじられても気を悪くしないし、状況に応じて、テレビ的に自分に求められている役割を察するのがうまい人だと思う。私から見れば、特に好きになるタイプでもないけれども、特に嫌悪するタイプでもない、みたいな感じ。この人の露出が増えた過程は、まず最初に細々とワイドショーのコメンテーターをやっていた。そういう中で、「ニノさん」の一発芸の回の時に、お笑い芸人の物まねをした。それがけっこう面白い感じであったので、その後「夜会」で見かけるようになって、最近では歌番組でも良く見かける、とそんな感じであると思う。割と意図的に私の目の届くところに現れて、私の反応を見ながら露出の増えた人、ではないのか、という気がする。たぶん、私から見て、可も無く不可も無く、みたいな感じだから? ではないかと思う。


そして、KinKi-Kidsの出番も見る。放送当日にも見ることは見たのだけれど、バタバタしていてじっくり見た気がしなかったので。なんというか、7番目の兄さんは、好きな人のことを思って歌を歌うときに、「狂おしい目」をしていると思う。好きな人と思うままに生きることが許されない恋、一生好きな人と表向き夫婦になることが許されなくて、日陰の身でいるしかない苦しい恋を兄さんはしているのだ、と思う。というか、そうは思うわけですが、でも、「そういう苦しい恋のお相手は?」と思うと、「あれー?」と思うわけで-;。今まで、ああいう表情は見たこと無いけどなんで?? と思うと、他の人から「写真が届いたから。」と言われるわけで@@。写真が届いて、好きな人に対する思いが募るばかりらしい。というか、「何かの冗談?」と思うと、その他大勢の兄さん達から「どニブ蛙!」って突っ込まれるわけで-;。どうにも困るわけですが、大抵の人が思うとおり、6番目の子と蛇の兄さんはほっとくと何でも言いたい放題な人達なので。7番目の兄さんも、何をどう思っていたとしても、好きな人に捨てられることを恐れず、その二人並には言いたい放題で良いのではないか、と思うわけで-;。でないと、遠慮しすぎて、他の二人が図々しすぎても抑えきれない、その方が心配だ、と富の王家の方は思っているらしい。それに、男女のことには真面目な兄さん達が多いので、問題が起きると、みんな冷静に対応する、というよりは、あきれたり怒ったりが先に立ってしまう、ということで。手越君は、表向きにも自他共に認めるプレイボーイであって、男女の修羅場もそれなりに経験している。でも、「お仕事」に関してはごく真面目で、真剣にいろいろと考えてくれる人であるので、ともかく「男女の仲に関しては、どんなエグいネタが出てきても、手越君なら動じないから、真面目すぎる7番目の兄さんのサポートをさせろ。」ということになったらしくて-;。でもでもだって、私なんか7番目の兄さんには、助けて貰ってばっかりなんじゃん?? 「捨てられたくない」とかって、どういうこと?? と正直思う。ちなみに、6番目の子は、例の「ど下手くそ発言」に関しては、「そもそも、Hの際に男が女の人を喜ばせられないようでは、いちいち相手に指摘されなくても、それだけで「ど下手くそ」な証拠。何の役にも立たない人間ほど、くだらないことで大騒ぎする。」と思ったらしい-;。割とお酒を飲む人であったので、私は正直、アル中性の勃起不全かと思ってたのでした。



Posted by bellis 20:45 | 映画 | comments (x) | trackback (x)
本日の日誌

昨夜は「CDTV」のスペシャル特番を見る。KinKi-Kidsの番が思っていたよりも早くて、帰ってきたばかりでバタバタしていたので、後半半分くらいしか見れなかったのですが、今年最後の生KinKiであるので、見れて良かったな、と思う。ともかく、7番目の兄さんは妻神に対して「自分の気持ちを押しつけ過ぎてはいけない」と思う人なのだけれども、今年の頭の方の生放送で、ラブソングを歌ったら、おなかの中で思っていることがボロボロと出てしまったので、それ以来生放送でラブソングを歌うと、ど緊張してしまうらしいのですが。だいたい、日頃も無愛想な人らしいので、まっすーとかには「その人がもっと普通の恋愛観を持っていたら、6番目の子と張り合えたのに」と言われる気がするわけで。新年に発売される新曲を買ってね、って言われる。それから、歌の最後にNEWSの兄さん達に「思い切って開き直れ」ってけしかけられて「愛してる」って言ってくれたわけですが。その他の人達からは「ラブソング恐怖症」とかって突っ込まれているわけで-;。


で、福山君の方は、テレビでは24年ぶり、という「MELODY」を披露したわけで、なんだかとても嬉しそうであって。そんなに嬉しそうな福山君を見るのは始めてな気がする。で、何故か最後に「トモエ学園」を歌っていて、それはラブソングではない気がするし、「なんで?」と思うと、「4番目の子に対するいやがらせ」と言われるわけで-;。そうやって、わざと「ZERO」の時間に食い込むような構成にしてますね? と思うわけで-;。


で、なんだか歌に合わせて、クリスマスにまつわるラブストーリーのミニ再現ドラマとかもやっていて、どうもそういうものは好きではないので、気持ち悪く感じるわけで-;。7番目の兄さんも、「そういうのは苦手」と言うわけで。それ以外の兄さん達には、二人とも「情緒的に問題がある。だいたい『兄は夜更け過ぎに 雪江に変わるだろう』から逃げられないうちはダメだ。」とかって突っ込まれるわけで;;。だって、ボキャ天、好きだったんだもんーー、とか、妙な方向に話が流れるわけで-;。


そして、丁度「いつかのメリークリスマス」の時に、親が昨日の日記を読んでいて。今日は嵐が出ないから、嵐のアルバムをずっと車の中で聴いていたのですが。タイミング的にもぴったり、と思うわけで。6番目の子は「情緒とか関係ない。欲しい女心は、押して手に入れるだけ。」と言うわけですが。でも、その他大勢の兄さん達は「そもそも歌は真心を届けるもの」と言って反発するわけで。ともかく、NEWSとかKis-My-Ft2とか、「紅白出ない組」の兄さん達とも生放送での結縁の仕納め、ということで、ご挨拶できて良かったな、と思う。NEWSの兄さん達は、「来年も7番目の兄さんのお尻を叩く」と言っていた気がするわけで-;。


で、「ZERO」チームの皆様とも、今年最後の生での結縁、ということでご挨拶に行く。そうしたら、ワイドショーでもないのに、岡田君の結婚に関して、翔君がお祝いのコメントを言わされていて、「子供の頃から知っている大先輩」とかって言っていて。誰かが「2つしか違わないくせに、人を年寄り扱いする。」と言って怒っていた気がするわけですがー;。4番目の子と嵐の兄さん達とは、大晦日まで顔を合わせる機会があるので、まだ生放送での見納めではないわけで。


昨夜は特に夢も見ず。本日も穴掘りをしていたわけですが、なんだか私が掘っているところは、2本目の「とっこ」が出てきそうな気配である。親が土を片付けていた北の方は、一通り片付いたし、穴がだいぶ大きくなってしまったので、穴の縮小と土の整理のために、穴埋めをしながら通路を整備しすることになって。一応、外周にあたる部分もできるだけ綺麗にして、あわよくばこのまま埋め戻せるようにしたい、とは思っているのですが、とりあえず石やゴミが西側にどこまで広がっているのかが、まだ良く分からないので。シロアリの巣が更に西に埋まっていても嫌だから、そうすることにしたわけです。



Posted by bellis 20:16 | 映画 | comments (x) | trackback (x)
本日の日誌

昨夜は特に夢も見ず。本日も土台の下を掘ったわけですが、なんだかまた新たに「とっこ」が出てきた気がするわけで、次々と出てきて、しかも周辺に細かい木の根まで埋められていて、非常に掘りにくいわけです。で、家族のこととか考えて、なんだか落ち込んでいると、蛇の兄さんが降臨してきて、「いろいろ罵倒されても、ちゃんと守っていくから心配すんな。」って元気づけてくれるわけで。


で、本日も支払いに歩いたわけですが、結局家計が大変なのは分かっていても、指定された品物を買えば、兄さん達の力が増すし、そうすると親のいろんなことへの理解が深まるし、仕事がやりやすくなるし、そうやって守られる力も増す、と実感として持てるから、自腹を切ってでも買うわけです。それで、ようやく親は、今の芸能界、というところが、戦前のヤクザが大きく関わっていたところと違って、もっと健全なところだと実感を持って気がつくことができたわけでー;。でも、だって、今は普通の高校生とか、OLとか、主婦とかが、誰かのファンになれば当たり前のようにCD買って、ライブのチケットを買って、コンサートを見に行く時代だし、チケットを高額で売買するようなダフ行為の取り締まりも厳しいし、そういうことは別に興味関心がなくても、日常生活の中でニュースとかで流れたりするわけだから、なにげなく見ていて、悟るものがあっても良いはずのことでもある気がするのに、結局家がここまで良くならないと、「気がつけない」ほど、我が家には「隠されてきた」ことなわけだから。


で、今日はお手紙に出しに行って、支払いをするにも邪魔がものすごかった気がするわけで。帰ってきて、昼寝をしていたら、夢を見て。光ちゃんが家に来ていて、家人と一緒に買い物に出たら、光ちゃんがどこかに行ってしまったので、家人を置いて探しに行って。そうしたら、どこかのイベント会場みたいなところの中にいて、何か品物をたくさん買っていて。で、私に気がつかないようで、近くに行こうとしたら逃げてしまうので、鬼ごっこみたいに追いかけ回して、工夫して行き先を塞ぐようにして捕まえて。そうしたら、今度はこちらをハグしてくるわけで。兄さん達のためにも、私がいろいろと買っていることは知っているし、兄さん達も「悪いな」と思ってはいるのだと思います。でも今は私が勝つために、兄さん達の力を強めなければならないし、頑張るしかないのだと思う。でも、そのおかげで家人に少しでも今の状況が分かって貰えたなら、それが一番良かったと思うのです。



Posted by bellis 22:11 | 映画 | comments (x) | trackback (x)
るろうに剣心

朝、起きて福山君の公式HPを見たら、福山君が「るろ剣」の映画に出ると書いてあったわけです。
「おや?」
と思って、いつも見に行くニュースサイトに見に行きましたら、そこにもそのニュースが載っていて、公開された写真が載っていました。確かMステでも番組の合間に「るろ剣」の映画のCMを見た記憶があって、「懐かしいな」と、ちらと思わないでもなかったものですから、よくよく考えてみました。
「るろうに剣心」は元々、週刊少年ジャンプに掲載されていた漫画で、原作はWikipediaによると、1994年(平成6年)から1999年(平成11年)にかけて連載されていたと書いてありますから、ちょうど私が大学生の時から卒業して数年の間の作品となります。1996年(平成8年)年にアニメ化されたとありますが、私もけっこう漫画&アニメ好きでしたので、単行本も全部持っていたし、アニメも見ていました。
でも、それから20年近い歳月が過ぎているわけですから、単行本も押し入れの奥にしまい込み、というようなことになっていたわけです。あちこち引っ越しして歩くのに大量の漫画本もいちいち持ち歩けませんし。


で、事件は2011年に起こるわけですが、当時の私は個人的には裁判を抱えていましたし、あとは、なんというか、例によって
「『MONSTER』が好き」
と書けば、嵐が紅白で「メドレー」といいつつ、そればっかり唄う
というようなことが、いろいろと重なっていたことから、何というか、日本のネット社会になんだか嫌気がさしていまして、
「誰も私のことを知らないし、普通に扱ってくれるところで、普通に動き回りたい。」
と思うようになって、外国のサイトに出入りしていたわけです。外国のサイトといっても、別に怪しいところではなくて、deviantARTという、日本で言うpixivみたいなところに出入りしていたわけで、私は絵を描くこととか全然得意ではないのですが、PhotoshopとIllustratorを長年使っていますので、そういうソフトの素材をゲットしたり、自分でも作ってアップしたりしていたわけです。
で、そこで素材を貰ったメキシコ辺りの女の子が、「るろ剣」のファンで、剣心と薫子のイラストとかアップしていたものですから、懐かしいな、と思って
「私も剣心好き~」
とコメントしたら、
「いつか単行本を全巻買うんだ~」
というお返事が来たりして、そういうやりとりが2011年の3月のはじめにあったわけです。そうしたら、どういう偶然の一致か、2011年8月から「るろ剣」の最初の映画版の撮影が始まって、2012年の8月に公開された、とーー;。でも、主役の佐藤健君は、2010年の「龍馬伝」でブレイクしたとはいえ、当時はまだ今ほど有名な感じではなかった気がしますし、それほど意識はしていなかったわけ。だから、映画はどうでも良かったけど、
「海外のサイトに英語で書き込んだことなのに、何故こういうことが起こるのか?」
ということだけが、なんとなくイヤ~な気持ちと共に、残ったわけです。

 

で、中米の女の子とのやりとりをなんで鮮明に覚えていたかと言いますと、こういうやりとりがあった数日後に東日本大震災がありまして、この子が心配して「生きてるよね?」というようなコメントを私のページにくれましたので、それで良く覚えていたわけ。それからまた3年が経って、「るろ剣」の映画の続編を作っている、みたいなニュースは知っていたのですが、やはり興味はそれほどなかったのです。でも、今回、福山君が出る、ってことで
「ん?」
となったわけで、この時期にそれが公表されたり、公開があるということも、きっと偶然ではないのかも? とか思うわけで。ま、それは置いておくとしましても、そういえば昔、ちょっと付き合いのあった中米の子はどうしているのかしら? と思って彼女のページを見に行きましたら、トップに彼女が描いたと思われる、日本風の学生っぽいカップルを描いたイラストが載っていたわけですが、それがどうも冬の光景なようで、二人とも超長いマフラーをつけていて、
「それって蛇のしっぽ?」
という風情なわけです。やっぱ、ここでも、伏羲と女カというか、羿と嫦娥というか、イザナミとイザナギというか、そんな調子なわけで、
「1対の蛇の双神を知らない世界に行って、普通にしてみたいと考えた私が馬鹿だった(苦笑)。」
とか、なんとなくそう思わないでもなかったわけですが。昨今はどうにもワールドワイドに変な男女の1対が流行しているようです。


で、それで気が付いたのですが、フリーメーソンのロッジには、どうも入って正面に「男女の1対の神像が古い世界を打ち倒して、新しい世界を創造する図」が掲げてあることが多いような気がしたものですから、ついでにその画像を探してみたのですが、少なくとも日本のロッジの正面の男女像の男神は、手に鎌を持っているのを発見したわけです。鎌というのは、収穫の象徴でもありますが、特に西洋では「死神」の象徴でもありますので、それは「古い世界」をただ打ち倒すだけの「神」ではなくて、古い世界を収穫して「自分だけが肥え太る神」の象徴のようにも思えます。平ったくいうと、それがモウト-ムト-タウエレト-ディヤウス-ユーピテル-ゼウス-サバジオス-コロンの本態というわけで、フリーメーソンの述べる「フリー」とは、まさに「略奪して好き勝手な世界を作る自由」なのだと、その図像が示しているように思われるわけです。でも、フリーメーソンはどちらかといえば、世間で言われるように「秘密結社」的な組織かというと、別にそうでもないような気がします。こういう図像を露骨に公開しているわけですから、その意味が分かる人には、それは「秘密」でもなんでもないわけですので。そこに描かれている「女性」は、そもそもフリーメーソンが女性の入会を許されない組織である以上、組織を支えるための素材くらいの役割、言い換えれば「子供を産む腹」くらいの意味しか持っていないのだと思われます。
で、メーソンのもう一つの特徴は、例の三角形の「目」なわけですが、神というか、絶対的なものの象徴として「三角形」を使って、それを太陽や月よりも上位に置く、というのは、そもそもそれ自体がキリスト教(特にイエズス会)的発想ですので。そんな図を堂々と描いているところが、もうすでに、「キリスト教的な価値観を持っている組織」であると言っているも同然であって、どうにも子羊イエスが、世界を滅ぼして自分たちだけが好き勝手できる世界を作る、という黙示録の思想こそが、メーソンの思想と一致しているものであり、だいたいそもそもカトリックそのものが、メーソン同様女性に対して排他的な組織なわけですから、どうにも個人的にはメーソンなんてイエズス会の分派というか、世俗派というか、そんな印象しか持てないわけですがーー;。
三角形というのは、元々、魚の頭であり、男性であり、月であり、そして、一人の皇を支える「二人の王」の象徴であったと、古蜀の文化、羌族の文化は教えてくれるわけですが、それが「一対の男女」と「絶対的な神」という構造に置き換わると、「どうにも略奪主義な死神と悪魔の思想」に変貌してしまう、というのが現代的なワールドワイドの状況なようです。
まあ、私もなんだかんだ言って、一夫一妻制の社会で生まれ育っていますので、一人の皇(女性)と二人の夫である王って、
「具体的に誰のこと?@@」
と思う気持ちが全くないわけではありませんがーー;。まあ、でも、略奪主義な死神の片棒を担がされて、ニサバみたいにこき使われるだけ、というのはイヤですのでね。というか、他に言いようがありますまいに、ということになるわけですが(泣)。

 

超余談ですが、こういうことを書いていると、
「もし星矢を実写化したら、福山君はどの役がいい?」
とかって、浮かんでくるわけです。だいたい、そもそも星矢なんて、どうやって実写化すんの? って気もしないではないですが。福山君が演るなら、サガ&カミュの双子なんじゃないですかねえ。だいたい、あの強さと強気さ加減がぴったりかと思うわけですがーー;。ま、今となっては剣心も星矢も幽遊白書も捨てちゃって持っていないわけですけれども。

 

まあ、おかげさまで、こういうことが重なるものですから、今となってはMステで、エイトレンジャーが「ヘルメスの帽子」とか被っていても、楽しく見ることができるわけで、あまり鈍感になりすぎないように、頑張って見ていけたらと思います(苦笑)。



Posted by bellis 13:12 | 映画 | comments (x) | trackback (x)
「ハウルの動く城」
個人的にはSMAPといえばバラエティーのイメージがとても強いのですが、SMAPには、キムタクこと木村君もいるわけで、この方はドラマにもたくさん出ています。でも、私はあまりドラマを見ないので、ドラマで見たことはそもそも「ドラマを見ないからほとんど無い」のですが、1996年の「ロング・バケーション」だけは最初から最後まで見ていたわけです。これは年下男子と年上の女性の恋愛ドラマで、確か最初は主人公二人が別れる予定だったのが、視聴者の希望が多くてハッピーエンドにした作品だったとか。やはりハッピーエンドの方が見ていて楽しいので、私もハッピーエンド希望組でした。今では女性の方が年上なカップルも珍しくありませんが、当時としては珍しい設定だったのかな、と思う。

で、その後はずーっとドラマ関係をほとんど見ることがなくて、木村君の出演作品を次に見たのが「ハウルの動く城」(2004年)だったわけです。2004年というと、東京に住んでいた頃で、「千と千尋の神隠し」(2001年)あたりから、宮崎作品が好きになって見ていたわけです。「ハウル」の女主人公ソフィーは普通の女の子ですが、まあ、いろいろとあってハウルという魔法使いと恋愛する、というそういうストーリーだったと。(内容ははしょり過ぎですが、有名な作品ですから知っている人は知っているということで書くのですが^;)

当時の私も普通の人で、わりとさえない方だったので、恋に一途なソフィーに好感を持てるというかそんな感じで、宮崎作品の中では、これが一番好きな作品でした。で、ソフィーの憧れの人ハウルの声を担当したのが木村君だったのですね。アイドルが声優というのもちょっと珍しい感じでしたが、割と良かったと思うのです。

物語の中では、ソフィーはいろいろとあって家を出ざるを得ず、ハウルの住む城に転がり込んで、そこでハウルと、ハウルの弟子のマルクルと、ハウルに使役されている火の悪魔カルシファーと、ソフィーについてきたかかしのカブと一緒に暮らすわけです。で、いろいろあった末、最後はハウルと旨くいって私の好きなハッピーエンドになる、とそんな感じでした。

たぶん、物語の中で、一番面白いと思ったのは、ネーミングで、

「カルシファー」って カ(火)+ルシファー で、「火の悪魔」ってことよね?

とかと思って、なんだかベタベタなネーミングセンスだな、と。逆にそこがすごいというか^;。

で、後になって改めて考えてみますと、「ソフィー」って女の子の名前でもありますけれど、キリスト教の当初期の女神であるソフィア(というか、ギリシア語における「叡智」という言葉の神格化、というべきでしょうか。)のことなわけです。古代のギリシャ人というのは、なんというか、抽象的な概念を何でも神格化してしまうのが好きな人たち、というイメージがありますので、本来概念的なものを神格化して、性別をつけるというのもなんだか奇妙な印象を受けるのですが、ともかく、この名は古代の女神の名前なわけです。

なぜ「叡智」が女性形なのかといえば、おそらく古代ギリシャ人にとっては、彼らの叡智の女神であるアテーナーを意識してのことなのかもしれません。それが、キリスト教にも取り入れられたものなのだと思います。日本語に訳すと、

「上智」

という言葉になります。上智大学の「上智」のことですね。で、この女神はそもそも元になったと推察されるアテーナー女神も処女神と言われていますし、そもそも「ソフィア」が観念的な言葉なわけですから、本来恋人なんていないわけです。

でも、もし彼女に恋人というものがいたら、それはやっぱりハウルみたいに素直になれない人なの?

とも思ってしまうわけです。劇中でハウルと喧嘩して城を飛び出したソフィーに向かってマルクルが言う台詞があります。

「戻ってきて」

と。この映画とこの台詞がなかったら、おそらく何も始まることはなかったと思うわけです。これは私にとってそのくらい思い出深く印象的な作品なわけですね。

続き
Posted by bellis 21:02 | 映画 | comments (x) | trackback (x)